第二九話 謀略と錯綜

 画鋲の天板、ハイブエンの最上層、中心に聳え立つビル群。

 “新梺一丁目”は、国の行政を司る役所の集合体として機能している。

 街路樹の鮮やかな緑は、気品豊かな街並みを照らし出す。


 護国楼に次ぐ高さを誇る王都警察庁も、この新梺一丁目にあった。

 定地上228メートル。実力組織の権威を象徴した荘厳なビル。

 その、22階───。


 かつ、かつ、と重たい足音を響かせ、二人の男は固く滑らかな石の床を歩いていく。

 往年の白髪を揺らす背の高い男と、丸眼鏡を掛け直す黒髪の男。

 サカダと五ノ神だ。

 五ノ神は落ち着き払って様々な部署を見渡しながら、廊下を歩く。


 やがて二人は、立ち入り禁止と書かれた扉の前に立つ。

 サカダは無言でドアノブを捻り、薄暗く狭い廊下の奥へ、二人は進んでいった……。


───────────────────


 入り組んだ道の先、その突き当たりにエレベータが鎮座する。

 一つしかないボタンをサカダが押すと、速やかに扉が開いて、廊下を明るく照らした。

 二人は乗り込んで、“B10”と“B11”しかないボタンの、“B11”を押す。

 ゴウンと動き出すエレベータ、電気がチカリと明滅して、下へと下がっていく……。


「両前腕及び、右下腿の欠損……ですか」

「彼は最新鋭の強化人間ですよ───」


 手元のディスプレイを見ながら、五ノ神は呟いた。

 サカダは寡黙な表情のまま、口を開く。


「これ以上の戦力を、割くべきだろうか」

「君はどう思う」


 サカダの言葉に、五ノ神は答える。


「当然、投入するべきです。……“二千計画”まで、猶予はあります」

「───自分としては、このまま黙っていられませんよ」


 常に温厚な五ノ神の表情に、今は何かが宿っていた。

 サカダは軽く腕を組んで、静かに考える。


「忠告しておこう」

「強化人間への同情は不要だ。目的を見誤る」


「目的ですか」


「冬崎アカゲの安全を確保し、我々が保有する」

「───来るべき時に備えて」


「やはり……“最大の保険”ということですね」


「ああ、そうだ」

「灰の娘の力は示された。この状況、“待つ”のも得策と言えるかもしれない」


「待つ……ですか?」


 チン、と到着の音は鳴り、扉は開く。

 地下11階。その最奥……。

 扉の上には、特別集中治療室の文字。


「───我々がどう動くべきか」

「それを今から、彼の報告を聞いて判断する」


───────────────────


 時を同じくして、護国楼。

 定地上307メートルの天を掠める塔であり、最大のビル。上界の中枢、日本の心臓部。

 夕日を煌びやかに浴びて、ハイブエンの中心で輝いていた。


 ここはその50階。

 偉そうなスーツに身を包んだ、痩せ型で初老の男性が、窓の外を見下ろす。

 部屋の綺麗な薄型テレビからは、夕方のニュースが流れている。

 画面右上のテロップには「下界落とし後に冤罪発覚 司法へ疑念」とある。


『え、無罪だったんですか?なんか、申し訳ないけど……ちょっと見た目が?ガラ悪そうだなって思ってたんで。ちょっと……びっくりです』


 インタビューに答える主婦が言う。


『警察や?裁判所は、何やってんのって話ですよねえもう。国民が働いて納めた税金の行く先が?ダメですよホント、人を殺しちゃあ!いかんでしょ!』


 怒り気味の中年サラリーマンがカメラに向かって答えている。


『また、大手フードカンパニーであるシェパード食品代表、犬咬トヨヒデ被告が暴行容疑で起訴された事件にも、思わぬ波紋が……』


 低い声の男性ナレーターが読み上げた後、とあるシェフのSNSでの呟きが画面一杯に映し出された。


『“冬崎アカゲさん”の件で、私個人に対する誹謗中傷は辞めて下さい。これ以上エスカレートするのであれば、“告訴”も考えています。』


 初老の男性は振り返り、女性秘書に語りかけた。


「司法の信用が落ちたね。まさに大混乱。裏でサカダ君が引っ掻き回したおかげだ」

「いやあ、概ね予想通りとはいえ……こっちとしても、かなり痛む損害だよね」


 秘書はスクエアフレームの眼鏡を持ち上げ、そのようで。と申し上げた。


「下、見てたんだけどさ。ウジャウジャいるよ、今日も」


「デモ団体ですか?」


「そう!まるで、デモの見本市だねここは」


 目元を細めて朗らかに笑うこの男。

 ───役職は、“内閣総理大臣”。

 彼はまた窓の外を見下ろした。


「夏山内閣ノ解散求ム」

「労働者に住む場所の自由を」

「立憲君主制国家反対、私たちは国王の奴隷にならない!」

「居住区の拡大、下界開拓と復興を」

「夏山ヤメロ!」

「夏山ゴミ」

「カス山」


 うーん、と夏山総理は唸った。


「こっからじゃプラカードの文字とか読めないけど、いつも賑やかだから全部覚えちゃうんだよね」


「総理、あまりお気になさらず」


 ハハハと笑う夏山。


「僕はね、日本国民を愛しているんだ。全ての国民が手を取り合える世界を、僕は目指していきたい」

「例え苦言でもね、愛する人々の言葉は僕にとって輝かしい道に他ならないよ。ともあれ、心配してくれてありがとうね」


「そうですか、安心しました」


 テレビから声が聞こえる。


『異例の措置として、鋲郭中央テレビも協力のもと、無線に乗せてメッセージを送る取り組みも……』

『え〜もしね、冬崎さんが、このぉ……無線にね、気付いて、気付いたら……大支柱の、内外警備隊にね、接触して。無事ぃ、帰国申請をしてもらえることをね、願うしかないですねぇ……』


 ふくよかなコメンテーターが喋る。

 夏山は、にこやかに振り向いた。


「たぶん死んでるよね、彼。だってもう一週間以上経ってる」


「そうですね。炭化生物は凶暴ですから、存命は絶望的かと」


「無駄だよね、こんなことしても」

「彼はもう国民じゃないんだ。国民でなければ、人ではない」


 微笑みながらロマンスグレーをかき上げて、一息つく。


「まさかここまで落とし甲斐があるなんて思わなかった。サカダ君、随分必死そうだもんね!アレ面白いよねえ、笑っちゃうよねえ」

「───彼、一体何者だと思う?」


「……私的な推察を避けるため、データベースの経歴情報から一部抜粋して返答させていただきます」

「護国楼営第二工学研究所所属時代、“明星”開発での功績が認められ主任研究員に昇格。その後“過記憶理論”の研究に熱を注ぐが、研究の中止を受け退職。その後フリーランスのジャーナリストとして活動開始。経歴は以上ですが……」

「第二工学研究所に入所する以前のデータが、何者かによって全て削除されています」


「研究員の頃から、彼は明らかに普通じゃなかったよね。サカダ君と同じ真っ白な髪の毛でさ、次から次へとテクノロジーを吸収、発展、応用しちゃうんだもの。……そして素性も掴めない」

「───サカダ君と何か“繋がり”があるかもしれない、そう考えるのは容易い事だよ。仮にそうじゃなくても怖いよね!だから研究を辞めさせた。職もね」


 夏山はゆっくり歩き出して、ラグジュアリーな部屋をまわり始めた。


「まあいいや、それより今考えるべきは……」


「“笠山ホールディングス”……ですか?」


「正解。……もちろん旧地復興事業は喜ばしいことだ」

「しかしね、民間企業の集合体が力を持ち始めると……折角温めておいた狩り場が危険だ。───“下界連合”の存在が明るみになるのは、我々にとって死活問題だよ」


「では、いよいよ収穫の時期でしょうか」


「そうだね!……“セ特”の出番だし、彼女に会いに行こうよ」


「今からですか?連絡します」


 女性秘書は、ピンクのガラケーを取り出してナンバーを押し、電話をかける。

 一秒も経たぬうちに繋がった。


『こちら、政府特務隊。ご用件を伺います』


「総理秘書の長谷川です。今から、総理が向かいます。土見さんはいらっしゃいますか?」


『ドミなら、いつでもおりますよ。伝えておきます』


「助かります。それでは」


 電話を切って、夏山に告げる。


「大丈夫みたいです」


「ありがとうね。じゃあ行こうか」


 長谷川は、かけてあったコートを夏山に渡す。

 礼を言ってコートを羽織り、部屋のドアを開け、二人は廊下の奥へ消えて行った……。


───────────────────


 一方。

 地下11階、最奥。特別集中治療室。

 機械治療が行われる、秘匿された施設。


 地下10階、11階の存在を知る者は限られる。庁舎の中で、サカダだけが保有を許された階層である。


 稼働中のランプが消え、待機中のランプが点灯したその部屋に、サカダと五ノ神は訪れた。


「───申し訳ありません。冬崎アカゲの救出に失敗しました」


 ベッドから上体を少し起こすようにして報告するヴァンキッシュ。

 治療が終わって落ち着いたようだが、ツキの攻撃によって綺麗に切断された腕や脚は、相変わらず空白を残していた。

 痛々しい姿で起き上がろうとする彼を、五ノ神は支えた。


「ダメですよ、無理しちゃ。重症なんですから」


 サカダは厳かにヴァンキッシュを見つめ、尋ねる。


「両前腕と右下腿、及び各武装の回収は」


 俯くヴァンキッシュ、激しい死闘を思い出す。


「灰の娘の猛追激しく、欠損部位並びに各武装の回収に失敗、戦闘記録の報告を最優先事項と選定。回収ポッドを要請、帰還に至ります」


「そうか」


「まさか、あなた程の強化人間が圧されるなんて……」


 五ノ神は、あらかじめヴァンキッシュが提出した戦闘データを眺めながら、頭を捻っていた。


「灰の娘の戦闘力は未知数。特に気を払うべきは、灰の娘の“右眼”です」


「報告にもありますけど、その……“右眼”というのは?」


「灰の娘の右眼、推定───“電機義眼”……」


 む、とサカダが反応する。

 自らの右眼瞼を触り、深く縦に刻まれた傷を触る。


「サカダ殲滅局長のものと、恐らく同じ型式であると判断しました」


「……そうか」


 サカダが考え込んでいる。

 身に覚えがないからだ。

 ……彼女は一体、何者だ?


「電機義眼を持つ娘……ですか」

「サカダ局長と、何か接点が……?」


 サカダは困惑する。


「───すまないが、私は知らない。記憶に無い」


 電機義眼というアイテムを通して、何らかの関係性が浮かび上がろうとしていた。

 ツキと、サカダ。

 ツキは、単なる復讐者なのだろうか。


 特別集中治療室は、沈黙に包まれた。

 ……そして、サカダが口を開く。


「真に電機義眼を装着しているのであれば、その戦闘能力にも納得できる」


 その言葉に、五ノ神が冷静な顔をして言う。


「まさに、危険な存在ですか」

「……このまま放っておけば、こちらも痛手を被るのでは」


 ツキの手からアカゲを救出するために、さらなる戦力の投入を提案する五ノ神。

 それに待ったをかけたのは、ヴァンキッシュであった……。


「───冬崎アカゲ救出に関して、進言します」


「何だろうか」


「二千計画を控えた今、灰の娘という不明瞭な強敵を前に、戦力を欠けさせるのはよろしくない」

「今は、待つべきではないでしょうか」


 深追いをせず、待つのが得策だと述べるヴァンキッシュ。

 これは奇しくも、エレベータでサカダが語った言葉と同じである。

 徹底的に潰すのではなく、今は傍観するべきであるとの意見に、サカダは訊いた。


「それは、彼らへの同情か」


 ヴァンキッシュは答える。


「いえ。冬崎アカゲの保護は、我々が干渉せずとも灰の娘が勝手に行います。そして、保護を遂行するにあたり、灰の娘以上の適任はいない」

「灰の娘は冬崎アカゲを伴い、いずれここまで上がって来ます。……サカダ殲滅局長にとって、その状況が最も動きやすいように考えます」


「───うむ。その通りだ」


 サカダは黒く澄んだ両の瞳を五ノ神に向けた。


「冬崎アカゲの保護は凍結、二千計画の準備を最優先、戦力を温存する」


「どうやらその方がよろしいみたいですね。分かりました」


 五ノ神に向き直り、頷くサカダ。

 明るく笑って、五ノ神はヴァンキッシュに告げた。


「あなたはしばらく安静にしておいてくださいね。ちゃんとした義手と義足を用意するので、完成したらリハビリに入りましょう」

「さて、お食事でも作りますよ。車椅子、乗ってください」


 五ノ神は車椅子を押してきて、ベッドの横につけた。


「ありがとうございます、五ノ神作戦室長」


「……その呼び方、外ではやめてくださいね?もっと砕けていいんですよ」


 にこやかに返す五ノ神。

 ヴァンキッシュを車椅子に座らせ、先に行くサカダの後を押しながら着いていく。

 エレベータの扉が開き、全員乗り込む。

 サカダは“B10”のボタンを押した。

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