SCENE:3‐1 15時30分 汐生町 学校 教室

 一日の授業も終わり、教科書を鞄にしまいながら、気になっていることを聞いてみた。


「ユークちゃん、どうかした?」


 あらぬ方向をぼうっと見つめていたユークが、ハッと我に帰る。いつもの彼女らしくない。隙だらけだ。

 それは今朝、さりゅが学校に来たときから始まっていた。


 話をしていても上の空で、机に頬杖をつきながら、物思いにふけっているように見える。自分が立ち入って良いことなのか躊躇ためらっているうちに放課後になってしまった。


「悩みごとがあるなら、相談に乗らせて」


 とは言ったものの、自分に解決できる問題なのだろうかと不安になる。

 ユークを悩ますくらいなのだから、きっと深刻なものに違いない。


 ユークは唇を指でなぞりながら思案に暮れていたが、切り出すときはきっぱりとした口調だった。


「あなた、恋してる人、いる?」


「えっ!」


 こ、こい? 


 予想外の単語が飛び出し、さりゅは戸惑う。


 念のために聞いてみる。


「こいって、お池にいるお魚の方じゃないよね?」


「どうして女子学生が放課後にこそこそと、魚の話をしなくちゃいけないのよ」


「そ、そうだよね……ごめんね」


「それで、いるの?」


「うん、いるよ」


「誰か、聞いてもいい?」


「うん。海くんだよ」


「えっ、海斗?」


「わたし、海くんのことが好きなの」


「あ、あなた……あっさりと白状するのね」


 えへへ、と照れ隠しに笑いつつ、さりゅの脳裏に幼い日の思い出が蘇る。


 放課後の通学路、すりむけた膝の冷たい痛み、蝉の声、いじわるな子どもたちの笑い声、盾のように自分の前にたちはだかった背中は汗に濡れていた。


 ――ここはぼくに任せて。君は早くおうちに帰りなよ。


 穏やかな海斗の声が、今でも耳に残っている。小学生の頃のことなのに、思い出の中の海斗の背中は頼もしい。辛いことがあった時、さりゅはあの時の、孤独の淵から救ってくれた海斗の優しさを思い出す。


 それだけで、自分はここに存在していて良いのだと感じる。


 あれから何年経つだろう。たくさんの歌を聴いて、たくさんの本を読んでいるうちに、あのとき感じた気持ちを「恋」と呼ぶのだと知った。


「海くんは、わたしの”特別な人”なの」


「そう。二人には良い思い出があるのね。陸太も手を出せないほどの……」


 言いながら、ユークは頭を抱える。


 なぜだろう、自分の答えが益々彼女の悩みを深くしてしまったように見える。

 さりゅが事情を聞こうとすると、ユークは「これは私の問題だから」と、話を打ち切った。


 そして別の話題を切り出す頃には、いつものユークに戻っていた。


「もう一つ、別の厄介事が発生しているの。私達のレムレスで」


「……やっぱり、レムレスで何かあったんだ」


 昨日、レムレスから帰ってきた兄の様子がおかしかった。真剣な顔で思案に暮れていると思えば、忙しく電話をかけては「確かな筋」という人たちを使って情報収集をしていた。その訳を尋ねても冗談めかした物言いと、完璧な笑顔ではぐらかされてしまう。


 さりゅに危害が及ぶ可能性が少しでもありそうな事件に関して、渚の安全策は徹底的だ。

 さりゅを関わらせないことで安全を確保しようとしているのなら、逆説的に今回の仕事は、さりゅにとって関わりの深い事柄ということになる。


 そこから推測できるのは、さりゅたちの故郷・海砦レムレスに危機が迫っているということ。


「そう……、渚もその話題には触れなかったのね」


「ユークちゃんのところも?」


「ええ、ネムルさんも“これは大人の話だから“って、詳しい事情を教えてくれなかった。二人とも、心配をかけまいとしているんでしょうけれど、私達だって海砦に起こりつつある問題を知る権利があるはずよ」


「そんなに大変なことが起ころうとしているの? 一年前の出来事よりも?」


 さりゅはネムルの発明した「夢見る機械」が引き起こした一連の事件を思い出した。あのとき以上の大事件が起こるなんて想像もできない。


 ユークは難しい顔で首を振る。


「どのくらい大変かは分からないけれど、彼女はいつも面倒事と手を繋いでやってくる……リリー・タイガーはそういう女よ」


「えっ、リリー・タイガー!?」


 意外な人物の名前が飛び出て、さりゅは感嘆の声をあげる。


「ユークちゃん、リリー・タイガーと知り合いなのっ?」


 勢い余って、ユークの手をぎゅっと握る。

 その間も、自分の意思より先にリリーに対する疑問や質問が矢継やつぎばやに飛び出してくる。


「リリーとどこで知り合ったの? 今、汐生町にいるの?」


「さりゅこそ、あの女のこと、知っているの?」


「だって、リリーさん、有名人だし。中高生の間でリリー・タイガーを知らない子の方が少ないと思うけど」


「ゆ、有名? そりゃ、軍事の世界では親の七光りで名をせているでしょうけど……」


 ユークは困惑している。


 思った通り、あのドラマを見ていないようだ。


 「システマティック・ウォー」。リリー・タイガーが主演のWEBドラマだ。

 SNSで評判が広まり、今では中高生向けの雑誌で特集が組まれたり、朝の報道番組でも何度か紹介されたりしている。


 学校に携帯電話を持ってくることが出来ていたら、今すぐにでもリリー・タイガーのニュース記事や、何千万人とフォロワーがいるSNSのアカウントを見せてあげることができるのに……。


 さりゅがもどかしく思っていると、突然、校舎を震わすような悲鳴があちこちから聞こえてきた。


 さりゅたちが座る席のそばを何人ものクラスメイトが駆け抜けていく。そして磁石のように窓に張り付く。


 校舎が前のめりに倒れるのではないかと思うほど、どの教室も同じように女の子たちが窓から身を乗り出しているらしい。


 その中の一人が、校庭に向かって叫んだ。


「リリー・タイガー! こっち向いて、リリーっ!」


 さりゅとユークは床を蹴って立ち上がると、ざわめく群衆にくわわる。


 平均的な女の子より頭一つ分背の高いさりゅには最後列からでも窓の外がよく見えた。

 そこにはドラマで見たままのリリー・タイガーその人が、豊かな金髪を波打たせてこちらに手を振っていた。


 服装は、つばの広い白い帽子に胸元の空いたシースルーのブラウス。

 驚くほど長く細い脚にはスキニーデニムを履いていて、足元は真っ赤なピンヒールのパンプス。陽の光を受けて白っぽく輝いている。


 彼女はくるりと校舎に背を向けると、ポケットから携帯電話を取り出して、自撮り《セルフィー》を撮る。そこでまた少女たちの黄色い悲鳴が晴天の空に響き渡る。


「どいて!」


 ユークは窓枠に足をかけ、勢いよく三階から飛び出した。器用に窓の雨よけやパイプを伝って、地上へと降り立つ。日よけのフードを目深に引っ張りながら、校舎の中央に佇むリリー・タイガーに向かって駆けていく。


 さりゅも慌てて後を追う……といっても窓から飛び降りることは出来ないので、大急ぎで階段を下り、玄関で靴を履き替えた。


 五分遅れて到着すると、ユークは腕を組んで、苛々とリリーの話を聞いていた。


「壊れたパソコンを直してもらうついでに、汐生町観光なんて、そんな都合の良い話を信じるわけないでしょう。真の目的は何? 今度は誰を利用して、どんな取引を持ちかけるつもり?」


「オー、ユーク! 大切な友達に疑われて、ワタシ、とっても悲しいデスヨ。アナタたちと仲良くなることが、今回の旅の目的であるノニ」


「それなら答えはノーよ。こちらは親交を深めるつもりはない。そもそもあなたは交渉相手であって、友達なんかじゃない」


「ううっ、キラー細胞もびっくりの拒否反応……悲しいデス。異国の地で心細さが身に沁みマス」


 手で顔を覆い、しくしくと泣き出すリリー・タイガー。ユークは冷ややかな目で彼女を見下ろし、取り合おうともしない。


 両者の間でおろおろとさまよっているさりゅを見ると、


「行きましょう。この女に関わるとロクなことにならないから」


 くるりと背を向け、教室へ戻り始めてしまう。


 リリーの泣き声は益々悲壮感に溢れ、さりゅより背も高くて大人っぽい彼女が、まるで迷子の少女のようにか弱い存在に見えてくる。

 それに、彼女は言っていたではないか。異国の地で心細いと。


 さりゅは考える。


 リリー・タイガーは一人で日本へやってきたのかしら。もしリリーの言うことが本当だとしたら、このまま放置しておくのはまずいんじゃないかな。路頭に迷ってしまうかも知れないし、慣れない外国で事件に巻き込まれては大変だ。

 今晩、泊まるところはあるのかしら? 帰りの便の手配は? 交番に連れて行くべき?


「あのぅ、リリー・タイガーさん」


 あれこれ迷いながら、ひとまずさりゅは声を掛ける。


 ずいぶん離れたところでユークが息を呑んだことに、さりゅは気づかなかった。


「ユークちゃんと遊べなかったのは残念ですけど、今日のところはおうちへ帰ったほうが良いと思います。ホテル、取ってます? この街、治安の差が激しいから、夜になる前に宿泊できるところを見つけた方が良いですよ」


「フーアーユー? ……どちらさまデスカ?」


「あ、わたし水上小百合と言います。ユークちゃんの友達で……」


「ユークの友達……。サユリ……。ユリ……」


 ユークがさりゅの元へ駆けつけるより、数秒ほど早かった。


 リリー・タイガーは顔を覆っていた手をゆっくり下ろす。

 俯いていた顔をあげると、そこには涙の痕すらない嬉しさいっぱいの顔でにっこり笑うリリーがいた。


 嘘泣き!


 白い両腕がひっしとさりゅの身体を抱きしめた。大人っぽいムスクの香りがリリーの首元からふわりと立ち上る。突然の出来事に、目を白黒させているさりゅにお構いなく、リリーは先程と変わらないハイテンションでまくしたてる。


「サユリ! スモールリリー! こんなワタシを気にかけてくれるなんて、なんと優しい少女デショウ! おまけにワタシと同じ“リリー”の名前が入っているなんて、運命的な出会いだと思いまセンカ?」


「えっ、何? どういうこと?」


 混乱するさりゅに向かってユークが手を伸ばす。その前に、リリーがくるりと向きを変え、さりゅを覆い隠してしまった。


「行きまショウ、サユリ!」


「い、行くってどこへ!?」


「モチロン、遊びにデスヨ! 写真映えするスウィーツを食べ、ウィンドウ・ショッピングをしたあと、カフェテラスでグッド・ルッキング・ガイをウォッチしまショウ! 夜はガールズパーティーからのクラブで踊り明かしマス! レッツゴー!」


「でっ、でもっ! わたし、この後、部活がっ、部活がっ……きゃぁぁぁぁ~っ!」


 さりゅの腕を強引に引っ張るリリー。勢いに飲まれ、ほとんど引きづられるようにしてさりゅも駆け出す。


 ピンヒールをもろともせず、砂埃をもうもうとあげながら走り去るリリーの跡を、すぐさまユークも追おうとした。

 しかし、どこから現れたのか屈強な男たちが追跡を阻むように立ちふさがった。


 迷彩服を身にまとった、スナーク隊の軍人たちだ。


 手ぶらだが、シャツやズボンの内側からうっすらと銃の影が浮かんでいる。


 ユークは引き返さざるを得なかった、絶対にリリー・タイガーの思うようにはさせないと硬く決意して。


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