第一話

 居並ぶ全ての者達が、その男の登場を、固唾を呑み待ち構えていた。

 ――世の安寧を妨げし無法者

 というのがつい数日前までの、その男に押されし烙印である。

 程なく何らかの罪状が示され、処罰される筈だった。今、ざっとこの場を見渡しても、その男の被害者が幾人か目につく。即ち西海道(九州)に荘園を持つ者達である。

 男は、弱冠一二歳の癖して〝鎮西総追捕使ついぶし〟を自称し好き勝手暴れ始め、以来わずか数年で九州全域を我がモノとしてしまった。

の無法者を、どうにか致し給りたく」

 九州の荘園を奪われた者達が一斉に、朝廷に泣きついた。今から一年程前の話である。

 さすがに朝廷としても捨て置けず、男を京へと召喚するが、男は一向に応じない。再三召喚に失敗した後、朝廷はとうとう見せしめとして、男の父親の官位を剥奪した。これには男も衝撃を受けたらしく、慌てて三〇騎足らずの供を引き連れ上京してきた。

 その無法者が、程なくこの、いくさの評定の場へと姿を現す。

「まあ何しろ、事ここに至らば、頼みとなるのはの男のみであろう」

 近々罪人として裁かれる筈であったその無法者ゝゝゝが、父親らと共に、我が方に戦力として加わったのである。迷惑極まりない存在でしかなかった男が、一転、強力な助っ人と化した。誰もが、

「どうやらこれで、我が方にも勝算が見えてきたわい」

 と胸を撫で下ろし、互いに小声で談笑し合っている。まるで通夜のような、昨日までの暗澹たる雰囲気から一変した。

(いやいやいや。まことにまことに、頼もしき者よ……)

 と、男に殊更期待を寄せるのは、他ならぬ、御簾の奥におわす崇徳上皇であった。

 上皇はその男の事を、しかと憶えている。

 何故なら数年前、まだその男が一一か一二の頃、謁見したからである。当時早くも、

 ――海道一の弓取りではあるまいか。

 と、世間はその男の噂で持ち切りだった。上皇周辺の者達も皆、噂に興味を抱き、その父親に命じて男を呼び寄せた。

 はたして上皇の目の前に現れし男は、少し前に元服を済ませたとは聞いているが、まだ頬の丸い色白の少年に過ぎなかった。その癖既に身の丈六尺はあり、大のおとな顔負けの豪快な体格であった事は、いまだに忘れようがない。

「此奴の元服に合わせて式の装束をばこしらえましたるところ、布地が一反ではまるで足りず、随分とたこうついてしまいましたわ」

 わははは、と少年の父親は屈託なく笑った。

「我が源氏重代の鎧〝八龍〟を授けましたらば、これまた窮屈で着られませなんだ。やむを得ず此奴の体に合わせ、八龍そっくりの鎧を後日新たに拵えましてな」

 武家の棟梁として、息子の将来が心底楽しみなのだろう。だが、

「ふんっ。斯様な小童こわっぱが、当代随一の弓取りであろうわけがない」

 当時傍らに居た少納言・信西という俗物が、訳知り顔に少年を貶し水をさした。それに反発した少年は、たちまち噂通りの豪快かつ巧みな武芸の腕を見せつけ、おまけに信西の度肝を抜き彼を無様に這い蹲らせたのである。

 内心、信西の存在を少々疎ましく感じていた上皇が、

(少年よ、良うやった)

 と心中密かに拍手した、あの日の出来事が懐かしい。

 信西らの手前、表立って少年を褒めるわけにもいかず、後にこっそり近習を通じ、自ら一筆したためた扇子を贈り讃えたものである。

 今や新院・崇德上皇は、ふと気付けば、後白河天皇方から、

「謀叛の意あり」

 と見做みなされ、今日明日にもその天皇方と戦が始まる……という状況に陥っている。

 当の上皇にしてみれば、まさに寝耳に水で、何の備えもなく全てが後手後手に回っている。そんな折も折、くだんの男が我が方に加わったというではないか。

(あの日の少年が、今や如何なる若武者に成長せし事やら……)

 御簾の奥にて心待ちにしていると、やがて廊下の向こうからドカドカと遠慮のない足音が響いてきた。そしていよいよ男が顔を現すか、とその足音を聴きつつ誰もが遥か下座に視線を向けた途端。――

 ごんっ、と鈍い音が屋内に響き渡った。

「ぅわ痛ぁ~っ!!」

 ゆうに七尺はあろうかという巨大な男が、ふすまの鴨居へ頭をしたたかに打ち付け、額をおさえてその場にうずくまった。

 一同、騒然となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る