第四話
「馬鹿め!」
御前より退出し長い廊下を歩きつつ、男は吐き捨てるように言った。
「戦に下賤も何も無かろうもんが! 敗けてしまえば全てが終わりじゃ。程なく兄者が攻めて来るわい。戦に破れた後、『夜討ちは卑怯だ下賤だ! 皇族同士の戦いに
どかどかと荒々しい足音を立てつつ、男はそう吐く。
「ああ、
傍らで父・六条判官為義が頷く。
父子は草鞋を履き、外へ出た。即ちこれから、異様な戦いが始まるのである。
為義が、八郎ら息子数名及び一族らを率いて崇徳上皇方に加わり、それこそ本日昼前、早速総大将に任ぜられた。
しかしその敵方、つまり後白河天皇方の総大将は、他ならぬ
――一族同士の争い
という奇妙不可解な構図は、実はこれだけではない。
例えば
そもそも崇徳上皇対後白河天皇という構図自体が、まさに兄弟対立であり、また双方を取り巻く公家勢力もその多くは藤原氏
何故このような、敵も味方も一族だらけという〝異様な〟対立が生じたのか。
根本的な原因をあらためて探ると、
――天皇とは〝しらす〟者であって、統治者ではない。
という定義に尽きるのではないだろうか。
天皇とは、神の御意思を衆生に知らしむる存在、即ち〝しらす〟者である。宇宙全体の創造や管理に多忙な神に代わり、神を身の内に招じ入れ、その代行を果たす。……それが天皇の役割であり存在意義である。
一説によれば、天皇には〝八慎〟という極めて厳格な自己規律が与えられており、一切の私心を排し神の役割の代行に徹すべし、とされているらしい。
当たり前の話だが、神が、この地上の人々を統治することは無い。
なので、神の代行者たる天皇もまた当然ながら、人々を統治することは有り得ないのである。
日本古来の社会思想は、そういう考え方から発している。そのため政権を運営しこの国を統治すべく、天皇は必ず〝うしはく〟者――宰相――を指名し全てを任せるのである。
藤原氏は、いわばその
天皇の宰相たる地位を、奈良時代以降、藤原氏が実に巧みに独占した。藤原氏が代々、皇室に一族の女子を后として
その上で、藤原氏一族は数百年に及び、自らの先祖らが築き上げた日本の律令制度を、そしてその土台にある日本独自の社会思想を、私利私欲全開で破壊していった。
その間、天皇は藤原氏一族の傀儡でしかなかった。
なにしろいざ即位すると、藤原氏が宰相――摂政や関白――として必ず天皇の背後に居座っているのである。しかも叔父(外戚)という立場でもある。色々と改善すべき政治的課題に気付いても、外戚たる宰相に気兼ねせざるを得ず手も足も出ないのである。
歴代天皇はそれを憂慮するも、自己規律〝八慎〟に縛られている。手足のみならず、口も出せない。
「さて、何か良い手はないか……」
と悩み、
「そうか。さっさと退位し、上皇なり法皇になって八慎の縛りから逃れれば、自ら政治を行えるではないか」
という見事な解決策を見つけ出したのが、白河天皇だと言われている。いや、その前の後三条天皇だったかもしれない。そのいずれかが、現役引退して八慎のくびきから逃れることにより、親政を行うという離れ業を思いついた。それが、
――院政
である。
が、この画期的と思われる統治権獲得術も、意外な欠点を露呈した。
要するに院政を開始した白河天皇(退位し、法皇)が、当時としては七〇代半ばと長生きし、四〇年以上も院政を続けた。続く鳥羽上皇も、二〇年以上院政を
結果として一番割を食ったのが、他ならぬ崇徳上皇だろう。
崇徳上皇は白河法皇の政治的都合により、まだ物心つかぬ数え年五歳で即位。そしていよいよという二十歳過ぎには、鳥羽上皇の思惑により早くも退位させられた。その鳥羽上皇も
その両者を、それぞれ公家勢力が担いだ。
またそれぞれの勢力が、当時台頭した源氏や平氏などの武家勢力を取り込んだ。それがいわゆる、
――保元の乱
である。長く続いた院政のツケを精算する戦い、と言って良いだろう。
その、一方の当事者が崇徳上皇であり、崇徳上皇を中心とする政情に急遽巻き込まれたのが、身の丈七尺の若武者〝八郎為朝〟だった。
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