10話 衝突②

「おい、ちょっと待て! 」


 ……おい、ちょっと待て、なんていう言葉を自分の口から発する日がまさか来るとは思わなかった。

 もう何がどうなっても構わないと思った。

 3人は俺を見て一瞬驚いたようだったが、すぐにいつものニヤニヤとした笑顔を取り戻した。あるいはそれがヤツらの虚勢の張り方だったのかもしれない、と思い至ったのは後になってからだ。


「お、ガリ勉君じゃん?お帰り。もう教室戻ったんじゃなかったん? 」


「なあ……お前ら、のび太に何をしたんだよ? 」


「何々、何の話?つーか、のび太って誰よ? 」


 俺に向けた允生の顔は先ほどにも増してニヤケたものに見えた。


「いや……君らが今話していたのは海堂のび太のことじゃないのか?俺と蜂屋さんといつも一緒にいたアイツだよ! 」


「あ~、はいはい。あの小っちゃい坊やね!…天才ってかガリ勉君?俺たちは今さっき彼のことを知らないと答えた。それなのにキミはとんぼ返りで帰ってきて同じことを訊く。この短時間に俺たちが急に思い出したとでも思ったんか? 」


 コイツ……シラを切るにしてももう少し控え目な言い方は出来ないものなのか?俺と1対1で話す時とはまるでテンションが違うように思えた。


「だからだな、君らが『ちょっとちょっかい出しただけで来なくなって辞めちゃうなんてな。雑魚中の雑魚だろ』と言っているのを、俺はたった今聞いたのだが?だからこうして再び尋ねている」


 俺は何とか冷静を保ちヤツに尋ねる。


「おいおいおいおい、ガリ勉君俺らの話を盗み聞きしてたん?それは趣味が良くない。いわばカンニングだぜ?……しかも残念ながらそれは全然別の話だ。俺たちのチームの新入りが気合の入ってないヤツでな、ソイツの話なんだわ。……あのな、俺たちガリ勉君のツレにわざわざそんなちょっかい出したりしないぜ?こっちだってそんなヒマじゃないんだわ。悪いけど俺たちがキミらにどれだけ興味持ってると思ってんの?自意識過剰だわ~」


 三井允生みついみつおの相変わらずの流暢な弁舌に、アキラと飯山がうんうんと大袈裟に頷く。

 だがコイツの白々しい弁舌を聞いている内に、俺は一つのことに思い当たっていた。


「……いや。最近君らは教室にいないことが多くなっていただろ?特に午後の時間帯だ。いままで午後の授業中は決まって安眠タイムだった君らの行動パターンが変わったのは、ごく最近になってからだ。そしてそれは俺がのび太と会わなくなったテスト週間の少し前からのことだ」


 もしかしたらあの時……カツアゲされている1年生の前に俺たちが現れてモメた時……あの時から事態は動き出していたのではないだろうか?話しながら俺はそんな気がしてきた。

 間違いなく俺たちとコイツらとの直接の接点はあの時に生じたものだ。点と点がどうしたって結び付く。


「……だったらどうすんだ?センセイにチクるのか? 」


 允生は一瞬表情を止めたが、すぐにニヤリとした。


「……」


 俺は返答に困った。現時点では何の証拠もない。ただそれらしい話を聞いたというだけに過ぎない。点と点とを結びつける線はまだ描けていないのだ。


「あのよ、ガリ勉君?俺たちをイジメ犯呼ばわりするのも結構だけどよ、当然そのリスクも分かった上で言ってるんだろうな?冤罪でイジメ犯に仕立て上げられちまったら、俺たちの将来を潰すも同然だぜ?俺たちは確かにこんな姿なりをしているし、街でケンカをすることもある。誰かに迷惑を掛けちまうことも正直言って無いとは言えない。だけどな!ヤンキーが背負しょってる看板のリスクは理解しているつもりだ!……卑怯な真似だけはしないと誓っているんだよ!それがヤンキーとしての誇りなんだよ! 」


 允生は話ながら自分の言葉に陶酔していくタイプの人間らしい。表情までもが入り込んでいた。

 だがもちろんそんなものは信ずるに値しない。


「……頼む、のび太に謝罪してアイツが学校に復帰して来れるようにしてはくれないだろうか? 」


 俺は頭を下げた。アイツのためなら何でもしてやるつもりだった。


「オイオイ、俺たちじゃねえって言ってるじゃねえかよ!テメェ舐めてんのかよ!!! 」


 俺の言葉のどこに腹を立てたのか分からないが、傍で聞いていたアキラが急に大声を出した。


「ガリ勉君、残念ながらなキミの親友の?を俺たちはイジメていないんだ。さっきからそう言ってるだろ?勉強は出来るのに全然人の話は理解出来ないんだな……」


 允生は大袈裟に肩をすくめてお手上げのポーズを取ってみせた。


「……どうしても違うと言うんだな? 」


 コイツの表情、口ぶり。そして後ろのアキラと飯山の態度。全てがコイツらが犯人であることを物語っている……ように俺には思えた。

 もちろん真実は分からない。


「しつけえなぁ!ごちゃごちゃ言ってるとお前もぶっ飛ばすぞ! 」


 いい加減焦れたのか飯山も大声を浴びせてきた。


 その直後、後ろからそっと制服のシャツが引っ張られた。

 蜂屋さんもいつの間にかこの光景を見ていたようだ。

 いつもとは逆の構図になっていることにその時初めて気付いた。ヤンキーたちとこんな形で対峙する機会が自分の人生に訪れるとは思ってもみなかった。


「おいおい!ガリ勉君とメガネっ子ちゃんは本当にいつも一緒なんだな、羨ましいよ俺は……」


 何に感情が刺激されたのかはよく理解出来ないが、允生は1人でうんうんと頷いていた。


「いやいや、允生君!流石に女に守られてるようじゃダサいっしょ!女に守られてスゴスゴと逃げ帰るなんて恥ずかしすぎて俺ならね! 」


 アキラがよく分からないダジャレを言って得意気な顔をしていた。

 あまりのくだらなさに俺の方も思わず口が滑った。


「……驚いたよ、ヤンキーにも恥という概念があるんだな?俺はてっきり、恥の概念など持たないがゆえに、ヤンキーなどという種族をやっていられるのだとばかり思っていたが」


 俺の素直な驚きに3人の目の色が変わった。


「んだ、テメェ!こっちが優しくしてやってりゃ調子に乗りやがって! 」


 飯山が飲みかけのジュースの缶を投げ付けてきた。

 俺の胸元に当り柑橘系の香りが広がったところで、その内容物がオレンジジュースだったことを知った。


「……ガリ勉君、流石に今の言葉は俺たちも聞き逃せないな。キミじゃなかったらとっくに袋叩きにしてるよ? 」


 允生の表情も先ほどとは変わっていた。


「……九条君……」


 再びシャツが引っ張られた。

 消え入りそうな蜂屋さんの声に思わず振り向くと、その顔には明らかな怯えの色が見て取れた。これだけはっきりと怯えている人を間近で見るのは生まれて初めてだった。

 どうやらこれ以上コイツらと口論をしても得るものはなさそうだった。単に蜂屋さんの身に危険が及ぶだけかもしれない。

 どうなっても構わない!……と意気込んで飛び出してきた俺の心もとっくにしおれかかっていた。


「……行こうか、蜂屋さん」


 俺はきびすを返し屋上のドアを開けた。先に蜂屋さんに出てもらう。


「なんだぁ、ガリ勉のクソ陰キャ!逃げんのかよ! 」

「ダッセぇなぁ!男なら掛かって来いよ!」

「ムリムリ、陰キャに変なこと言うなよ!包丁持って後ろから刺されるぞ! 」

「ごちゃごちゃ御託並べてねえで拳で語り合おうぜ! 」

「おい、随分オールドスタイルなヤンキー口上だな! 」


 去り行く俺に向けたアキラの罵声に允生がツッコんで、またヤツらはギャハギャハ笑っていた。



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