2 答え合わせ・上
みたきは、俺が手に持っている如意宝珠――砕け散った後だが――を指す。
「あなたは、これを韮沢瀬名さんからもらった。そうでしょう?」
「……ああ」
「これはそもそも神庭の家の蔵にあったもの。ふふ、便宜上如意宝珠なんて呼んでいたわね。とても珍しいもので、ひとつしかないの。どうして彼女がそれを持っていたかなんて、明白よね?」
それは。
みたきの蔵に行ったからで。
みたきが生きている間は、これを渡すはずもなく。
いつ行ったのかといえば。
それはもちろん。
「しかも彼女、これをお守りだって言ってあなたに渡したでしょう? 連続失踪事件が起きている真っ只中に。明らかに効果に――ラネットについて知っていないと、できない行動よね?」
「でも、瀬名がみたきを殺すわけ……」
「ふふ、被害者が犯人を教えるだなんて、こんなに分かりやすい話はないのよ?」
それは、そうだった。被害者の言葉は、絶対的だ。
「だったらもっといいことを教えてあげましょうか。あのね、彼女がやったのはそれだけじゃないのよ。韮沢瀬名が今まで何をしてきたか、あなたはそろそろ知らないといけないわ」
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「そもそもね、孝太郎くん。朝霧さんが襲われた話を聞いた時点で気づいて然るべきでしょう。まさかまだ彼女を信じていられるなんてね」
みたきは黒い椅子から立ち上がる。
「私のシンパが起こした連続失踪事件……『方丈記』の見立て殺人というわかりやすい符牒があったから、すぐにわかったでしょう。でも、きっとそれに当てはまらない行方不明者が何人か――いえ、何割か、いたはずだわ」
彼女が歩くたびに、パンプスの硬い足音が世界の狭間に響く。
みたきは俺の目の前に立つと、言った。
「持っているでしょう? 連続失踪事件の被害者リスト」
「……ああ」
俺は携帯電話を取り出す。
尾上にPCからデータを送ってもらって、被害者リストを入手していた。それを表示させる。俺が書き加えた、『方丈記』になぞらえた箇所のメモも添えている。
1
→風烈しく吹きて
2
→しづかならざりし夜
3
→都のたつみより
4
→いぬゐに至る
5
→朱雀門
6
→大極殿
7
→?
8
→大學寮
9
→?
10
→?
11
→?
12 アビゲイル・リンド 女 19歳
→?
13
→民部の省まで
14
→?
15
→樋口富の
16
→かりやより
17
→扇をひろげたるが如く
18
→吹きまよふ風に
(19
→すゑひろになりぬ)
「明らかに、見立て殺人に当てはまらない被害者が何人かいるわね」
みたきはくすくすと笑う。クエスチョンマークが打たれた数人のことを指していると、すぐにわかった。
「しかも、何になぞらえたか不明な被害者は全て女性なのは、単なる偶然じゃないでしょう? その上、全てあなたと同じ学年で――もっと言うなら、知り合いと来た」
「……ああ」
やけに顔見知りの名前があるわけだ。
「あなたは、この推理の穴を無視した。気付かなかったのか、それとも気付かないふりをしていたのか」
「…………」
「見立て殺人とは別種の殺人が行われているのは、歴然よ」
……確かに、俺は無視した。それでも、犯人にたどり着くことはできたから、それ以上考えなかった。
「『方丈記』になぞらえた見立て殺人と、あなたの知人友人を殺して回る殺人……この事件は、ふたつの殺人が入り混じっていたのよ。そして、あなたにしか解けない事件だわ」
俺のように古文――『方丈記』に詳しい人間でなければ、見立て殺人だということには気付かなかっただろう。
さらに、俺の知人友人なんて、俺が一番よく知っている。
俺がもっとも真相に行き着きやすい事件だったということだ。
まるで、あつらえたかのような。
「ねえ、孝太郎くん。もしかしてあなたにはもうわかっているんじゃないかしら? もうひとりの犯人が」
その問いに、すぐに返答することは難しかった。この話の流れでは明白だったが、易々と口には出せなかった。
「当ててあげましょうか? あなたの頭に浮かんでいる名前を」
目の前の嘲弄するような笑みを見て、俺はしぶしぶ応える。
「……韮沢瀬名、って言いたいのか?」
「そうよ」
楽しくて仕方がないとでも言いたげに、みたきは笑う。
「見立て殺人に当てはまらない被害者は全員、韮沢瀬名が消したの。言っておくけど、行方不明者はそのリストで全部だと思わないで。当然まだ事件扱いされていないものもあるわ。そういえばあなた、最近連絡が取れなくなった知人がほかにもいない?」
「…………」
瀬名が、殺した? 彼らを? どうして?
「瀬名はなんでそんなに……」
「当たり前でしょう? 私を消して……それだけで済むと思う? 一度消してしまったんだからもう彼女に良心の制約はないわ。気の済むまで続けるでしょうよ。ふふ、
瀬名がそんなに多くの人を殺していたはずがない。何の証拠もないじゃないか。如意宝珠を持っていたことだって、なんとでも説明がつくんだし。
「瀬名は、そんなことできるような子じゃないよ。すごく出来た子なんだ。虫も殺せないくらいに。ラネットについても何も知らないし。そんな子がどうして人を消すなんてできるんだ? 俺は瀬名のことをずっと昔から知ってるんだ。小学生の、ときから。瀬名の性格はよくわかってるよ。昔はそっけないところもあったけど、根は優しいし、今は角も取れてあんなに気立てがいいじゃないか。真面目だし、しっかりしてるし、気配りができる。ちゃんと他人のことを考えられる人間だよ。そもそも瀬名とは一緒に住んでるんだから、何か怪しい行動をしたらすぐにわかるよ。わからないはずないじゃないか。みたき、悪い冗談はやめてくれ」
「……あなた、変わったのね」
一息でしゃべり終えた俺を、みたきは冷めた目で見る。
「朝霧さんから聞いた犯人の特徴に、如意宝珠の不審な譲渡……これだけで疑惑の種としては充分だけど、そうね、もっと教えてあげましょうか」
彼女の口は、更に忌まわしさを振り撒く。
「孝太郎くん、毎晩あなたの携帯電話が韮沢瀬名に覗き見られていたことには、気づいていた?」
「え……?」
「韮沢瀬名は、携帯電話からあなたの友人知人の情報を得て、その人を消しに行っていたのよ?」
見られていた? 瀬名に携帯電話を?
確かに、一緒に暮らしていたら、その機会はいくらでもありそうだが……。
連続失踪事件のもうひとりの犯人は、明らかに俺の友人知人に詳しい。そうでなければ、殺しに行けないのだから。そして、その情報の入手先として、俺の携帯電話はうってつけだった。
みたきは、俺の携帯電話を素早く操作する。いつの間にか画面には、見たこともないアプリケーションが表示されていた。
「な、なんだこれ……?」
「携帯電話の位置情報を取得して、紐付けした端末に送信する、シンプルな位置追跡ね。もっとも、一見してそれと分からないよう偽装されているところが巧妙だけど」
「こ、これがこの携帯電話にインストールされていたのか?」
「ええ。もちろん私がたった今インストールしたわけじゃないわよ。世界の狭間にモバイルデータ通信やWi-Fiなんてものはないんだから」
それは、道理と言えば道理だった。
「あと、この携帯電話が接近すると通知するよう設定することもできるんだったかしら。そういえば朝霧さんが襲われたとき、韮沢瀬名は携帯電話が鳴った直後にその場を去ったのだそうね。なるほど、これで得心いったわ」
わざとらしく驚いて、みたきは手を合わせる。
「……楽しそうだな」
「ふふ、そう見えるかしら」
こんなアプリを俺の携帯電話に仕込める人間。それも、一緒に暮らしていた瀬名である可能性が一番高い、ということか。
「ねえ、孝太郎くん。もしかして、私が嘘を吐いてるって思ってる?」
「……いいや。お前は平然と嘘を吐くけど、今は違うってなんとなくわかるよ」
みたきは、嘘であってほしいときは嘘を吐かない人間だ。それに今の彼女は、人を騙すときの笑顔というよりも、人に受け入れ難い真実を突きつけるときの笑顔だ。
……こんなこと、わからなければよかったのに。そうすれば、瀬名が人殺しなんてするはずがないって否定し続けることができただろう。
「でも、だったら瀬名の動機はなんだ? お前を殺して、俺の友人知人を殺して、朝霧まで殺そうとして……どうしてそんなことを」
「わからないわ。頭のおかしな人の考えることなんて、さっぱりだもの。でも私を消すときに韮沢瀬名は、孝太郎くんのことが嫌いで仕方がないって話していたわ」
「…………」
俺の周囲の人間をわざわざ殺して回る理由としては、それが一番あり得る。
そうか、やはり瀬名は俺のことが嫌いだったのか。しかも、わざわざ人殺しをするなんて並大抵の憎悪ではない。
俺は、瀬名に何をされても仕方ないと思っていた。
あんなにひどいことをした俺を、彼女が恨んでいないはずがないのだから。たとえ毎日ふつうに接していても、きっといつの日か報復されると思っていた。むしろ、そうされて然るべきだ。
とはいえ、みたきを殺したということは、五年前から瀬名は俺を嫌っていたということになる。そんなに昔から憎まれていたなんて。
「ふつう、絶望し時間を止めた人間は、歪みとして淘汰されるの。でも、彼女は消えなかった。生まれたときからあまりにも絶望し続けていたから、その精神は最早歪みではなく常態となっていた。世界に歪みだと認識されないほどに。だから彼女自身は淘汰されない。でも、他の通常の人間は違う。彼女に触れられ、歪みを伝播させられれば、消えてしまうわ。なんという忌み子。周囲に絶望を振りまき続ける存在。さながら現代のメアリー・マローン」
「…………」
「だけどね、話はここで終わりじゃないのよ」
「え……?」
これ以上に、一体何があるんだ? 現時点で、最悪を突き詰めているのに。
幼馴染は、さらに物語った。
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