第3話 「あれ? 俺何かやっちゃいました?」という定型文

 3人揃って教室に入ると、その瞬間に空気がピンと張り詰め、鋭い視線が突き刺さった。


 一緒に教室に入ったアカリちゃんとジャンに向いているのだろうが、傍にいるだけの俺ですら震え上がるような、冷たくて刺々しい視線だ。


 わぁ、嫌だなこれ。俺、こういうの苦手なんだ。

 俺と同じ雰囲気を2人も感じているようで、立ちすくんだまま動かない。


 振り返って2人に向き直り、その肩を押して廊下に戻った。

 そして後ろ手にそっとドアを閉める。


「どうしよう2人とも。空気めっちゃヤバい」

「ちょっと! 任せとけはどこにいったんすか!?」

「ええ、誰だよそんな無責任なこと言ったやつ……」

「アンタっすよ!」


 うん、知ってる。

 ついでにジャンは知らないだろうけど、俺は俺が無責任なやつだってことも知ってる。


 ドアを少しだけ開けて、中の様子を窺った。こちらを見てヒソヒソやっている連中の姿が見える。

 ああ、ヤダヤダ。こんな空気。


 もう知らん。どうせ夢だし、すぐに覚めるだろう。あとは野となれ山となれだ。


 覚悟を決めて、ドアを勢いよく開け放った。

 集まった視線を振り払うように、深く息を吸う。必要以上に大きな声で、2人に話しかけた。


「よーし、それじゃあジャン、俺が早弁しないように見張っててくれよ!」

「は!?」

「アカリちゃんも! 何か困ったことがあったら俺に聞けよな!」

「え!?」


 バシバシと2人の背中を叩いてから、大股で自分の席に向かう。

 おお、さすが足の長さが現実の俺とは大違いなだけあって、あっという間に席に到着する。気まずい時間が短くなって助かった。


 顔を上げると、2人に向いていた視線が今度は俺に向いていた。

 それは突き刺すような視線ではなく、奇妙なものを見るような視線だ。


 ああよかった、これならまだマシだ。胃に穴が開くかと思った。

 ぎすぎすしたの、嫌いなんだ。


「ご、ご機嫌よう、ルーカス様」


 隣の席の女の子が挨拶をしてくれた。


 ルーカスに負けず劣らずのキラッキラツヤッツヤの金髪が目に眩しい。長くてカールしている分、ハイライトも大盤振る舞いだ。

 睫毛がばっさばさの目許も相俟って、いかにも「お嬢様」という感じである。道理で「ご機嫌よう」とか言うわけだ。


 なるほど、挨拶は良好な人間関係の基本だもんな。

 夢とはいえ、出来るならアカリちゃんたちだけでなく、クラスの皆ともうまいことやっていきたい。


 俺も出来るだけ愛想よく笑って、返事をする。


「おー、おはよー」


 ピシッとまた教室内の空気が固まった。

 ふらりと隣の女の子が後ずさる。


 「あれ? 俺何かやっちゃいました?」という定型文が喉元まで出かかった。

 人生で言うチャンスはそうそうないと思うので、言っておけばよかったかもしれない。


 女の子はそのまま後ろに控えていた2人のお友達に回収されて、俺から距離を取る。

 3人でひそひそ言っているのが聞こえてきた。


「どういうことですの!? ルーカス様が挨拶を返してくださるなんて……それにあの前髪は一体……?」

「それにずいぶんと気さくなご様子……これはやりましたわ、ソフィア様! ついにルーカス様と親しいご関係になれるときが!」

「あの怜悧で高潔、他人と馴れ合うことをよしとされないルーカス様が、あのように朗らかに……さすが、婚約者候補筆頭と目されるお方!」

「そ、それは周りの方が勝手に仰っているだけで、わたくしは別に、……」


 何やらきゃいきゃいやっている。女の子と言うのは、どこであっても三人寄ると姦しいらしい。


 俺の名前が漏れ聞こえてくるのを聞くにつけ、どうも俺の話をしているようだ。


 れいり。

 レーリって、どんな字だ。スマホがないって不便だなぁ。


 高潔も正直言ってどういう意味かはっきり説明できないが、「他人と馴れ合うことをよしとしない」の部分は理解できた。

 ゲームのルーカスは基本的に他人にツンツンしていたからだ。


 3時間待たせた相手に「馬鹿」とか言う時点で推して知るべし、といった感じだが、台詞で何回「フン」と言っているのを見たか分からない。

 もし同じクラスになっても絶対友達になれないタイプだと思う。ていうかいなさそう、友達。


 プライドがエベレスト級っぽいし、周りの人間見下してる感じがするし。

 学校帰りにマックとか行かないだろうし、コンビニでバイトとかしなさそうだし。あとイケメンだし。


 そんなデフォルトのルーカスに対して、俺こと新生ルーカスはまったくツンツンしていない返事をしてしまった。それで驚かせてしまったのだろう。


 これは申し訳ないことをした。

 今からでも少しツンツンしておいたほうがいいのかもしれない。


「か、勘違いしないでよね、あんたに挨拶したわけじゃなくて、皆に挨拶したんだからねっ!」

「はい!?」


 ……言う前から薄々勘付いてたけど、これ違うな。少なくともルーカスのツンツンの方向性じゃない。


 確かに馬鹿とか言いそうな口調だけど、これは「あんた馬鹿ぁ?」の方のやつだ。


 男のツンツンって何だ。口数少ない感じ?

 だとしたら俺には無理だな。無理無理。

 よし、諦めよう。人生諦めが肝心だ。


 クラスメイトの皆さんには申し訳ないが、早いところ新生ルーカスに慣れる方向で頑張っていただくしかない。


 程なくして先生が教室に入ってきた。転入生としてアカリちゃんとジャンが紹介される。

 また一気に教室内の空気がピリつき出した。

 この空気、無理。耐えられない。尻がかゆくなっちゃう。


 針の筵状態の紹介が終わるや否や、俺は一人でも大喝采と言わんばかりに拍手をした。


 ちなみに拍手を刷るときは、手をふわっとした形にするのがおすすめだ。すごくいい音が鳴る。

 コンサートの最後に立ち上がって「ブラボー!」と叫ぶ人がする拍手みたいな音が出る。

 出たところでなんだという話だけど。


 アカリちゃんが驚いた顔でこちらを見ている。ジャンにはフナムシを見るような目で見られた。


 先生が聞こえよがしにわざとらしい咳払いをしたので、拍手をやめる。


 クラスメイトは誰も拍手をしてくれなかった。

 何だよ、ノリ悪いな。

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