後編
桜井のような人間でさえ、自分の意思でというよりも、流されるままに進学という道を選んだことに落胆した。しかし八つ当たりをしてトボトボと歩いているうちにもう一つの感情が芽生えていた。
私は安堵していた。
桜井でも何となくで生きているんだと知って。
親近感が沸いて、桜井が腰かけたベンチで彼女のすぐ隣に座った。
桜井は動じていないようだ。
「生駒は高校生活、楽しかった?」
桜井は視線を川面に向けたまま私に問いかけた。
私も前方へ目を移すと、厚い雲にわずかに隙間ができて、日が薄く差し込んでいた。光は川面に差し込み、キラキラと鈍い輝きを反射させていた。
「まずまずだったかな」
「あんまり学校来てなかったのに?」
「それも含めて、まずまず」
桜井は腑に落ちない様子で私の方を見た。
「具体的にどう楽しかったの?」
「どうって、皆がやってないことをやる、とか?」
我ながら恥ずかしい回答だ。ただの中二病である。しかし桜井は興味深く、続けて続けてと訴えてくる。
「まあ、その、なんだ。毎日がエブリデイで、刺激的というか。そういう桜井はどうなんだよ」
「私も楽しいことだらけだったわ。むしろ楽しいことしかなかったぐらい」
そう言い切った桜井は誇らしげに前を向いた後、視線を川面に向けた。その目は遠くを見ていた。具体的には私たちが歩いてきた川下の方へ。
薄くなっていく雲は大きな亀裂を生み、眩しいほどに西日が私たちを照らしていた。水面は白く光り輝いて目を細めないと直視できない。
「お気に入りの制服を着て、友達とダベって、イベントも勉強も全力で楽しめた」
普通の制服だろとか勉強が楽しいわけないだろとか、ツッコミどころは多いけど、彼女の誇らしさと寂しさの混じった声が私の口を塞ぐ。
「ねえ生駒」
「なに?」
桜井はふっと息を吐いて、疑問ではなく願望を口にした。
「もう一回…………高校生になれないかな」
ポツリとこぼしたその言葉は間違いなく彼女の本音だった。
桜井は高校生活に囚われているのかもしれない。
責任感の強い桜井が、自分の進学のことをまるで他人事のように語っていたから。
「今度は私も生駒みたいに、不良とかやってみたいな」
「なにそれ。桜井にできんの?」
「あはは、無理かも」
「じゃあ言うなよ」
空想話を披露した桜井はクスクスと今日初めて笑った。改めて桜井は美人だなと思った。そういえば、笑っている桜井を見るのは初めてだった。ずっと笑っていればいいのに。
「大変だったんだよ。生駒たちが文化祭サボるせいでシフトが回らなくてさ」
「悪かったって。……そっか私たちのせいか」
桜井の笑顔を奪っていたのは、非行を繰り返す私だった。でもその反省は必要ないみたいだ。
「ううん。生駒みたいな人ウチの高校にはいなかったからさ、刺激的だったよ。特に生駒は何回言っても、合唱コンクールの練習も体育祭の練習も来なかったし」
「体育祭のダンスは校舎の屋上から見てたぜ」
桜井の細い腕が私の二の腕を小突いた。彼女は笑っているせいで力が入らず、全然痛くない、むしろこそばゆい。
桜井にほだされて私の力も抜けていく。
「生駒は彼氏とか作らなかったの」
「唐突の恋バナ。……いなかったけど。桜井は?結構告られた方なんじゃないの」
「なんか男子って気持ち悪いのよね」
「なんじゃそれ」
よね、と言われても。
それから私たちは高校生活を振り返って色んなことを話した。
入学してすぐの時のこと。一年生の時のこと。順を追って、途中で遡ったり巻き戻ったり。
将来のことは、あえて全く口にしなかった。多分桜井もそうしている。
西日が傾くころには太陽を遮るものはなくなって、茜色の空はもう夜を待つばかりとなっていた。一年で一回の特別な夜が近づいている。
まるで日の入りが高校生活の終わりのように感じて、ぞわりと寒気がした。
「三学期は自由登校だね」
桜井がそう呟いた。
私は答えることができず黙ってしまう。
「毎年、三年生はほとんど登校しなくなって、教室は空っぽになるらしいよ。授業も全部自習だし」
「へぇ」
目を背けていた未来に、桜井は進む。
クラス全員で集まるのは三学期の始業式と卒業式ぐらいらしい。
「嫌なのよ」
「嫌ってなにが?受験?」
「みんなと会えなくなるのが。もっとみんなと楽しみたい」
「……もしかして今日のクラスの打ち上げに行かなかったのは」
「推薦組はもう春休み気分だし、センター試験組は受験勉強の息抜き。そんなちぐはぐな場所に行って楽しめると思わないわ。……でも、もう楽しかった頃には戻れないのよね」
そう言って桜井はおもむろに立ち上がり、人気のなくなった夕暮れの空に向かって大きく息を吸った。
「高校生活、終わってほしくなーい!」
その声は川の流れとともに消え去っていった。
そんなちっぽけな叫びで時間は巻き戻らないし、タイムリープをすることもできない。
だけど桜井の想いの強さを計り知ることはできた。
私も大きく息を吸う。桜井よりも想いを強く示すために。そして恥ずかしさや外聞を気にせず叫ぶ。
「進路どうしよおおおおお!」
桜井のそれを遥かに上回る大声を聞き、彼女は手を叩いて爆笑していた。クシャッと閉じられた目からは涙が少し出ている。
つられて私も笑う。
最後のクリスマス、共鳴した笑い声が紺色の空の下で響き渡った。
―――
「ねえ生駒、三学期は学校に来て」
帰りの電車では体を寄せ合って座った。シートに同時に腰を下ろした途端、同時に「はあぁ」とため息をつく。シンクロしたのがまたおかしくて、目を合わせて笑い合った。
「行けたら、行くよ。でもすることないじゃん」
「私に勉強教えなさいよ。学年主席でしょ」
「桜井、私が一切勉強してないのわかって言ってるでしょ」
「進路探すのとか手伝うわよ」
それから桜井と連絡先を交換した。知沙希とも連絡先は交換していないから、これが高校で初めての友だち追加だった。
桜井にクラスラインぐらい入れとドヤされたけど、高校生活もあともう少しだからと断った。
だけどその、桜井と一緒にいるであろう「もう少し」の間に、たとえ答えが出なくても将来と向き合おうと思う。ついでに桜井の高校生活に悔いを残させないようにしてみせよう。
程なくして桜井は眠った。うつむいて行き場なく揺れているその頭を、後ろから手を回してそっと私の肩に寄せかかた。
「よろしくね、桜井」
クリスマスの後、もう少しだけ。 れも @lemo_cola
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