閑話 アカリ視点(2)
「今日は来てくれてありがとう。どうぞ、楽にして」
「ええと、はい」
ヘンリー殿下に言われて、温室に置かれたテーブルを囲んで腰掛けた。
学校の中にこんな場所があるなんて、知らなかった。
色とりどりの花が咲いていて、緑もたくさんあって。思わず深呼吸したくなるような空間だった。
「薬学の先生と親しくてね。時々ここを貸してもらっているんだ」
「素敵な場所ですね……!」
「そうでしょう?」
ヘンリー殿下が嬉しそうに笑う。仕草の一つ一つが煌びやかに見えて、なんだかすごく、貴族の人って感じがした。
貴族の知り合いなんてルーカスしかいないけど……ルーカスからは、こういう立ち居振る舞いから滲み出る高貴なオーラみたいなもの、感じたことがない気がする。
やっぱり王子様って、普通の貴族の人よりすごいのかな。それとも、ルーカスが貴族の人っぽくないのなかな。
……なんとなく、後者の気がした。
ふと、またルーカスのことを考えてしまっていた自分に気がついた。
ふるふると首を振る。ルーカスなんて知らない。
自分でも何故だか分からないけれど……ルーカスが「行かないで」って言ってくれなかったことが、すごく嫌だった。
いつものルーカスなら、きっとそう言ってくれた気がするのに。
王子様のお付きの侍女さんが、お茶を出してくれる。
きっと高級なお茶なんだと思うけれど……私には、よく分からなかった。
寮の食堂でジャンとルーカスと一緒に飲むお茶のほうが、美味しく感じてしまう。
今更だけど、すごく分不相応なところにいるように思えてくる。
王子様と1対1でお茶会なんて、編入する前の私が聞いたら倒れてしまいそうだ。
ちょっと悔しいけれど……ルーカスが一緒に来てくれていたらな、と思った。
「ルーカスは、君に会って変わったね」
「え?」
王子様から話しかけられて、私は目を丸くした。
まるで私が、ルーカスのことを考えているって分かったようなタイミングだったから。
「以前の彼はもっと、気位が高くて……人を寄せ付けないようなタイプだったもの」
「えっと……そう、なんですか?」
相槌を打ちながらも、頭の中に疑問符が浮かぶ。
私の知っているルーカスは、最初っから気さくで、人懐っこくて、お調子者で……だから、そうじゃないルーカスが想像できなかった。
「君と一緒にいる彼は、とても楽しそうで、生き生きしていて。あんな彼は初めて見たよ」
王子様の話を聞けば聞くほど、この人の話すルーカスと、私が知っているルーカスは同一人物なのかな、という気がしてくる。
だってルーカスは、いつも楽しそうだもん。
誰といるときでも、うるさいくらい生き生きしていて、楽しそうで。それがルーカスなんだと思っていたから。
もし――王子様から見て、私と一緒にいるルーカスが、他の人と一緒のときより楽しそうに見えているなら――それは、嬉しいなと思う。
「だから、どんな子なのか興味が湧いて。無理に誘ってしまって、迷惑だったかな?」
「いえ、そんな、迷惑だなんて……」
私なんか、とか、すみません、とか。咄嗟にそういう言葉を言いかけて、思いとどまった。
少し躊躇ったけれど……正直に、自分の気持ちを口に出す。
「……迷惑では、ないですけど。ちょっと、困りました」
「はは、そうだよね。ごめん」
王子様は気分を悪くした様子もなく、朗らかに笑った。
それを見て、ほっと胸を撫で下ろす。
同時に、肩が軽くなったような気がした。何か重いものが、なくなったような。
無理矢理押し込められていたものが、ふと緩んだような。
いつもそうだった。自分の思ったことを口に出すたびに、不思議とそんな心地がする。
そしてそのたびに思い出すのは……私が「言ってみよう」と思うきっかけをくれた人の顔だった。
「私がこうして、自分の思ったことを言えるようになったのは……ルーカスのお陰なんです」
「ルーカスの?」
今度はヘンリー殿下が目を丸くした。
青色の瞳は、ルーカスと同じだ。そう気づくと、緊張がほどけていく。
いつもにこにこ笑って私の話を聞いてくれる人の、ふにゃりと細められた瞳を思い出す。
「私、ついつい流されちゃうというか……頼まれると断れないし、私が悪いのかなとか思っちゃって……嫌だと思っても、それを上手に口に出せなくて」
テーブルの上の紅茶に視線を落とす。
今だって、王子様を前にして、自分の気持ちを話しているなんて、不思議な気分だ。
「でもルーカスが言ってくれたんです。困ってるなら困ってるって言って、って。助けるからって」
目を閉じると、その時のルーカスの言葉も、声も。はっきり思い出せる。
そのくらい私にとっては衝撃的で……それで、とても大切なことだったから。
「もっと我儘言っていいんだよって」
そう言ってくれた彼の笑顔を思い出すと、胸がぎゅっと締め付けられるような気気持ちがした。
ああ、どうして私、ルーカスに怒ってしまったんだろう。
彼の言葉は、いつも私の背中を押してくれたのに。
「そんなの無理、言えるはずないって思ったけど……でも。一度言ってみたら、世界が変わったんです」
あの時の経験は、言葉では言い表せない。
急に目の前がぱっと開けたような。
世界が色鮮やかになったような。
そんな衝撃だった。
今まで私は、半透明の何かを隔てて、一歩後ろから自分を見ていた気がする。
ずっと、ずっと。自分のことのようで、自分のことでないような。そんな感覚があった。それに違和感も持たなかった。
すべてが他人事のようで……私がどう思うとか、何を感じるとか。
そういうことは、何かこの世界には関係ないものだという気がしていた。
私がしたいこと、したくないこと、嬉しいこと、嫌なこと。そういう気持ちは、世界にとって必要がないものだと思っていた。
だけど、違った。
「ああ、私は嫌だったんだ、とか。こんなことを考えていたんだ、って。変な話ですけど……口に出してみて、それを初めて実感したっていうか。私には私の気持ちがあっていいんだって……自分の足でしっかり、この世界に立ってるんだって。そんな気がして」
それに気づかせてくれたのは、ルーカスだ。
一歩踏み出したら違う世界があるって……こんなに世界は広くて綺麗だって。教えてくれたのは、ルーカスだ。
そして、自分の足で立った私と一緒に歩いてくれたのも――ルーカスだった。
これから先、ずっと。一緒に歩くのは、ルーカスがいい。
「そう思ったら、何だか不思議と勇気が湧いてきて。……きっと前の私だったら、お茶会に誘ってもらっても、ここで縮こまってるだけだったけど――今は貴方から、ルーカスの昔の恥ずかしい話とか聞き出しちゃおうかな、なんて、考えていたりするんです」
「はは」
私の言葉に、ヘンリー殿下が声を上げて笑った。
少し話しすぎてしまったかもしれない。
自分の意見じゃなくて、ただ私の気持ちを聞いてもらっただけになってしまった気がする。
恥ずかしくなって俯くと、頭の上から王子様の声が降ってきた。
「君は、ルーカスのことが好きなんだね」
「……え」
「あれ? 違った?」
顔を上げると、きょとんとした顔の王子様と目が合う。
何か返事をしようとしたけれど、うまく言葉が出てこなかった。
だってすとんと、腑に落ちてしまったのだ。
そうか。
私は、ずっと。
「……いえ、違いません」
小さく首を振る。
こんなに簡単なことに、どうして私は気がつかなかったんだろう。
触れたときにどきどきしたり。
褒められて嬉しくなったり。
誰かと親しそうな様子を見て、寂しくなったり。
他の男の人とのお茶会に行くのを、止めてほしかったり。
一緒にいるのが当たり前になって……これから先もずっと、一緒にいるのが当たり前だったらいいのにって、思ったり。
それは全部、全部。
ルーカスが好きだからなんだ。
王子様の目をまっすぐ見つめる。小さく息を吸って、吐いて。私は自分の気持ちを言葉にした。
「私、ルーカスが好きです」
言葉にしてみると、やっぱりすとんと腑に落ちる。
頬が熱くなる。心臓の鼓動が早くなる。きゅっと胸が締め付けられる。
でも、嫌な感じはしなかった。
むしろ……何だか嬉しいような、どきどきわくわくするような。そんな気持ちだった。
私の言葉に、王子様はすぅっと目を細める。おもちゃを見つけた猫みたい、と思った。
侍女さんが近寄ってきて、空になったカップに紅茶を注いだ。
「なるほど。それじゃあ僕も張り切っちゃおうかな」
王子様は、何故だかとてもうきうきした様子で、悪戯っぽく微笑んだ。
「とっておきのルーカスの恥ずかしい話を教えてあげよう」
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