第3話 お侍さん、ゴブリンに遭遇する

「グギャッ! グギャギャッ!」


 この森に迷い込んで初めて人と出逢ったのだが、どうにも様子がおかしい。黒須は木陰から進行方向にいる生き物をじっと見つめ、その正体を考えていた。


 子供のように小柄な人物が五人、車座くるまざになって鹿しからしき獣を食べているのだが、どう見ても生のまま素手で臓物を喰らっている。両手と口元を真っ赤にしながら楽しげに血肉をすする様相は、さながら地獄絵図に描かれる餓鬼のようだ。とがった耳に鷲鼻わしばな乱杭歯らんくいば、肌は土左衛門どざえもんのような色をしており、粗末な腰蓑こしみのだけを身につけて意味の分からない言葉で会話しているように見える。


 森に暮らす貧民────転場テンバ箕直ミナオシと呼ばれる山窩サンカ民族という奴か?


 これまでに一度も出逢ったことはないが、連中は農耕せず、定住せず、山地を漂泊して独特の隠語を話す山の民だと噂に聞いたことがある。下界には滅多に降りず俗世との関わりを持たないため、我々とは全く異なった文化を持つと言われているが…………。


 飢饉ききんにでも襲われているのか、あの体の大きさを見るに日頃まともに食えてはいないようだ。久々に狩りが上手くいき、火をく時間も惜しいと空腹に任せて獲物に喰らいついたという所だろう。


 黒須も雨の降る山中で飢えた時、火打袋ひうちぶくろ湿気しけてしまって上手く火が起こせず、捕まえた蛇をそのまま生で喰らったことがある。普段なら決して食べようとは思わないが、あの時の自分にとっては懐石料理ごちそうに勝るとも劣らない美味に思えたものだ。


 などと少々的外れな親近感を抱きつつ、木陰から出て声を掛けてみることにした。


「もし、そこの者ら。食事中にすまない。少し道を尋ねたいのだが」


「「「「「グギャッ!?」」」」」


 食事に夢中だったのだろう。男たちは声を掛けられて初めてこちらの存在に気が付いたようだった。


 …………まずい、おどかしてしまっただろうか。


 百姓ひゃくしょうどもにとって、二本差しとは尊敬の対象であると同時に恐怖の対象でもある。気性の荒い武士が町中で人とぶつかり、その場で無礼討ちにしたなどという噂は市井しせいではよく語られている話だ。故に、武家を見慣れていない田舎ほど帯刀した相手に対して過剰に怯える者が多く、黒須も何度か目の前で腰を抜かされた経験がある。実際にはいかに武士であろうと、余程の事情でもない限りそのような傍若無人な振る舞いは許されないのだが。


 どうしたものかと頭を悩ませていると、五人は立ち上がり、駆け足でこちらに向かって来た。その手には武器のつもりだろうか、木製の棍棒が握られている。


「待たれよ、俺は怪しい者ではない。武者修行の旅の最中でな、薄汚い風体ふうていだがお前たちの食料を奪うつもりはない。ただ、道を訊きたいだけだ」


 怯えられぬよう精一杯穏やかに語り掛けたつもりだったが、ついに男たちは棍棒を振り上げて襲い掛かってきた。その動きには連携も何もあったものではなく、こちらに殺到するあまり互いに体をぶつけ合っているような有様だ。


「グギャッ!!」


 力任せに振り回すだけの棒振りに術理じゅつりなどは微塵も感じられず、足捌きだけで攻撃を躱す。相手方の背格好も相まって、傍から見れば子供がじゃれついているようにしか見えないだろう。


「よさんか。俺は金目の物など何も持っておらんぞ」


 黒須は努めて冷静に諌めようとするが、男たちの攻撃の手は緩まる気配がない。こちらの言葉を理解しているのかどうか分からないが、とにかく、聞く耳を持っていないのは確かだ。


「やめよと言うに」


「ブギャッ!」


「グギャ!? グギャギャ────ッ!!」


 口で言って分からないのであればと、近くにいた者を軽く蹴り倒してみたが、仲間をやられて逆上したのか、更に攻撃が激しくなってしまった。飢えた狂犬のような眼付きでぎゃあぎゃあと耳障りな気炎を吐き散らしている。


 このまま適当にあしらうことは造作もない…………が、ここまで無遠慮に殺意をぶつけられると、さすがに少々腹が立つ。


「貴様ら、いい加減にせよ。この二本差しが見えんのか。俺もそこまで気が長い方ではないのだ。これ以上続けるのであれば、斬るぞ」


 低い声を出して脅してみたが、男たちの行動に変化は見られない。一体何がそんなに嬉しいのか、楽しげな奇声を上げながら何度も何度も棍棒を振るってくる。


 五人がかりの攻撃を余裕で躱されているのに、彼我ひがの戦力差が理解できんのか? 兵法者へいほうしゃでもない者を斬るのは気が進まないが……。こちらの警告に耳を貸さない以上、これはもう、致し方あるまい。


 黒須は頭を切り替えると、抜刀と同時に先頭にいた男の首をねた。続けて、返す刀で隣にいた者を袈裟けさ斬りにする。


「「「ギャッッ!?」」」


 突然仲間を斬られて驚いたのだろう。驚愕の表情で硬直する残りの三人も、それぞれ一刀のもとに斬り捨てた。


 血振りした刀を手ぬぐいで念入りに拭いつつ、彼らの遺体を前に今後のことを考える。


 やむを得なかったとは言え、五人も斬ってしまった。こういった閉鎖された場所に住む村人は取り分け仲間意識が強いことが多い。それに、相手は恐らく山窩というよく分からない民族だ。このまま立ち去って、周辺の住民に勘違いで報復でもされてしまうと後味が悪い。斬り殺した当事者である以上は厄介事になるのは目に見えているが、せめて事情を説明して遺体の場所を伝えてやるくらいはした方がいいだろう。


 黒須はそう決意すると、腹を裂かれた鹿の死骸に歩み寄った。


 きっと彼らの村にとって、これは久々に得た貴重な食料に違いない。遺体は数が多いから運べないが、村に着いたら人手を借りて迎えに行ってやろう。


 腰に巻き付けていたたすきを使い、鹿を背にきつく縛り付けていく。担いでしまった方が楽だが、武士たる者はいつでも刀が抜けるよう常に両手は空けておかねばならない。

 体を揺すって鹿がずり落ちないかを確認してから立ち上がると、臓物が抜かれているためか見た目ほどには重くはなかった。この程度なら動くのにも問題はなさそうだ。


「さてと、村はどっちだ?」


 黒須は捕手術とりてじゅつの一環で追跡の手法も一通り身に付けており、幼い頃には実践訓練として山で獣を追った経験も数え切れないほどある。

 男たちは大人数で移動していたため、足跡や散らされた落ち葉など、そこら中に痕跡が残っていた。町中では難しいが、森の中であれば足取りを追うことなど容易たやすい。


 早速不自然に折られた枝を発見し、その方向へと足を向けた。

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