第一〇話

 もっとも、平家勢とて腰抜けばかりではない。

 他ならぬ、清盛の長男・重盛が、

「我らは勅命を受け出陣しておる。敵陣に怖気づいて引き返すとは何事ぞ!」

 と激昂した。

 赤地の錦の直垂に澤潟威の鎧、白星の兜といういでたちゝゝゝゝである。

 齢一九。為朝より一つ年上でもあり、気負っている。弓を肩に背負い直し、馬に鞭あて今にも飛び出さんとした。

「おわっ、血迷うたかあの阿呆っ……! 誰ぞ重盛を止めよ!! 鎮西八郎為朝に敵わんのは一目瞭然であろうが」

 すんでの所で清盛が絶叫し、周囲が寄ってたかって重盛を制止。辛うじて事なきを得た。

 こうして清盛勢が西の御門を敬遠し、北へと迂回する中、

「たかだか矢の一つに怯えて、尻尾巻いて逃げるじゃと!?」

 と清盛の下知に背く者もいた。山田小三郎伊行という、伊賀の男である。これまた少なからず、腕におぼえがある。

めんか。下らぬ売名行為は無益ぞ」

 と止める仲間らを振り切り、

「我が鎧は五代にわたり、戦に遭う事一五たび。幾度矢を受けようと裏側まで通ったことなぞない。八郎為朝の矢をば一つ請うて、後の自慢話にしてやるわいっ!」

 喚きつつ、為朝の前に進み出た。

「改めて名乗るほどの者ではないが、安芸守郎党にて伊賀国の住人・山田小三郎伊行っ。生年二八っ! 堀河院の御代、嘉承三年正月二六日の対馬守源義親追討の時、故・備前守平正盛殿の御前を駆け回りその名を知られた山田庄司行末の孫である。山賊、強盗を捕縛すること数え切れず。合戦にも度々出陣し名を上げた。御曹司(為朝)のお手前を是非とも見たいものだ」

「名乗りが長いわっ! ほんなこつ、眠気を催したわい」

 馬上、悠々と大あくびを漏らす大男に、山田小三郎伊行はカッとなった。

「喰らえっ!!」

 伊行は素早く弓を引き、弦音つるおと高く矢を放つ。

「ほう。やるな……」

 しかし為朝は、避けもしない。矢飛びを正確に見切っているのである。

 はたしてその矢は、為朝の左側の草摺に辛うじて刺さった。とはいえ自身は勿論無傷である。

「ちっ、外したか」

 すかさず伊行が二の矢をつがえ……る間を与えず、今度は為朝が目にもとまらぬ速さで弓を構え、矢を射た。

 一瞬唸るような音を立て、矢は伊行の、まさに為朝と同じ場所を見事に射抜いた。ただし鞍の前輪を貫通し、鎧の前後の草摺を尻輪に至るまで貫き通したのである。

「どわ~っ!!」

 激痛に、伊行は絶叫した。鮮血が噴き飛ぶ。馬は驚いて伊行を振り落とし、西へと一目散に逃げた。

 逃げた先は、鴨川の河原である。

「ほう。主のおらぬ馬が……」

 鎌田次郎正清という男がそれに気付き、素早く馬の手綱を引き寄せた。

 鞍壺に、伊行の血が溜まっている。

 さらには鞍の前輪が破れ、尻輪にはノミの如くひしゃげた鏃が刺さっているではないか。

 正清は、主である下野守義朝を手招き、

「これはの、西海道の御曹司(為朝)の仕業ではござらぬか」

 と鏃を見せた。

「うむ、どうじゃろうか」

 義朝は首を捻った。

「お前の言う通りかもしれぬが、ただの罠かもしれんのう」

「罠、とは?」

「ふむ。我らを脅し、守りの手薄な西側に我らを寄せ付けぬための、計略ではあるまいか!?」

「なるほど、さすがは我らがお館様。それは思いつきませなんだ」

「戦慣れしたあ奴であれば、それ位の謀り事は思い付くかもしれん。……よし、正清。お前が行って様子を探れ!」

「はっ! 承知っ」

 たちまち正清は、百騎ばかしの手勢と共に東へと駆けた。

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