妖怪の目

 赤川と青木に対する『観察』を終える。あいつらが苦しんでいる様子を見て、ざまあみろと思う。あいつらが不幸になっているのを『見』て、笑みを浮かべる。


 最高だ。もうあいつらはボロボロで、誰もあいつらを助けない。一生無様に生きていく。いい気味だ。最高だ。最高だ。最高だ。そう、思えば楽になる。


「う、ぷ……!」


 なのに私はすぐに吐きそうになる。お腹がぐるぐると回転するように疼き、貧血を起こしたようにめまいがする。呼吸の仕方を忘れたかのように喉がつまり、関節という関節が痛みだして力が抜け、蹲ってしまう。


 通学の電車やエレベーターみたいに狭い場所で、人に囲まれるのが耐えられない。イジメられた時に囲まれたことを思い出す。一時間早い電車に乗ってある程度空いている状態でも、いつでも逃げられるように構えてしまう。


 性行為を想起させる会話が耐えられない。クラスで男子がする雑談。それに出てくる冗談じみた会話でも我慢できない。なので休み時間はすぐに教室を出て時間を潰す。誰もいない場所を求めて歩いていく。


 でもこの学校でイジメられていない場所はない。人気のない場所、トイレ、屋上、グラウンドの隅、階段の踊り場。全部全部赤川にイジメられた場所だ。人気がない場所に連れ込まれ、赤川達にイジメられた。


 学校全員の視界を盗み、誰も見ていない場所を探して蹲る。眠いけど、眠れない。眠ったら、夢の中で赤川に殴られる。青木に暴行される。その度にうずくまり、そしてあいつらに復讐する。そうして安堵して、少しだけ眠る。


 学校を辞めることも考えた。家にずっと籠っていれば、大丈夫かもしれない。イジメられた傷が深いから。相談したけど、親は納得しなかった。


『聞いたわ。でも学校はもう解決したって言ってるわよ』

『別の誰かにイジメられているの?』


 赤川は退学した。その取り巻きも反省した。もう私をイジメる人間はいない。だから学校を辞めさせるわけにはいかない。それが親の言葉だ。


「そ、うね」


 そして私も納得してしまった。生来の我慢する癖。赤川はもういないから、だから大丈夫なのだと納得してしまった。だけど、そんなわけはない。そんなわけがないからやめたいと相談したのに。だけど、納得してしまった。


 大丈夫。もう赤川はいない。もう青木はいない。イジメる人間はいない。凌辱する人間はいない。だから、大丈夫。納得しろ、我慢しろ。お前が我慢すれば全部丸く収まるんだ。そう納得してしまった。


 そうだ。今はマシなのだ。そう思ってしまえば、少しだけ楽になった。それがただ痛みに麻痺したのだと理解しながら、そう思い込むことで楽になったつもりでいた。


 復讐したから楽になった。


 もう虐める人間がいないから楽になった。


 そうやって自分の傷を見ないふりをする。毎日広がっていく傷に蓋をして、痛みと吐気を顔をこわばらせて押さえ込み、百の瞳を使って誰にも触れられないように逃げ回って。


 大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい。大丈夫、我慢すればいい――


 いろいろなモノから目を背けて、一歩踏み出した瞬間――


「あ、れ?」


 ぐにゃり、と視界が歪んだ。


 気が付けば、私はベッドの上で寝ていた。保健室の天井が見える。けだるさのままに横になっていると、カーテンが開いた。黒崎健介。保健の先生だ。


「せん、せい」

「久しぶりだね、白石さん」


 かつて同じような感じで意識を失い、介抱された。あの時も、黒崎先生がいた。


「また、お世話になったんですね。……すみませんでした」

「きみは悪くないよ。保健室は体調が悪い人間が使うものだ」


 頭を下げる私に、黒崎先生はそう言った。


「――


 先生の視線は、私の左腕に向けられていた。


 私の左腕。百の目が生えた腕。先生はそれを見ていた。私も先生の『視界』を通して、それを知覚した。


 知られた。


 ずっと隠していた秘密。誰にも知られてはいけない秘密。それを知られてしまった。今更隠しても意味はない。だけど反射的に私は腕を隠していた。とても隠しきれるものではないけど。


「安心していい。ここには誰もやってこない。そう言う術を施しておいた」


 術? 聞かない単語を前に、私の思考は空白化する。


 それは感情の回転が止まり、そして恐怖が消えたことを意味していた。見られたという怯えはなくなり、そして別の思考が生まれる。


「……私の腕を見て、驚かないんですか?」


 少なくとも黒崎先生は私の腕を見て驚いているようには見えない。明らかに異常な私の腕を見て、怖がったり怯えたりする様子はない。


「実のところ、驚いてはいる。まさか短期間でここまで成長するなんて思わなかった。兆候が見えて一年は変化がないと思っていたのに」

「兆候……? 成長……?」

「何処から話そうか……。白石さん、百々目鬼どどめきを言うのを知っているかな? 鳥山とりやま石燕せきえんの『今昔画図続百鬼』にある鬼なんだけど」

「……名前だけは。腕がこんなことになって、ネットで調べたらその言葉が出ました」


 手癖が悪い女の腕に無数の目が生える話だ。地方によっていろいろ伝わり方は変わるが、要は悪いことをしたら酷い目にあうという戒め的な話。


「この世に妖怪なんていない。そう言ったモノは子供に言うことを聞かせる話、或いは創作でしかない。山彦はただの音の反射で、人魂はプラズマが発光したものだ。闇の中に妖怪はなく、人を襲う鬼はいない。

 だけど本当は妖怪がいる。今白石さんの腕に目が生えたように」


 もうアニメやマンガでしか見ることのない妖怪という存在。それが実在する。……否定なんてできない。私の腕が、何よりの証拠なのだから。


「じゃあ、私は……」


 万引きをしたから、腕に目が生えたのだろうか。でも、万引きはしていない。あれは私を貶める冤罪だ。私は盗みなんか、やってない。なのになぜ? 


「白石さんの場合は、先祖返りだ。遠い昔の先祖に百々目鬼がいたんだ。スリをして捕まった女性がね」

「なんでそんなことを知ってるんですか?」

「調べたからだよ。白石さんからはかすかに妖怪の気配がした。そこから疑問を抱いて色々調べたんだよ」


 ……よかった。私は盗みをやってないんだ。


「でも、訳が分からないです。妖怪の気配? 先祖を調べる? そんな事簡単にできるの? そもそも妖怪の気配って何?」

「人間には無理だろうね」

「……じゃあ、先生は」

「ああ、人間じゃない。妖怪だ」


 さらりと。


 自分は人間じゃないと黒崎先生は言った。まるで結婚しているか否かを答えるみたいな、日常的な流れで。


「白石さん。君の仲間だ。同じ妖怪として、歓迎するよ」


 

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