新星の武器庫(カルテット)

椎堂かおる

新星の武器庫 本編

第1話

 砂丘を見下ろす断崖のはしに、腹ばいに寝そべって、エル・ギリスは頬杖をつき、残る片手に握った遠眼鏡を、時折思い出したように覗いていた。

 その姿を睨みながら、もうそろそろ我慢の限界だと、スィグル・レイラスは思った。

 武装して、この断崖に兵を潜ませ、なにひとつ遮るものもない炎天のもと、こうして待っている。喉も渇けば、汗も流れるし、なにより苛立ちが募った。

 自分が行くといってきかなかったことを棚に上げ、スィグルは思った。

 これが王侯のやるようなことかと。

 これ、とは、鉱山から黄金を運び出してくる馬車を、そろそろ襲ってくるはずの、盗賊たちの群れを待ち伏せすることだった。

 グラナダ周辺は黄金の産地で、それに加えて何種類かの宝石も産出される。その採掘と交易が、長年この都市の、地道で外れのない主産業だった。

 鉱床からの産出量は申し分なく、スィグルを微笑ませるに足る豪勢さだったが、問題は、精錬して延べ棒にした黄金が、専用の輸送馬車で運ばれる途中に、横から何者かに時折失敬されることのほうだった。

 また盗まれました、という連絡に、日毎に目に見えて苛立ちが募り、ある日とうとうぶち切れた。それが昨日のことだった。

 輸送馬車には守備隊がついており、警備に抜かりはないはずが、なぜか敵にやっつけられ、まんまと金塊を盗まれる。

 なにをやっているんだと、宮殿で怒り狂っていても、埒があかない気がした。

 そんな神経症気味の領主の姿を見たエル・ギリスは、自分が行こうと言ったが、じゃあ行ってこいと英雄に命じるだけでは、どうしても気がすまず、スィグルは領主自らご出陣することにした。

 いちいち輸送馬車を自分で守りに行く訳にはいかないのは、考えるまでもないことだが、どうしてグラナダ市の守備隊が、盗賊ふぜいに手もなくやっつけられるのか、この目で見なくては気が済まない。

 そんなわけでの、炎天下の待ち伏せだった。

 王族のための軍装は、きらびやかなのはいいが、とにかく目立つ。それに重かった。邪魔だから、後ろのほうに引っ込んでろとギリスに言われた。

 こんな金襴刺繍の馬鹿みたいな鎧を、かつて勇猛に戦っていたはずのご先祖たちは、本当に戦場で着ていたのかと、突然疑わしく思えてきた。父リューズは時には兵を率いて先陣を切ったというが、その時本当にこんな鎧を着ていたのか。

 どう考えてもこれは、武装というより、芝居の衣装みたいなものだった。見た目の華麗さは文句の付け所がなくても、敵の刃や、飛んでくる矢を凌ぐのに、本当になにかの足しになるものなのか。

 それともギリスが言うように、王族なんてものは、せいぜい兵たちの邪魔にならないように、大人しく後ろに引っ込んでいろということなのか。

 苛々しながら考えると、その答えは、猛烈に不愉快だった。

 スィグルは実用的な武装を纏って、崖上の砂地に片膝をつき号令を待っている、守備隊の兵士たちを馬上から眺めた。

 遠距離からの待ち伏せということもあって、その大半は弓兵だった。黒く塗られた弓を携え、矢筒にたっぷり詰めた矢を背に、長い黒髪を編んだ姿の兵たちは、どこか暑さにのぼせたような顔で、おとなしく座している。

 もしかして、そろそろ、水でも飲ませたほうがいいのじゃないかと、スィグルは思った。なにしろ頭がぼうっとするほど暑くて、喉が渇いているし、自分がそうなら、彼らもそのはずだ。

 兵に水をやれと、ギリスに声をかけようとした。彼が副官だったからだ。

 しかしそれがスィグルの口をつくより先に、ギリスが突然身を起こし、静かに潜むようにして、崖の中程まで戻ってきた。

「現れた」

 スィグルにそう伝えるギリスは、涼しい顔をしていた。

 彼が氷結術を操れる魔導師だからか。常人が暑い時でも、こいつは実は涼しいのかと、スィグルはギリスの神経を疑った。

 案外そうかもしれなかった。ギリスは苦痛を感じない体質なのだというから、たとえ暑さを感じたとしても、それがつらいということに、すぐには気づかないほど、救いようもなく鈍いのかもしれない。

「盗賊か」

 スィグルはそういう恨みの籠もった目で、英雄を見つめて確かめた。

「輸送隊に、合図を送らせよう」

 ギリスは頷いて答えた。陽動のための輸送馬車を、そろそろ出そうということだった。

 そのために待たせていた兵に、スィグルは視線をやって、命令を実行するよう促した。

 兵は鏡を持っており、ここから離れたところ待機させてある金塊の輸送馬車へ、ありあまる太陽の光を反射させて、簡単な光信号を送るのだった。

 ギリスが見たものが、見間違いではないかと確かめさせる気は、なぜか不思議と起きなかった。ギリスは目がいいようだし、こういうことには抜け目がない。人をだまくらかす時機をはかることにかけて、悪党ヴァンギリスの右に出るものがいるとも思えない。

 しかしちょっと、軽率だったかと、スィグルは思った。

 自分の目でも、確かめてみるべきだったか。

 兵たちに、領主レイラスはなんでもかんでも副官任せで、さすがは竜の涙の英雄たちに全て丸投げの、阿呆の王族のおひとりだと思われたら、耐え難い不名誉だから。

 しかしもう、命令を取り消してやりなおしている間がなかった。

 スィグルがしばし迷ううちに、砂に埋もれそうな石畳を蹴立てて、金塊を乗せた馬車がやってくる音が聞こえてきた。

 それを耳にしたギリスが、許可を求める目でこちらを見たので、スィグルはそれに頷いた。ギリスは軽く頷き返して、兵たちを崖端に並んで膝をつかせ、弓に矢をつがえさせた。

 そろって眼下を見下ろすギリスと、兵たちの視線が、ゆっくりと何かを見つめ、その動きを追っているようだった。

 おそらく、輸送馬車を見ているのだろう。

 彼らには見えているのに、自分にだけ見えないものに、スィグルはまた、腹の底が灼けるような苛立ちを感じた。

 王族というのは、まったく、どうしてこうも不自由なのだろう。

 うっかり死んだら困るからと言われ、こうして後ろに引っ込められてばかりで、まるでお荷物みたいだ。

 卑しい盗賊の討伐くらいで、僕が死ぬわけないだろうと、スィグルは内心で毒づいた。根拠のない自信だった。それに根拠がないことは、自分でも分かっていた。無意味な見栄というものだ。

 王族の血は神聖で、敵の矢が避けていくという話は、詩人たちが創作した真っ赤な嘘で、皆喜びはするが、信じている者は大馬鹿者だ。

 あまりの暑さにへこたれ、実は自分は、本当は馬鹿なのではないかと、そんな気までしてきた。

 もしも次回があったら、こんなお人形さんの鎧はやめにして、もっと実用的な軍装を用意させよう。それがいい。どうせこれは待ち伏せで、敵に姿を見られるわけではないし、たとえ見られたとしても、名だたる敵の王族や将軍と、歴史に残る戦場で相まみえるわけではない。たかが盗賊なのだから。見栄えなんぞくそ食らえだ。

 スィグルがそう結論したときに、戦いは始まった。

 ギリスが命じて、兵に弓を引き絞らせた。

 それを目にして、スィグルはもう引っ込んでいられなくなった。

 愛馬アイレントランの腹を踵で撫でると、馬は従順に領主を崖はしまで運んだ。

 兵の背ごしに、スィグルは眼下を見た。

 輸送馬車はまっしぐらに街道を進んでいた。守備隊の兵の馬は、それにぴったりと寄り添っていた。

 そこをめがけて、砂丘を駆け下りてくる砂牛を駆る者たちの群れが見えた。ある者は鎧を纏い、ある者は気ままな非武装で、彼らは弓に矢をつがえ、そして放った。

 矢はまっしぐらに飛び、そして眼下を行く守備隊の兵の顔を射抜いた。

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