012 オバケのうわさ②

「……おやしき?」

「ああ、それってドールがいっぱい居るっていうあの家のことだろ?」


 いつもより声のトーンをおさえ、ゆっくりとひかえめに話す若いシスターに少女がそう言葉を返すと、代わりにとなりで座っている少年がそれに答える。


「……そう。別名べつめい、´ドール屋敷´。今はそこにはお婆さんが一人で住んでいて、身の回りの事を全てドールにまかせているみたい」

「お婆さん、ひとりぼっちなの?」

「……今はね。昔はドールなんて一体も居なくて、息子夫婦と一緒に皆で仲良く暮らしていたんだって」

「そ、それがどうオバケとつながるんだよ! ……あっ! まさか、そのお婆さんが……」

「違う違う」


 徐々にエスカレートしていく少年をなだめ、若いシスターは先を続ける。


「……一緒に住んでいた息子夫婦にはね、お子さんが一人いたの。いつもニコニコ笑っているような……そんな女の子が。

 その子は大のお婆ちゃんっ子で、ある程度の年齢になっても大好きなお婆ちゃんの側でいつも━━」


 話の途中、若いシスターは何かに気が付いたのか……不意ふいにその口をつぐんだ。


「お、おい……どうしたんだよ……」

「…………」


 急に喋らなくなった若いシスターに、たまらず少年が問いかけるも……言葉は一向いっこうに返ってこず、ただただ時間ばかりが過ぎていく。


「…………」


 と……窓も開いていないのに、近くにあった燭台しょくだいの火が大きく揺らめいた。

 びくりと体を震わせた少女はクマのぬいぐるみを強く抱きしめ、少年からはうひっと頓狂とんきょうな声があがる。


 きっかけは些細ささいなもので……今まで何も感じていなかった食堂の中において、急に現れ始めた一抹いちまつの不安感。


 あの戸棚の影……窓の向こう側の闇……少しだけ開いた食堂準備室の扉……

 窓に何かがうつるのでは……扉の隙間から、何かがこちらを見ているのでは……


 ……嫌な考えばかりが頭をよぎる。


 すると重苦しい空気のなか、若いシスターが無言のまま右手をすぅっと少年の前に伸ばす。

 ひらかれた手のひら。向けられる視線。


「……っ! ……? …………あっ」


 身体を強張こわばらせ一瞬身構える少年だったが、何かに気付いたように小さく声をらすと……


「あーっ! なんだよ、もう!」


 そう言って再びポケットに手を入れ、クシャリと丸まったザラ紙をやや荒っぽくテーブルの上へと置いた。


「やぁ〜っぱり、他にも持ってたわね! 私の鼻はごまかせないんだからっ!」

「……ちぇっ、バレないと思ったのに」


 得意げな顔を見せる若いシスターの手が、ぱっと見ただの紙ゴミにしか思えないようなそれをしっかと掴む。


「う〜ん、このかぐわしいバターの香り……」


 そして丸められた紙の中から、ひとくちサイズの小さなクッキー達がその姿をあらわし始めると……一枚一枚、嬉しそうにながめながらもそれらはすぐに若いシスターの口の中へと消えていくのだった。


「変なとこでおどかすなよー……なあ、リリーもそう思うだろ?」


 クマのぬいぐるみを胸に抱き、椅子の上でその身を小さくさせていた少女が目をぎゅっとつぶったまま、こくりとうなづく。


「…………もうどこにも隠してなぁい?」


 手を止めることなく一度で食べきってしまった若いシスターが、名残なごりしそうな顔でクッキーの入っていたザラ紙を丁寧ていねいに折りたたみながら……目を軽く閉じては自身の鼻を犬のようにくんくんと動かし始める姿を見て、少年はあきれた様にため息をついた。


「食べ終わったなら早く続きを聞かせろよなー」

「他にお菓子の匂いは…………う〜ん…………ナシ、かぁ……」


 がっかりと肩を落とし、しょんぼりとした様子で少年に上目うわめを送る若いシスター。


「今ので全部だってば!」


 悲しげな視線は、そのまま少年の隣へとスライドしていく。


「…………」


 しかし、最後の希望も首を横へと振った少女によってついえ……その場にかすかに残っていたバターの香りと共に、はかなっていった。


「はあ、仕方しかたないかあ……」


 やがて若いシスターは改めて神妙しんみょう面持おももちを作ると、一呼吸おいてからぽつりぽつりと言葉をらし始める。


「……それでね、その子は街の清掃や通りにある花壇かだんの手入れとかにも積極的で、ご近所さんからも評判な自慢じまんのお孫さんだったみたい。お婆さんが出掛ける時には、何処どこへ行くにもお婆ちゃんお婆ちゃんって言いながら付いて歩く姿がとても微笑ほほえましかったそうよ。

 ところがある日……いつも通り二人で買い物に出掛けた市場の一角いっかくで、客寄せもねた商業区主催しゅさいのクジ引きがあったらしいの。

 そもそもがめずらしかったのと、上位の景品が豪華だったのもあって、買い物帰りにお婆さんに一回だけとお願いしてその子がクジを引いてみたら……当たったのはなんと、特賞の家族旅行。それはもう大喜びで、さっそく皆で行こうって話になったんだけど……

 お婆さんはあまり足が良くなくてね、家から離れて何日もとなるとやっぱり不安の方が大きかったみたいで……折角せっかくの旅行で逆に迷惑をかけてしまってはいけない、ということで残念がりながらも遠慮えんりょをしたのね。

 勿論もちろん、その子は最後まで反対したわ。行くなら皆で、お婆さんも一緒がいいって。だけど、お婆さんの足のことやお土産みやげ楽しみにしてるわって言葉に背中を押されて、最終的には息子夫婦とその子……三人だけでの旅行となったの」


 若いシスターはそこで一旦いったん話を止めると、テーブルをはさんだ向かい側で静かに聞いている二人の顔を交互こうごに見つめた後……つぶやくように続けた。


「でもね、三人が乗った馬車は旅行先へ向かう途中……事故にってしまって……」

「…………」

「……いなくなっちゃったの?」


 だまり込む少年に対して、少女が問いかける。


とうげに差し掛かったさいに、崖上がけうえからの落石らくせきで……と聞いているわ。前日に降った大雨が原因の一つだろうって。

 それからというもの……大きなお屋敷で自分一人となってしまったお婆さんは、ことあるごとにドールを増やし始めたの。

 最初のうちはあんなことがあったのだからさびしいんだろうと、ご近所さん達も同情をしてたんだけど……日に日に増えていくドールの姿を見て、そのうち気味悪がって誰も寄り付かなくなってしまったみたい」

「お婆さん、かわいそう……」

「だ、だからそれのどこがオバケに━━」


 それは不安なのか、恐怖なのか……自身にまとわりつく得体の知れない居心地いごこちの悪さを少しでもやわらげようと声を大きくした少年に、若いシスターが口に指を当て静寂せいじゃくうながす。

 そして……重々しく、その先の言葉を口にする。


「…………最近…………帰って来るんだって」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る