第50話 お侍さん、高みを知る

 タイメンは鳥獣戯画にでも出てきそうな、筋骨隆々の巨大な蜥蜴トカゲだった。これまでに出逢った種族の中で最も人間離れした姿をしている。


 七尺二.一m近い上背に加え、頭部が小さく見えるほどに盛り上がった筋肉の鎧。二の腕の太さなどは黒須の太腿を悠々上回っているだろう。全身をさびのような赤銅色の鱗に覆われ、手には水掻き、金色の瞳に縦に裂けた瞳孔、頭には角のような突起まである。


 酒盃を片手に気さくに話しているから他種族と認識したが、正直、森でばったり出会でくわしていたら魔物と思って斬ってしまいそうな見た目の人物だ。


「Eランクのクロスだ。よろしく頼む」


 挨拶を交わし、勧められるままに黒須も向かいの席に腰を下ろす。


「クロス、お前よその街から来た冒険者だろ? 今のナバルにゃ依頼はねーよ。だからオレもこうやって昼間っから酒なんか飲んでんだ。ヒマなんだよ」


「アンギラから今日着いたばかりだ。いつもはもっと依頼があるのか?」


「ここ最近の不漁の話は領都にゃ届いてねーのか? 島亀アスピドケロンが沖に居着いちまってな。水棲魔物の討伐依頼が全滅だよちくしょう。あ〜あ、オレもアンギラみたいな都会に引っ越してーなー」


 悪態を吐きながらタイメンは豪快に酒をあおった。唇も頬もないように見えるが、一滴も零すことなく器用に口に運んでいる。


 黒須は珍獣の食事風景を眺めている気分だった。


「島亀とは何だ。魔物か?」


「冒険者のクセに知らねーのかよ! 海に馬鹿デケー島があったろ? あれがSランクの島亀って魔物だ。あっちこっち好き勝手に移動する迷惑な亀野郎だよ」


「────冗談だろう? あれが、魔物だと?」


 港から遠目に大きな島が見えたが、木々が生え、山や崖さえあった。とても生物には見えなかったし、あんなにも巨大な魔物が存在するとは俄に信じ難い。


「冗談だったらいいのになー。アイツは基本こっちが手ぇ出さなきゃ無害なんだけどよ、近くを舟が通ると大暴れする、癇癪かんしゃく持ちの女みてーなヤツだ。他のSランクもそうだが、まさに動く災害だよ。どっか行ってくれるのを待つしかねーんだ」


「………………」


「んー? どうしたよ? おーい」


 黒須は絶句して何も言えなかった。山を斬ろうとするようなものだ。挑もうと思うことすら馬鹿馬鹿しい。


 そして何よりも、冒険者に登録した時のディアナの説明を思い出していた。


『冒険者ランクとは同級の魔物を単独で倒せるかどうかという目安になっている』


 つまり、Sランクの冒険者は────あれを一人で倒すことができるのか?


「……すまん、少し驚いてしまった。では、あれを倒すにはSランクを呼ぶしかないのか」


「バッカ、お前! あんなん倒せるわきゃねーだろ!! Sランクってのは確かにバケモンみてーに強いって話だが、"偉業を成した英雄"に与えられる称号なんだよ。冒険者ランクは戦闘力だけで上がるもんじゃねーって、登録の時に聞いたろ?」


「依頼の達成率や本人の素行、冒険者ギルドへの貢献度、だったか」


「そうそう。例えば聖国にゃ"聖女"って呼ばれてる冒険者がいるが、ソイツは当代随一の治癒の奇跡で大勢の命を救ってSランクに認定されてる。だけど、本人は極度のビビりで小鬼ゴブリンすら殺せねーって話だぜ。逆に魔物のSランクってのは"討伐不可能な魔物"の総称で、純粋な戦闘力だけで評価されてる。何百年も前に一体討伐されたって噂は聞いたことあっけど、それだっておとぎ話みてーなもんだ」


「…………そういうことか」


 安堵したような、落胆したような、複雑な心境だ。


 もしあれを倒せる者がいたとすれば、それは自分よりも遥かに格上。比べるのも烏滸おこがましい雲の上の存在だろう。そんな相手に挑んで死ねたなら、武士として本望だったろうになと思う。


「だからさっきも言っただろー? あの亀野郎が心機一転して旅に出てくんなきゃ、オレはずーっとここで飲んでるしかねーんだよ。オレの財布と肝臓のためにも、早いとこ出発して欲しいもんだ」


 タイメンはボヤきつつ机にべったりと突っ伏した。黒須は投げ出された頭部についている角に触れてみたい欲求に駆られたが、どうにかそれを我慢する。


「確かに港町で舟が出せんのは辛いな。外で売っている魚介は浅瀬で獲ったものか。あれはいつから沖にいる?」


「今年に入ってすぐだから……。もう一年近くになるんじゃねーか? だいたい三年以内にゃ移動するらしいんだけどなー。島亀より先に、冒険者が他の街に移住しちまったよ。オレもついて行きゃーよかったぜ」


「それもそうだ。冒険者ならさっさと他所の土地に行けばいいだろうに。アンギラもここから馬でたったの二日だぞ」


「そうなんだけどよー……。オレら蜥蜴人はどっちかってーと水場の方が活動しやすいんだよなー。見ろよ、この素敵な水掻きと立派な尻尾。こんなん陸地じゃ役に立たねーよ」


 タイメンは自分の身長の倍ほどもある尻尾を持ち上げて見せた。尾甲──と呼ぶのだろうか。トゲトゲした鉄のびょうがついた革鎧のような物で先端を覆っている。


「そうなのか? その尻尾、振り回せば十分攻撃に使えそうに見えるが」


「人族はよくそれ言うけどな、尻尾だって手足と同じで攻撃されりゃー痛いんだぜ? 魔物に噛みつかれたら泣くわ」


 タイメンはペラペラとよく喋り、アンギラの様子や迷宮の話などを聞きたがった。見かけに依らず……。と言うと失礼だが、頭の回転が速く、打てば響くといった会話のできる男で、意外にも話は弾んだ。


 結局、互いに酒を呑みながら日が傾くまで雑談を交わし、色々と情報を教えてもらった礼に代金を奢って黒須はギルドをあとにした。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「……………………」


 行きがけに通りがかった港で繋船柱に腰を下ろし、夕陽に照らされた沖の島をじっと観察する。


 やはり、どこをどう見てもただの島だ。黒々とした樹木がこんもりと生い茂り、白波の打ち付ける崖の途中には、幾本かの滝が糸を垂らすように降りて水煙を上げている。魚の背鰭せびれのように突き出した岩礁には所々に巣があるらしく、大量の海鳥たちが自由気ままに飛び交っていた。


 タイメンからはこちらをたばかろうとするような害意は微塵も感じなかったが……。かつがれたのだろうか。


 半信半疑の脳裏にチラつくのは、ある伝説の神獣の存在。


 かの有名な竹取物語に、姫が求婚する公達きんだちどもへ出す無理難題の一つとして"蓬莱山ほうらいざんの玉の"という財宝が登場する。


 その蓬莱山を背負うとされるのが万年を生きた大亀。瑞獣ずいじゅう霊亀れいきだ。


 幸運をもたらす四神四霊は美術品の題材としてありふれた物のため、黒須も生家の掛軸に描かれた水墨画で何度もその姿を拝んでいる。しかし、眼前に浮かぶ島はそれとは全く似ても似つかない外観で─────


 と、次の瞬間。


 崖下の海面に巨大な渦潮が発生した。そしてそれが収まったかと思うと、まるで海中が大爆発したかのような凄まじい轟音と共に、水柱が噴き立つ。天にも届くような水しぶきが上がり、遥か遠くにいる黒須の頭上にも雨のように降り注いだ。


「────まさか」


 咄嗟に立ち上がって周囲を見渡すが、住民や釣り人たちは迷惑そうな顔をしているだけで、大騒ぎする者は誰一人としていない。明らかに、この異様な状況にだ。


 一瞬、攻撃かと思い身構えたが、これは…………


 島へ向き直り、改めてまじまじと凝視する。


「────呼吸、したのか?」


 もし舟に乗っている時にそばであれが起きたなら、大型船であっても確実に海の藻屑になる。それどころか、水軍の船団であっても一撃で壊滅するに違いない。


 タイメンは島亀を討伐不可能と言っていたが…………

 万が一この町に襲い掛かってきたら、一体、どんな手段で対抗できるだろうか?


 すでに黒須の中であれが魔物であることは確信に変わっていた。領地を守護する武士の習性によって、ありとあらゆる手段を思い浮かべては否定してゆく。


 弓や鉄砲はおろか、大砲おおづつを百門並べた所で意味があるとは到底思えない。


 しからばどうにか舟で上陸し、直接頭部を狙う他ないか。

 いな、頭が水中にあれば手の出しようがない。


 油を撒いて火計を仕掛けるべきか。

 否、ただの呼吸があの威力だ。本気で暴れ始めれば近づくことすらできはすまい。


 ならば────……


 黒須は潮水でびしょ濡れになったことを気にも留めず、腕を組んで考え込みながら帰路についたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る