第2話

「これがチェックしていただきたい依頼文書です」


 場所は変わり、法務部の居室にて。


 対面に腰掛けた飯沼が畏まった態度で軽く会釈して、一枚の書類をすっと差し出した。


 辻村は書面を上からなぞるように文字を目で追っていく。


「どれどれ……。なるほど、『21年度年末棚卸 立会監査実施に関する依頼』か……」

「そういや、いつもなら棚卸しで調達の若手メンバーは出払ってる時期だったな」


 辻村の右隣から書面を覗き込んでくる久留がそんなことを呟いて、目を細める。


「……それが今年はコロナのせいで製造委託先に行けないから、これか」


 久留の言葉に、飯沼がこくりと頷く。


「まだ出張制限も解除されてませんし、製造委託先でもちらほら感染者も出てるってことで、特別許可申請も取れないので……。例年なら僕らが現場に行って棚卸をするんですけど、今年はさすがにって話になりまして……」


 電化製品や精密機器はなにもすべて自社工場で製造しているわけではない。OEMに代表とされるように、他社に製造を委託しているケースはままある。その際、製造コストを抑えたり特注品を製してもらう目的で、特注の工機や部品を委託先にタダで支給したり貸し出したりする。


 そうして貸し出したり支給したものは基本的に総合電機工業の資産だ。勝手に転売されたり委託先が他の製品を製造するときに使われないよう、定期的に現品管理チェックや消耗具合の連絡を受け、時期が来れば資産の棚卸しを実施することになる。


 普段なら調達部門のメンバーが総出で委託先をまわって棚卸をするのが相場。けれどコロナ禍とあっては出張や外出、他社への訪問もままならないというわけだ。


「まぁ、そりゃそうだろうな。にしても大変だな、こんなタイミングでこんな通知を受け取る側は」

「一応、こういうことになるかもしれないって話は10月あたりからメールなんかで連絡してあるんで、変なクレームがくることはないと思いますけど」

「そりゃあ当たり前の対応だよ。年末まであと数えるほどしかないのに前振りなしでこんな通知受け取った日にはクレームどころの騒ぎじゃないって。火消しに法務が呼ばれるのも勘弁だよ」

「そういうわけで、この書面でもって正式な依頼……みたいなことになるんですけど、前々から予告はしてあるので、あくまで形だけって認識です。そうはいっても書面は法務にチェックしてもらえってうちの主任が言うもんで……」

「あー……金城さんか」

「ご存じでしたか」

「まぁ、昔も今も散々世話になってるから。なるほどね」


 どこか納得がいった様子で、久留は再び書面に目を落とす。


「……この書面、いつ出す予定なの?」

「……3日後」

「おー……、そいつはなんともまぁ急な話だな、ほんとに。金城さんが慌てて法務に見てもらえって言ったクチだ」

「そうなんです。うちの課長は必要ないって言ってたんですけど、そうは言ってもこういう依頼内容の書類は初めて出すので、しっかりチェックしてもらうべきだって金城さんが部内を説得しまして」

「なるほど……。それで飯沼があたしのところに来た、と」

「ほんと、急な話で申し訳ないんですけど、お願いできますか? この場で判断できるようならすぐ持ち帰りますし、明後日までであれば猶予あるので」

「……なら、ちょっと預からせてもらおう。辻村、チェックできるか?」

「ビジネス文書は初めてですけど、やってみたいと思います」

「俺がダブルチェックするから、体裁はあんまし気にしないでいいわ。抜け漏れとか、書かないほうがいい内容があるかとか、そういう観点でチェックして」

「わかりました」

「すいません、こんな年末に」

「もうちょっとだけ早く持ってきてくれりゃあこっちも多少は余裕ができるから、次回からこの手の相談はできる限りASAPで話してくれればありがたいかな。金城さんにはあとで確認したいことがあるからメールするって伝えておいてくれるか?」

「了解です。それじゃあ、よろしくお願いします!」


 憑きものが落ちたような清々しい笑顔を浮かべて去っていく同期の背中と見送って、辻村は背もたれに身体を預けて天を仰いだ。


「じゃあ、明日の午前までに辻村の回答を見せてくれるか?」

「……了解です。そういえば久留さん、調達の人に聞くことがあるって仰ってましたけど、なんなんです?」

「それも明日教えてやる。まずは自分なりに考えてみな」


 そう言って、久留もまたデスクに戻っていく。

 会議スペース一人残された辻村は、手元に残された紙っぺらを睨んだ。


「……帰る途中でビジネス文書の書き方って本、買うかな」

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