慌てん坊のサンタクロースとぼく
南雲 皋
前編/十二月二十三日、木曜日
よく晴れた日だった。
十二月二十三日、木曜日。
いつもと変わらない部屋の中で目を覚まし、そのままぼんやりと寝転んでいたぼくは、人の気配を感じて体を起こした。
「誰かいるの?」
いつもなら、この時間は誰も家にいないはずだ。
それなのに、閉じられた扉の向こうには確かに人の気配がした。
「ねぇ、誰かいるの?」
何度かぼくが呼びかけると、誰だか分からないその人は扉の前に立ったようだった。
ドアノブに手が掛かったのか、少しだけ金属がぶつかるような音がした。
「あのー、開けますけど、驚かないでくださいね? 大きな声とか出されると、困っちゃうんで……」
扉の向こうから聞こえてきたのは若い女の人の声だった。
聞いたことのない声。
泥棒なのかもしれないと思ったけれど、それにしてはやけにていねいだ。
「うん、静かにしてるよ。驚かない」
「約束ですよ」
「ゆびきりしてもいいよ」
「分かりました。では、開けます」
ガチャリと回されたドアノブ。
軋む音を立てながら開いた扉の向こうには、赤を基調としてところどころに白いアクセントのある服を着た女の人がいた。
気まずそうに口の端を歪め、苦笑いにしか見えない笑顔を浮かべている。
「どうも、サンタクロースです」
「えーと、クリスマスは、明日ですよね?」
驚くなと言われたから驚かないようにしていたけれど、色々と驚きすぎて逆に冷静になってしまった。
今日は二十三日。
サンタクロースの仕事は明日の夜のはずでは?
というかサンタクロースって本当にいるんだ。
初めて会った。
しかも、慌てん坊のサンタクロースに。
「いやー、最近のお宅って煙突ないじゃないですかぁ。わたし、今年サンタになったばかりでこっそり家屋に侵入する技術なんてほとんど持ってないし、いざ本番って時に何もできないのはどうなのかなって練習しにきたんですけど……」
「はぁ」
「なんでしたっけ、テレワーク? 最近は家が空っぽになることも少ないんですねぇ。この辺のお宅はどこもかしこも誰かしら在宅で、ここくらいのもんだったんですよ、誰もいなさそうなの。まぁ、キミがいたんですけど……」
「大変なんですね」
「大変ですよぉ〜。このままじゃほんの少しの担当地域内ですら満足に配達できないかもしれません!」
サンタクロース、担当地域とかあるんだ。
目の前でさめざめと嘆くサンタさんの背中を、優しくさすってあげる。
すると、サンタさんはガバッと顔を上げてぼくを見た。
「思い付きました! こっそりがダメなら堂々と行きましょう! 親御さんに挨拶して、お子さんへのプレゼントを預けてしまえばいいんです!」
「なるほど」
「それでその……ご相談なんですけどぉ……私、やや人見知りでして、その……インターホン越しに会話とか、うまくできる気がしなくってぇ……」
「…………手伝いましょうか?」
「えー! いいんですか? ありがとうございます!」
目の前に困っている人がいたら、助けたくなってしまうのはぼくの性質上しかたのないことで。
あまりにとんでもないことはお手伝いできないけれど、インターホン越しにサンタさんの紹介をするくらいのお手伝いなら軽いものだ。
「そういえば、よくここに入れましたね。鍵かかっていたと思うんですけど」
「あ、これくらいのピッキングなら習得済みです!」
「犯罪者!」
思わず後ずさって指をさしてしまう。
こういう場合はおまわりさんに連絡するのがいいんだっけ?
「きゃー! 待って待って! 大丈夫ですわたし人外なんで人間の法律の外ですぅー!」
「人外」
パッと見は普通の人間にしか見えないけれど、本当に人外なのだろうか。
疑わしげに見つめるぼくの視線に気付いたのか、サンタさんは右の手のひらをぼくの前に差し出した。
ころころと何かを転がすように動かされた手のひらの上に、空気の球体のようなものができあがったと思うと、その中に茶色の何かが動いたように見えた。
「えっ?」
その茶色はもぞもぞと動き、あれよあれよと言う間にトナカイになった。
球体の中で走り回るトナカイは、こちらに気付くとぷるぷると首を振る。
「これ、わたしのトナカイちゃんです! ほら、こんなこと普通の人間だったらできないでしょう?」
「たしかに」
「それでは早速、他のお宅にお邪魔しましょう! 家の場所はさっき一通り回ったので分かります」
「はーい」
ぼくはサンタさんの後に続いて部屋を出た。
最初のお宅は、向かいの家だった。
団地の五階、向かい合わせに玄関の扉があって、それだけ。
ピンポーン……
『はい』
「えーと、ク、クリスマスが近付いてきたので、プレゼントを配っています! もらってください!」
『あら、ちょっと待ってね、今出るわ』
「サンタクロースがプレゼントを渡しに来ました」なんて言っても、きっと扉は開けてもらえないだろう。
嘘をつかないようにしながら、子供という武器を最大限利用する。
そんな考えが功を奏し、お隣さんは不審がらずに出てきてくれるようだった。
ぼくの提案した言葉を頑張って口にしたサンタさんは、玄関の鍵が開けられる音を聞きながらぼくを見た。
「キミ、詐欺師とか向いてるんじゃ……」
「手伝いませんよ」
「ごめんなさい」
玄関の扉を開いて出てきた女の人に、サンタさんがプレゼントを渡す。
明日の夜、お宅のお子さんの枕元に、サンタさんからのプレゼントとして置いてあげてほしいというと、中身を確認したいと言われてしまった。
得体の知れないものを枕元に置くわけにはいかないのだろう。
それはそうだと納得したのか、サンタさんはリボンと包装用紙を器用に開いた。
「わ! これあの子が欲しがってたやつだわ! やだ〜、いいの?」
「もちろんです!」
中身は魔法少女の変身グッズだった。
サンタさんはもう一度それを預かり、また器用に包装しなおした。
一度も開けていないように見えるくらい綺麗に包装されたプレゼントを受け取りながら、女の人は少し困ったような顔をして言った。
「何かの、勧誘とか?」
「いいえ! サンタクロースなので!」
「本当に?」
「はい!」
「ふふ、確かに、可愛らしいサンタさんね。本当にありがとう。あの子、きっとお礼の手紙を書くと思うわ。それはどうしたらあなたに届くかしら?」
「え! お手紙! じゃあこの住所に送っていただけますか? あの、切手は貼らなくても届きます」
サンタさんはそう言って、小さなカードを差し出した。
「まぁ、郵便局とも提携してるのね?」
「えーと、はい、そうなんです!」
「分かったわ、ありがとう」
「ハッピーなクリスマスを!」
ぱたりと扉が閉じられ、無言のまま時が流れる。
どうしたのかとサンタさんを見上げてぼくはギョッとした。
サンタさんは小刻みに震えながら、いまにも溢れそうな涙を必死に堪えていた。
「だ、大丈夫!?」
「う、う、嬉しくて〜〜〜〜〜」
結局我慢しきれずに盛大に泣き出したサンタさんを宥めつつ、残りの家も回ることにする。
他の家でもやっぱり中身の確認を求められたが、それ以上の大きな問題は起こらなかった。
どこの家にも母親か父親がいて、誰もいない家はどこにもなかった。
「はー、あっという間に終わっちゃいました! まさか今日中に終わるとは思わなかったです」
「今のおうちで最後ですか」
「はい! あとはキミのお家だけなんですけど、キミのとこはピッキングで入れるので、明日の夜に伺います!」
「あはは、鍵、開けておきますよ」
「おお、それは助かります」
「手伝えてよかったです。どこのおうちも、幸せそうでしたね」
「そうですねー!」
プレゼントを受け取って、子供が喜ぶ姿を想像する親たちの表情は眩しかった。
きっと、明後日の朝に目覚めた子供たちの表情は、それ以上に眩しいのだろう。
「それじゃあ、また明日の夜に会いましょう。あ、いや、もちろん寝ていてオッケーです!」
「鍵開けたまま寝られませんから、お迎えします」
「お迎えされるサンタってのもどうかと思いますが、ありがたいので気にしないことにします」
サンタさんは手を振って、そのまま空気に溶けるみたいに消えていった。
トナカイを見せられるよりも、目の前で消えられた方が人外感はあるな、などと考えながら、ぼくは自分の部屋に戻るのだった。
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