覗き・センパイ
その日は家に帰ってシャワーを浴びる。服も洗濯して、私服に着替えた。
体をさっぱりさせた後で、赤川の悔しそうな表情を思い出す。秘密を握られて焦り、慌て、そして泣きそうになったあの顔。そして私に関らないと約束してくれた言葉。
やった。やった。赤川から解放された。
嬉しくなって、泣きそうになる。もう虐められない。もう嗤われない。もうあの顔を見なくていい。それだけで、身体の重さが消えていく。体の痛みが消えていく。ベッドに横たわり、力を抜いた。
寝転がったまま、左腕の手袋を外してそれを見る。腕に映えた無数の、目。その一つが見ることができる赤川の視界。それで赤川のスマホを見て、その秘密を知った。赤川にとって致命的な秘密。三人のセンパイと付き合っている。
それを指摘しただけで、立場は逆転した。これまで散々虐めてきた赤川が、あんな顔をするなんて。何が愛してもらえなくなるだ。そんなの自業自得じゃないか。
私は赤川の視点に意識を向ける。怒りに任せて後をついてきているとか、そういうことをしそうで怖かったからだ。だけど幸いにしてそんなことはなかった。視界は学校と、そしてスマホに向けられている。
…………。
赤川の視点はスマホの画面に集中していた。
過去の『センパイ』とのやり取りをチェックし、そして各センパイに確認をとるように問いかけていた。
…………。
赤川『紺野センパイ! 白石さんてどう思います? この前保健室に運んだ子ですけど』
赤川『蘇芳センパイ! 白石さんてどう思います? この前いじめられてるんじゃないかって気にしてた子です』
赤川『桜坂センパイ! 白石さんてどう思います? この前茶道部に誘いたいって言ってた子です』
…………。
メッセージを打ち込んでから、返信が来るまで何度も何度も確認する。イライラしているのが指と体の動きで分かる。それを見るだけでも笑えてくる。なんでこの子、ここまで必死なんだろう? そこまで『センパイ』にこだわるのなら三股なんかしなければいいのに。
既読マークがついて、返信がなかなか帰ってこない。それにさらにイライラが募るかのように指が画面をぐるぐるする。『既読スルーしないでください』と返事そうになって、慌てて消す。
自分を落ち着かせるように他の人にメッセージを送ったり別のSNSで気を紛らし、5分も経たずにもう一度『センパイ』のメッセージを確認。まだ返事がないのを確認して、スマホを強く握る。
赤川のイライラが見るからにわかる。目は口程に物を言う。視界はその人間を正しく示している。まさかその視界を共有しているなんて夢にも思わないだろうから、隠そうともしない。できるはずもない。
休み時間になってセンパイからの返事が来る。赤石は慌てて指を動かし、その返事を見た。
…………。
紺野『ああ、あの子か。知り合いだったの?』
赤川『同じクラスの子なんです。何か変な事言ってませんでした? ちょっと嘘つく子で迷惑してるんですけど……』
紺野『いや。何もしゃべってないよ。ずっとぐったりしてたんで、黒崎先生に任せたけど』
…………。
言うに事欠いて嘘つき呼ばわり。その事に怒りを覚えながら、私は赤川のスマホで行われている会話を見る。
…………。
赤川『あ、そうなんですか。変な事聞いてごめんなさい』
紺野『授業中にメッセージ送るのはやめてくれよ』
赤川『あ、ごめんなさい。もうしませんから嫌わないでください』
…………。
この後返事がなかなか来ず、いらいらと指で画面をタップする赤川。紺野と言う人からすれば注意して会話が終わったつもりなのだろう。だけど赤川からすれば、この返事が返ってこないことがストレスのようだ。せわしない指の動きからそれが伝わってくる。
その間に、別のセンパイからのメッセージが来る。
…………。
蘇芳『ああ、その子か。この前も暗い顔で歩いてたから。同じクラスだっけ? 何か噂聞いてない?』
赤川『いいえ。クラスでは明るい子ですよ。センパイの気を引くために演技してるんじゃないですか?』
…………。
いじめてるお前が言うのか。その図太さに私は怒りを重ねる。
…………。
蘇芳『本当か? 遠目に見たけど、自殺しそうなぐらいだったぞ。学校じゃないなら家庭の悩みかな?』
赤川『あ、じゃあ私がそれとなく聞いてみますね。センパイが会うまでもありませんよ。男性が苦手みたいだから、男の人が近づくと警戒されます』
蘇芳『前もそう言って何もないって言ってたけど、どんどん酷くなっていくぞ。警戒されるのが問題だって言うんなら、仲介してもらえないか?』
…………。
赤川の指が止まる。なんと返事を返そうか、迷っている。その焦りが伝わってくるようで面白かった。仲介して、原因が自分だと暴露されればセンパイに軽蔑される。その焦りが目に見えてわかる。
…………。
赤川『そうですね。今日は早退したみたいなのでまた今度』
…………。
休憩時間終了まで悩み、赤川はそう返した。
桜坂センパイの返事は、放課後まで帰ってこなかった。何度も何度も確認し、ついには『センパイ、どうしたんですか?』と既読スルーを暗に攻めるようなメッセージを返したぐらいだ。
…………。
桜坂『ごめんごめん。返事忘れてた』
赤川『ひどーい。私の事嫌いなんですねー』
桜坂『茶道部に誘ってほしいって前に頼んだ子だっけ。興味ないって断った』
赤川『はい』
…………。
そんな話は聞いたことがないけど、勝手にそう言うことにされたようだ。
…………。
桜坂『どう、ってどういうこと? まさか興味がわいて茶道部に入りたいって言ってきたの?』
赤川『いえいえ。全然。ただセンパイの事を誘おうとしたんじゃないかなー、って心配になって。あの子、ああ見えてビッチですから』
…………。
私が見ていないと思って言いたい放題だ。
…………。
桜坂『そうなんだ。じゃあ一緒にヤる?』
赤川『ヤです。センパイは誰にも渡しません』
桜坂『嬉しいこと言ってくれるねー』
赤川『だからあの女に近づかないでくださいね。何か言ってきても全部嘘ですから。陰キャ特有の妄想ですから』
桜坂『ああいう暗そうな子を優しくして笑わせたいんだけど』
赤川『そういう演技なんです。センパイの優しい所に付け込んで気を引くヤな奴なんです。そんなのに騙されないでくださいね』
桜坂『騙すとかヤな奴とか人聞き悪いぞ。仲悪いのか?』
…………。
このメッセージをみた赤川の動きが止まる。スマホを投げ出そう腕と振り上げ、深呼吸する。窓の外を見て気分を落ち着け、大きく息を吸い込んでから画面を見て指を動かした。
…………。
赤川『そんなことないですよ』
桜坂『ならいいんだが。最近1年女子でいじめがあるとか噂になっててな』
赤川『そうなんですか? 私がいじめられたら守ってくださいね』
桜坂『おう、いつでも相談してくれ。どんな女の子の相談も聞いてやるぞ』
赤川『センパイは私専門ですー。誰にも渡しませーん』
桜坂『独占欲の強い女は嫌われるぜ』
赤川『あ、ごめんなさい。ちょっと調子に乗りました。嫌わないでくださいね。センパイ』
…………。
バカみたい。赤川の動揺を見ながら、私は笑っていた。付き合っている三人のセンパイに私の事を聞いて回っているのだ。その様子もおかしいが、会話も焦っているのがまるわかりだ。センパイに嫌われないように必死である。
共通しているのは、センパイは様々な理由で私を気にかけている。それは恋愛とは程遠い興味だが、赤川は過剰に反応している。必要以上に私を悪し様に伝えている。だけどそれが逆に自分の評価を落していることに気づいていないようだ。
「何あれ。本当にバカみたい」
あれでセンパイを誤魔化しているつもりなのだろうか。赤川が焦るたびに笑いが込み上げる。悩むたびに楽しくなる。
取り巻き達との会話もそぞろにして下校し、赤川は周りに誰もいないことを確認して、スマホを弄る。家族の項目をタップした。パパ、ママ、玲子。そして――
「青木」
画面の中に、私の知っている名があった。
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