第13話【第三章】
【第三章】
これは夢だ。それは分かっている。
こんなにあたりが真っ白で誰もいない空間など、現実にはなかなか想像することすら難しい。ここはどこだ? いや、夢の中だと分かっているだけよしとするか。
その時、僕の眼前にふっと人影が現れた。
「カレン……」
カレンはこちらに背を向け、ゆっくりと歩み去ろうとしている。
「カレン、待って!」
僕も後を追うように駆け出す。しかし、足がなかなか動かない。まるで腰まで泥沼に浸かってしまったかのようだ。
それでも僕は目を凝らす。そして、気づく。カレンの行く先にあるものに。
それはアクランの装備一式だった。夢の中にまで登場するとは思わなかった。
目を眇めると、さらに奥に見えるものがある。いや、ものというよりイメージ、概念だ。
それは爆炎だったり、銃器だったり、血飛沫だったりした。
そうか。これは戦争の在り様を呈しているのだ。そしてカレンは何の憚りもなく、躊躇も回顧もなく、そのイメージの中に踏み込もうとしている。
(止めるんだカレン! 君は戦うべき人間じゃない!)
僕は必死にテレパシーを送る。だが、カレンがこちらを振り返ることはない。その代わりに、思念が返ってくる。
(あたしの人生は戦いそのもの。ケンイチ、邪魔しないで)
(じゃ、邪魔って……。僕は君のことを心配してるんだよ、カレン!)
(そういうのを余計なお世話っていうのよ)
余計なお世話、だって? だったらこっちにも言い分がある。
(僕はそうは思わない)
(何ですって?)
カレンが初めて振り返った。今現在の、十六歳の姿で。
(戦争なんて、大人たちが勝手に始めたものじゃないか! 君が危険を冒すことはないだろう?)
(あんたには分からないよ、ケンイチ。あたしは自分の意志で戦ってる。戦いたいの。敵を殺したいのよ)
僕は思念の遣り取りの中で、初めて息詰まった。
(繰り返す。邪魔しないで)
もし僕が冷静だったなら、カレンが独力でアクランを装備することができないことが分かったはず。それはつまり、カレンに航空戦ができない、戦えないということだ。
だが彼女にとって、それは些細な問題だった。アクランの有無にかかわらず、カレンは戦場に向かってしまう。そんな強さ、危うさがよく見える。まるで背中にそんな言葉が書いてあるかのように。
いつしかその背中はうっすらと消え去り、戦争のイメージもなくなって、残されたのはカレンの名を連呼する僕だけだった。
※
「カレン……」
「何ぶつぶつ言ってんのさ、ケンイチ!」
ビシッ、といい音がして、僕の額に痛みが走った。うっすらと誰かの丸顔が視界に浮かんでくる。ユウジだ。デコピンを喰らったらしい。
「ん、あ……」
「今日は大尉が来るんだろ。俺とケンイチは荷物の搬入を手伝わなきゃ! それと、カレンは渡さないからな! 俺が彼女を守るんだ!」
ご苦労なことだな。僕はそれを口にすることなく、眉をひそめてユウジを見返した。僕は自分のベッドで横になり、ユウジはそばに立って僕の顔を覗き込んでいる。
「まったく、ケンイチだって油断大敵だぞ! 寝坊なんて珍しいじゃんか」
「ああ、そうかもな」
昨日は夜間に二度もカレンの出撃があり、しかも一方は未知の戦力、すなわちミサイルとの戦いだった。そのオペレーションを担当して、疲れない方がどうかしている。
それにしても。
カレンが頑なに戦いに出向こうとしている理由は何なのだろう? 僕とてカレンの過去全てを知っているわけではない。知らない方がいいのかもしれない。
だが、夢にまで出てくるということは、いつかは知らなければならないことなのかも――。
ううむ、こんなことを考えていると頭がどうにかなりそうだな。それより、目下のところ最も気になることに目を向けよう。あの夢を忘れられるかもしれないし。
「ところでユウジ、今日はやけに早起きじゃないか。いっつも僕が起こしに行ってるくらいなのに。それに、大尉が来るまでまだ時間はあるだろ?」
「それよりもさあケンイチ、俺に言うこと、あるんじゃない?」
「……は?」
「おいおい何だよそのリアクションは! 今日は記念日だろう、俺がこの基地に配属された記念日!」
「ん、あ、ああ……」
「いやだからさ、その淡泊な反応は何なの? 俺が配属されたってことは、ケンイチとカレンがこの基地を任されたのと同じってことだぜ? それで二人三脚で頑張ってきたんじゃないか!」
「二人?」
「うん、俺とカレンの二人で!」
呆れた。ユウジのやつめ、テレパシーを使うことで身体にかかる負荷というものを全く分かっていない。いや、分かろうともしていない。
「ほら、早く何かしようよ!」
「何って?」
「ん? あーーー……そ、そうだな……」
ユウジが両手を腰に当て、宙に視線を彷徨わせる。それを見た僕が溜息をつくと、地上フェンスの開閉アラームが鳴り響いた。
「おっと、どいてくれ」
無遠慮にユウジを押し退け、自室の隅にある監視カメラを起動させると、一台の中型トラックが映った。そこから一人の屈強な男性が降りてくる。僕はそれがアラン大尉であるとすぐに分かった。
念のため、簡易マイクを引き寄せて声を吹き込む。
「こちらエア・ストライクD-4、基地東方で待機中のトラックの運転手、応答願います」
《エア・ストライクD-4、こちらエウロビギナ共和国空軍所属、アラン・マッケンジー大尉。食糧及び生活必需品を搬送してきた。フェンスの開錠を求む》
「了解、ようこそアラン大尉」
《おう》
僕は壁に配されたフェンスの開錠ボタンを押し込み、それがトラックがゆっくり基地の前のグラウンドに滑り込むのを確認した。
カメラの位置が分かっているのか、大尉は陽気な笑みを浮かべ、軽く敬礼してみせた。
「あれ? ケンイチ、大尉が来るのってまだ先じゃなかったの?」
「早めに来てくれたんだから、損することはないだろ。僕は早速、荷物の搬入を手伝いに行くよ」
「なあんだ、やる気満々じゃないか。さっきはあんなに眠そうだったのに」
「そうかい」
僕は適当にユウジをあしらった。作業着に着替えると言って自室から追い出したのだ。
それは決して嘘ではない。だが、カレンやユウジは伝えていない、僕と大尉だけの機密事項があることもまた事実だった。
テレパシーを軽く送り、カレンがまだ眠っていることを確認した僕は、さっさと階段を上がってグラウンドに出た。
※
「大尉! アラン大尉!」
「おう」
先ほどと同様、にこやかに応じる大尉。朝日が差し込んで、その筋肉質な姿を照らし出す。禿頭にしているのは、純粋に髪があると邪魔だからだそうだ。
それはいいにしても、僕には毎回大尉と出会う度、どこか怯んでしまうきらいがある。それは大尉の体格や、一見強面であるせいではなく、言ってみれば仕方のないことなのだが。
大尉の左頬や左肩には、金属片がきらきらと輝いているのが見受けられる。これはもちろん、都会の派手なファッションなどではない。
地雷の欠片だ。大尉が陸軍にいた頃、荒野を探索中に味方の兵士が地雷を踏んでしまった。そしてその破片が、大尉の身体にも容赦なく食い込んだのだ。
大尉がその兵士を責めることはなかった。下半身を吹き飛ばされながらも謝罪の弁を述べる兵士を抱え、自分は大丈夫だと言い続けた。それも一、二分に満たない時間だったが。
大尉の傷を治すことはできる。半身に無数に埋め込まれた、地雷による金属片を取り除くことも。
しかし大尉はそうしない。これは僕の想像だけれど、きっと大尉は今も自責の念に駆られているのだ。戦友に注意を促さなかった自分が悪いのだと。
だから、自身の身体を完治させないのは自らへの戒めなのだ。
僕の考えていることは、きっととっくにバレている。大尉はしばらくじっと動かずに、僕を柔らかな目で見つめていた。いや、見つめているのは僕ではなく、自らの過去、そして命を落とした戦友か。戦闘要員でない僕には分からない感慨だ。
それを断ち切るのは忍びなかった。だが、僕はある物を大尉から、それも秘密裡に受け取らねばならない。そのために、大尉にこんな早朝に来てもらったのだから。
「そうそう、大尉」
「何だ?」
「例のものは持ってきてくださったんですよね?」
すると、ようやく大尉の顔に感情が浮かんだ。それだって、諦めとも悲壮感ともつかない、形容しがたいものだったけれど。
「ケンイチ、お前さんの熱意に押される形で持ってくることにしたんだが……。本当にいいのか? 未だ開発途中の代物だ、どんな副作用があるのか分からんぞ」
「戦えずにいるよりはマシです。それに、戦闘任務はカレンの専売特許ですから。念のためですよ、本当に」
すると大尉はふうっ、と短い溜息をついて、くれぐれも使いどころを誤るなよ、と言って眉間に皺を寄せた。
ユウジの無邪気な声が聞こえてきたのは、僕がその代物を足首に忍ばせた時だ。
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