第15話

 先に見えたのは大尉の巨躯だった。腕を組み、グラウンドの反対側を見つめている。

 僕が声をかけようとすると、再びタァン、と音がした。第二射が発せられたのだ。その一瞬の輝きの中で、地面にうつ伏せに寝そべるユウジの姿が浮き彫りになった。

 僕が見たこともないほどの鋭い顔つきで、前方を凝視している。手にしているのは狙撃用のライフルだ。


 僕は瞬間的に頭の中が真っ白になり、しかしすぐに現実に意識を引き戻した。


「大尉! アラン大尉!」


 僕が来ることを予期していたのか、大尉は僕の方に向き直り、耳栓代わりのヘッドフォンを外した。そしてわざとらしい、平然とした声でこう言った。


「どうしたんだ、ケンイチ?」

「どうしたんだ、じゃありませんよ! あなたは何をやってるんです?」

「ユウジの銃撃訓練だが」

「大尉、僕には理解できません! ユウジはあなたにとって我が子同然でしょう? どうして戦いに巻き込むようなことをさせるんですか!」


 するとユウジが立ち上がり、いやに淡々とした声で述べ立てた。


「俺が望んだからに決まってんだろ、ケンイチ。この基地の位置がバレたら、一体誰が戦うんだ?」


 その姿を見て寒気がしたのは、冷風が吹き抜けたからというだけではあるまい。


「ケンイチ、君はカレンにとっての最良のオペレーターかもしれないけど、いざ実戦になった時に彼女を守れるのか? 無理だろう? だったら俺が戦うしかないじゃないか」

「そ、れは……」


 僕は昨日のことを思い出す。自動小銃一丁を持ち上げるだけでも苦労して、挙句一発も発砲できなかった。でも。


「で、でも、僕はカレンをテレパシーとシンクロで守る!」

「それは守ってるんじゃない、人殺しをさせてるだけだ!」


 その一言に、僕は雷に打たれたような感覚に囚われた。


「言いすぎだ、ユウジ」

「だ、だって父さ……大尉、ケンイチは……」

「お前の訓練はまた後日な。今は飯を食おう。そうしたら少しばかり、こちらから報告事項がある。ケンイチやカレンにも関係のある話だ。ケンイチ、飯の用意を頼めるか?」


 その問いかけに自分が何と答えたのか。それは、我ながらよく分からない。


         ※


(とんだ期待外れね、今日の晩御飯)

「せっかく生鮮食品が運ばれて来たのに、缶詰ってのはねえんじゃないか?」

「まあ、ケンイチには今日色々と働いてもらったからな。勘弁してやってくれ、二人共。いいだろう?」


 ユウジ同様、大尉もテレパシーは使えない。だが、カレンの表情から彼女の不満を読み取ったのだろう。そういう洞察力のある人だ。

 しかしそれとは別に、僕は僕で腹に据えかねるものがある。それをぶつけるべく、ドン、とテーブルを拳で叩いて立ち上がった。


「皆、一体どうしちゃったんだよ?」

「ケンイチ、何を言っている?」

「こんな……こんなのおかしいですよ! どうして皆、戦おうとするんです? 命を危険に晒すんです? そんなの人間の在り方じゃない! 僕以外は死に急ぎ野郎ばっかりなのか!」

「んだとケンイチ!」


 身を乗り出してきたのはユウジだ。


「死に急ぎだと? あん? もっぺん言ってみろ!」

「ユウジ、お前だって管制官のくせに銃撃訓練を受けてたよな。どうしてだ? そんな技術は管制官には必要ないはずなのに! やっぱりお前は人殺しをしたいのか? そして自分も死にたいのか? 命をそう易々と投げ出すんじゃ――」


 しかし、僕は全てを言い切ることが叶わなかった。言葉の途中で、ふっと身体が浮いて視界が揺らぎ、背中からしたたかに床面に叩きつけられたのだ。


「がはっ!」


 缶詰がからん、と床に落ち、続いて水の入ったグラスが落下。ぴしゃん、と音を立てて粉々になった。

 あまりの衝撃。僕は痛みを感じるよりも早く、肺に空気を取り込もうと必死だった。

 それからまるまる十秒間は経っただろう。ようやく僕は、自分がカレンに投げ技を見舞われたのだと理解した。


「カ、カレン……」


 何をするんだ、と問いかけようにも、思うように口が動かない。ああ、こういう時のためのテレパシーか。しかしそう気づく頃には、カレンはずいっと僕に顔を近づけていた。

 その目は冷淡でありながら燃えるような熱を発し、後頭部からは炎が噴出しているように見える。


(あたしはあんたのスタンスに干渉するつもりはない。でも、自分の生き方を否定されてまで黙っていられるほどのお人好しでもない)

(カレン……)

(あたしは戦争が憎い、敵が憎い、世界が憎い。だから殺す。敵が向かってくるなら、何度でも斬って撃って八つ裂きにしてやる。誰にも邪魔はさせない)

(そ、そんなこと)

(ケンイチ、作戦中にあんたが安全な基地内にいることに関しては、あたしは悪いとは思わない。でも、あたしにはあたしの為すべきことがある。いや、『べき』じゃない。あたしが『したい』ことか。その妨害はしないで)

(君がやりたいことって……殺人か? 他人の命を奪うことか?)

(その通り。それ以外に何があるの?)

 

 僕はなんとも情けない呻き声を上げた。既に呼吸は整っている。乱されているのは、僕の精神の方だ。

 どうにかテーブルに手をつき、上半身を引っ張り上げるようにして立ち上がる。


 繰り返すようだが、この場でテレパシーを使えるのは僕とカレンだけ。ユウジと大尉は、黙したままこの遣り取りを眺めていたことになる。

 だが、少なくとも大尉は大方の文脈を掴んでいることだろう。でなければ、こんな複雑な表情――片眉を上げ、口をへの字にしている――はしていないだろうから。

 ユウジだって、一貫して静寂の中にいるところからすると、状況がいかに深刻かは分かっているはずだ。


 僕は俯き、ごめん、と一言。これは今までで一番重く、それでいて不本意な謝罪の言葉だった。

 まともな神経の人間だったら、こんな殺人狂に頭を下げられるものか。


 カレンもまたテーブルに片手をつき、ふと息をついてさっと視線を床に走らせた。


(……ちょっと言い過ぎた。あんたはあたしの缶詰食べて。床はあたしが掃除するから)

(えっ、でも)

(いいんだってば)


 そう念じて僕を一瞥すると、カレンは早速雑巾やら塵取やらを持ってきた。

 食糧量調整のため、今日の夕飯として供せられるのは缶詰一個ずつだけ。カレンはほとんど手をつけていない自分の缶詰を、僕に与えようというのだ。


 何をしたいのか。何を為すべきなのか。

 そんな自問が津波のように襲ってきて、僕はくらりと視界が歪むような感覚に陥った。


         ※


 翌日早朝。

 僕は自室のベッドで目を覚ました。記憶はあやふやだが、どうやら無事転倒することなくここまで辿り着いたらしい。


 昨晩のことを思い出す。あの時、僕には誰もが戦いに憑りつかれているように見えた。

 大尉のみならず、カレンもユウジも。

 大尉は大人で職業軍人だ。自ら戦いに出向く権利と義務がある。

 だが、それは僕たちにも言えることなのだろうか? 無理やり戦争に巻き込まれた、まだ子供と言える僕たちに?


 いいや、そんなはずはない。僕は枕に顔を押しつけ、自らの行為を否定しようとした。

 僕は人を傷つけてはいない。ましてや殺してなんかない。


 違うんだ。僕は戦争に関わってはいる。でも、罪深いことなどしていない――。


 枕が汗と涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったところで、微かに金属を叩く音がした。

 僕の部屋のドアが、外側からノックされている。


「ケンイチ、起きてるか?」

「……ぅ」


 大尉の声がする。起きてます、と答えようとして呻き声が漏れた。


「悪いな、入るぞ」


 ぎしり、と音を立ててドアが内側に押し開かれる。僕は袖で顔を拭って、しかし大尉の方を見ることができずに上半身を起こした。


「大丈夫か」

「……ぁ」


 さあ、分かりません。はっきりそう言えればよかったのだが、今度は喉が掠れている。


「話がある。ついて来てくれ。顔を洗う間くらいは待ってやる」


 そう言って大尉は退室し、がちゃりとドアは閉じられた。

 ようやくその言葉が呑み込めた時、僕はふと時計を見た。午前四時。まだ日が昇る前の時間帯だ。


 時計を見るという行為によって、僕はようやく自分が何を考えていたのか、否、何も考えられなくなっていたという事実に気づかされた。

 今の僕は軍属だ。上官の命令には従うもの。そう自分に言い聞かせ、先ほどの葛藤は一旦棚上げして、僕はベッドを下りて部屋を出た。

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