第136話 ザイード軍の誤算

「なぜだ! なぜ相手を崩せぬのだ!」


 ゴドールへ侵入してきたザイード軍を率いるカムダン司令官は、一向に相手の防御の壁を攻め崩せぬ戦況に戦場の後方の馬上で苛立っていた。少し太り気味のその体に口ひげを生やしたその顔は怒りに歪んでいるように見える。


「敵の防御が優れていて非常に堅固なようです。移動式の丸太の木組みの柵と巨大な大盾を組み合わせた道具を前面に張り巡らして、その隙間から通常よりも長い槍で槍衾を作りながら攻撃してくるので敵の防御線を全く崩せません。矢や魔法で攻撃しても後方の敵兵は上からの攻撃も矢や魔法防御に優れた大盾を頭上に隙間なく張り巡らして巧みに防いでいるので固い防御を破れません。ここら一帯は左右に山の斜面があって、軍を横に大きく展開出来ないので前線に投入出来る攻め手の人数が限られるのもこの苦戦の原因です」


「うむむ…」


 副官からの報告を聞き、カムダンは苦虫を噛み潰したような顔で唸るのが精一杯だった。事前に掴んだ情報ではゴドールの兵力はザイード軍に比べて少なく、接敵した段階ではこちらの半分ほどしかいなかったはずだ。


 ここに到着した段階でカムダン達ザイード軍はすぐに攻める予定ではなかった。だが、自らの功に逸ったカムダンは相手の兵力の少なさを見てこれは余裕で勝てると勝手に思い込み、当初の予定を変更して一気呵成に攻め立てる決断をしたのだった。


 この戦いに勝ってゴドール地方を占有すれば、最大の功労者は敵を打ち破りザイード軍を率いていた自分のものになる。カムダンの胸の内には戦う前から自分の栄華栄達の未来だけがその頭の中を占めていた。


 だが、当初の目論見ではすぐに簡単に崩せると皮算用をしていたのが、相手の予想外の堅固な防御力の前に攻めあぐねているのが現状だ。いや、攻めあぐねているという状態ではなく戦いを相手に思い通りにコントロールされているというのが率直な感想でもある。


 それというのも、立場的には相手を攻めている方はこちらなのだが、地形的にこちらは敵を見上げる形の登り坂。一方で相手側からしたらこちらを見下ろす形になる下り坂。もし万が一こちらが大きな打撃を受け一気に崩れて総退却する羽目になると仮定すると、敵に背を向けたザイード軍に対して追撃で下り坂を怒涛のように攻め降りる向こう側の方が圧倒的に有利になってしまうのは明らかだ。


 指揮を取るカムダンからすれば、まさか相手よりも兵力が多くて攻めている形のザイード軍が負けるなどとは欠片も思いたくない。だが、今現在戦っているこの地形を見るとその可能性が大きい事に気がついて自らの背筋に寒気を覚えてしまう。


「クソッ、我々の軍は何をしているのだ。敵は我らよりも少ないではないか! そこの二人、前線で指揮を取るブンツ将軍とガンロ将軍に敵をもっと激しく攻撃するようにと伝えろ!」


「「はっ!」」


 指示を受けた兵士が二人前線に向かって走っていく。その後姿を見ながらカムダンは馬上で大きく息を吐いて溜め息をつくしかなかった。戦えば簡単に勝てると思っていたのがなぜか自分達が大苦戦している。ザイード軍を率いるカムダンにとってそれは想定外の大きな誤算だった。


「ブンツ将軍。カムダン司令官からの命令です。敵をもっと激しく攻撃するようにとの仰せです」


「相分かった。伝令ご苦労!」


 ブンツ将軍は伝令役の兵士に対して「相分かった」と承諾の返事をしたものの、内心では苛立ちと共にカムダン司令官に対してふざけるなという思いが強く渦巻いていた。


 最初にこの地に到着して敵の布陣を見た時に、何となくブンツには違和感のようなものがあったのだ。それは例えるなら鍛え上げられた武人としての直感であった。その直感の根拠はこちらに攻められる側の敵の方にこそ余裕を持っている空気感があると感じられたのがその理由だった。


 普通なら兵力がこちらよりも少ない相手側には、恐れが混じったピリピリと緊張した雰囲気があるのが当然のはずなのに、なぜか余裕を見せながらこちらを悠然と待ち構えていた。武人としての勘がそこに大きな違和感を感じたのだ。


 敵に死地へと誘われてるのではないかと思ったブンツは、同じように感じたという同僚のガンロ将軍と共にカムダン司令官に対して「ここは少しばかり様子を見ましょう。考えなしに進むのは危険です」と進言したのだが、相手の兵力を見て敵を過小評価して侮ってしまったカムダン司令官は、二人の将軍の進言には耳を傾けずにすぐに攻め立てよという命令を強引に発したというのが今の状況を招いている。


 同じ頃、ガンロ将軍の元にもカムダン司令官からの伝令が訪れていた。


「ガンロ将軍、カムダン司令官からの命令です。もっと激しく敵を攻め立てよとの仰せです」


「了解した。伝令は後方に下がってよいぞ」


 ガンロ将軍も戦っている兵士達の手前、平静を装って伝令が口にしたカムダン司令官の命令に了解と返したが、ブンツ将軍と同じように内心ではカムダンに対して苛立っており、自分でやってみろという思いが強かった。


 ガンロの聞いた情報では、最近ゴドールに彗星のごとく現れたエリオット・ガウディという人物は魅力があり民に慕われ、その元へ名のある者達が仕官を目的に引きも切らずに訪れているという噂を耳にしていた。


 青巾賊に支配されていたエルン地方を開放して住民達に大歓迎されたという話も聞き、ガンロ個人としてはこんな人物の元で働けたら幸せだろうと、まだ誰にも話していなかったがエリオット・ガウディに対して敵愾心ではなく憧れのような感情が芽生えていた。


 しかし、今は直接戦っている敵である。味方の司令官の無茶とも言える命令でも聞かなければならない。もしかしたら負けるかも、いやおそらくこの戦いは負けるだろうと思いつつ、そんな思いを少しも顔に出さずに大きな声で「者共、もっと攻め立てよ!」と叫ぶのだった。

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