ときには、笑顔たえない聖夜(いちにち)を (ときにはシリーズ 特別編)

トド

① 『とある幸せな家族』

 シュレンダ王国の宮廷文官の長である彼、ライナス=シュハイゼンは、冷静沈着かつ冷淡で、温かみがない人間であると宮廷仕えの誰もが思っている。

 たかだか男爵家の三男坊がと彼を冷遇していた者達は、瞬く間に彼に出世競争で追い抜かれ、その行いの報いを受けさせられ、ましな方でも地方の部署に飛ばされ、それ以外の者たちは、文字通り飼い殺しにあい、日夜胃を痛め、精神に障害をきたして発狂する者までいると囁かれている。


 国王陛下はもちろん、高位の貴族からも一目置かれるライナスは、けれど決して驕ることなく、常に無慈悲なまでに公正に物事を処理していく。


『ライナス卿を敵に回すくらいならば、国王陛下に直訴をした方がましだ。その方が、斬首と家を潰されるだけですぐに楽になれる』


 そんな言葉がまことしやかに流布するほど、ライナス=シュハイゼンの名は、恐怖の代名詞として使われている。


 だから、いつも皆は不思議がる。

 こんな冷徹無慈悲で、笑み一つ浮かべることのない人非人と一緒に生活をする、彼の妻と子どもは、よく離婚をしないものだと。


 ライナス卿は、決してプライベートを明かさない。


 けれど、それを調べようとは決してしないようにと、彼に付く従者や侍女たちは、先輩からまず最初に厳命される。

 彼の弱みを握ろうとした政敵たちが、何人も失踪したり、没落したりするさまを目の当たりにしているのだから当然だ。下手なことをしたら、新人だけでなく、自分たちの首が飛ぶ。それは、社会的意味はもちろん、物理的な意味も含まれる。


 何が起きても眉一つ動かさないその冷淡ぶりから、『冷酷無慈悲』の代名詞とまで言われるライナス=シュハイゼン。


 だが、そんな彼のことで、ある日、宮廷内に激震が走った。


 それは、クリスマスの前日のことだった。


「お疲れさまです、ライナス様。後のことは我々にお任せください」

 珍しく明日から二日間の連休を申請したライナスに、彼に仕える文官達が、表向きには気を引き締めた表情で、内心では何よりものクリスマスプレゼントだと喜んでいた。


「ああ、よろしく頼む。この時期に私が率先して休むのは気が引けるが、どうしても外せない要件なのだ」

 ライナスは仕事の引き継ぎをすべて終わらせ、定時に仕事をあがる。

 

 だが、その際に、


「皆も、楽しいクリスマスを」


 と言って、彼は笑みを浮かべたのだ。

 

 瞬間、彼の部下たちは背筋が凍った。


 あのライナスが笑みを浮かべるだけでも大事件なのに、『楽しいクリスマス』と言ったのだ。そんな季節のイベントなどに全く興味がなさそうなあの、ライナス卿が。


 ライナスが宮廷を出て家路に就いたのを確認し、それからその情報は宮廷はもとより、早馬にて貴族達にも伝えられるほどの大事件となった。


 ライナス卿が笑った。しかも、『楽しいクリスマス』と意味深長なことを言ったと大騒ぎになった。


 あのライナスが『楽しい』と言うからには、さぞ恐ろしい作戦が実行されるに違いない。


 悪事と呼ばれる事柄を全くしていないと言える貴族は少なく、彼らは、自分達がライナスの手によってそのことを糾弾され、地獄に落とされるのではないかと危惧をした。


 やれ、今まで野放しにしていた官職の大掃討が始まるだの、やれ、悪徳貴族の粛清が始まるだのといった流言飛語が飛び交い、心当たりのある人間達は、誰もが震えながら、眠れぬクリスマスを過ごすことになった。 


 きっと、今年のクリスマスは血の雨が降ることになるだろう。


 それが、ライナスという人物をよく知り、この話を聞いた者たちの反応であった。





 『ときには、笑顔たえない聖夜(いちにち)を』




「ああっ、幸せだなぁ~」

 いい年をして、自分に耳かきをさせる夫に、私は呆れていた。


「まったく、もう。クリスマスプレゼントがこんなことで本当にいいわけ?」

「当たり前だよ。愛する妻の愛を感じながら、最高の食事を味わう。これに勝る幸せなどあるはずがないじゃあないか……」

 気持ちよさそうに、私の膝枕でとろけそうなくらいだらしない顔をしている夫に、私は呆れながら耳かきを続ける。


 息子の呆れ返る視線が痛かったが、いつも家のことをついつい後回しにしてしまっていることと、ここ数年は店が忙しくて、クリスマスも祝えなかった埋め合わせだと自分に言い聞かせ、私は夫に顔を動かすようにいい、反対も同じ様に耳かきをする。


「母さん、なんでこんな甘えん坊な父さんと一緒になったんだよ?」

 今年で十二歳になる息子のコーティが、呆れた様に言う。


「そうね。私もすっかり騙されたわ。一見しただけでは、いかにも大人の男性といった感じのしっかり者に見えたんだけど……」

「ひどいなぁ、ルーシア。私はあの頃からずっと君を愛し続けているというのに」

 ええぃ、いい年した男が拗ねるな! と言いたくなるのを堪えて、私は耳かきを続ける。


「それよりも、コーティ。どうして、シノアちゃんは呼ばなかったの?」

 旦那譲りの金髪の息子に、私は声をかける。


「……いや、その。女友達でクリスマスパーティをするからって言われて……」

 少し顔を俯けるコーティに、私は嘆息する。


「情けない。振られたのね」

「振られてないよ! 先に向こうの約束が入っていたから……」

 息子は言い訳をするが、その顔は寂しそうだ。


 コーティは同じ学校に通う、同学年のシノアという女の子に片思いしている。

 

 親の贔屓目なしに見ても、うちの息子はそれなりに整った顔立ちをしている。

 だが、これはきっと私に似てしまったためだろうから申し訳ないのだが、少しツリ目で、見慣れていないものには普通の顔でも怒っている様に思われてしまうのが玉に瑕だ。


 もっとも、そこが良いという女の子もいるのだが、生憎とお目当てのシノアちゃんからは少し怖がられている節がある。

 そして、息子は八方美人な性格ではなく、一途なので、そういった女の子達の誘いは断っている。


 うん。そういうところは本当に偉いぞ、我が息子!


「馬鹿ね。そこは、私の料理が食べられる事を強調でもして、なんとしてもクリスマスパーティに招待しなさいよ」

「嫌だよ、そんなの。俺は自分の力でシノアを振り向かせたいんだ。母さんの料理で釣るなんて、恥ずかしい真似できるかよ」

 コーティのその言葉に、私は笑みを浮かべる。


「そうだ。それでいいんだぞ、コーティ。惚れた女の子を振り向かせるくらいのことは、自分の力でやらないと駄目だ。うんうん。立派に育ってくれて、お父さんは嬉しいぞ」

 夫が目の端に涙を浮かべて父親らしいことを言うが、そんな台詞は私の膝から頭をどけて立ってから言えと思う。


「まぁ、若いんだし、シノアちゃんにもまだ彼氏らしき人間はいないようなんでしょう? それなら慌てて失敗するより良いわよ。私くらいの美人だって、この人と出会うまでは、男っ気がまったくなかったんだから」

「自分のことを美人とか言うなよ」

 息子は呆れたように言うが、夫は、


「ルーシアは美人だし、コーティは男前だ。この私が保証する!」

 とか恥ずかしいことを言ってくる。冗談を言っているんだから、本気にするな!


 本当にこの人が、この国のお偉いさんたちから、泣く子も黙ると言われるライナス=シュハイゼンなのかと信じられなくなる。


「でも、母さんに男っ気がなかったっていうのなら、クリスマスとかは一人で過ごしていたのかよ?」

「あんたくらいの歳の頃には、もう私は『銅の調べ』っていう料理店で働いていたわよ。まぁ、子供だったから、就業時間は短かったけれど、クリスマスなんて書き入れ時に休めるはずないじゃあないの」

「……そっか。俺は幸せなんだな」

 しんみりという息子に、私は笑みを向ける。


「そう言える子に育ってくれて嬉しいわ。ただ、別に私は不幸ではなかったわよ。クリスマス当日は忙しく働いていたけれど、その前には交代で休みをとって、雰囲気は味わえていたからね」

 そう言ってふと昔を思い出した私だったが、思い出せば出すほど、手のかかる奴のおもりをしていた自分を思い出し、げんなりしてくる。


「いや、ごめんなさい。私の若い頃のクリスマスは、やっぱり灰色だったかも……」

 私はそう言い、ため息をつく。


「そう言えば、私も、君のその頃のクリスマスの過ごし方がどんなだったか知らないなぁ~」

 夫の声には、明らかに話して欲しいという気持ちが込められている。


「あっ、俺も知りたい」

 夫一人ならごまかそうと思っていたのだが、そこに息子まで加わってきた。

 おのれ、なんて息のあった行動だ。さすが親子。


「大して面白い話ではないわよ。それこそ、クリスマス当日は無理だから、その少し前に、下宿でたまたま休みが一緒になった人間同士で料理を作り合っていただけだもの。まぁ、でも、あれは私が十五歳の時だったかしらね……。その時だけはクリスマス当日に休みがもらえて……」

 私はふと印象的だった一日を思い出すと、いつの間にか夫と息子に語り始めていた。


 手のかかる同僚との、とある年の聖夜の過ごし方を。

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