第3-21話 〈杯〉
〈――願え〉
脳に直接声が響く。目の前の真っ白な本が喋っているのだと確信を持つと同時に、顕現した〈
「……そんな、こと」
頭の中に直接殴り込んできたかのように〈
「ど、どうしたんですか!? ホノカさん?」
ユズハが慌てたように尋ねた。
それもそのはず。
その理を聞いたのは、ホノカだけなのだから。
「……っ! よ、よく聞いて。〈
「条件?」
ヒナタが聞き返すと、ホノカは頷いた。
「願いは
「そんな……っ!」
ホノカの願いを知っているユズハの顔が歪む。
ホノカが願ったのは2つ。
殺されたグレゴリーの生き返りと、一族の復権。
だが、こうなってくると全ての話が変わってくる。
ホノカの願いは1つとして叶わない。家族を生き返らせるためにホノカは戦ってきたのだ。自分を助けたせいで死んでしまった家族を復活させようと思ってホノカは戦ってきたのだ。
だが、それは
思わず全身の力が抜けていくのが分かった。
くらり、と大きな目眩がしてホノカはあまりの気持ち悪さに胃の中のものを全部吐き出してしまいそうになった。
だが、それを耐えれたのは遠方から響き渡ってきた凄まじい音。
金属が激突したような激しい戦闘音でホノカは正気を保った。
(……まだ、ナツキが戦っている)
彼が相手にしているのは“最強の異能”と呼ばれる天原。
その中でも夜の闇を祓う神の炎は【神降ろし】――【神仏降臨】と呼ばれる“天原”の秘技。人の身で勝てない
それと戦うのがどういうことなのか。
異能の世界に足を置いてるホノカが理解できないわけがない。
ならば、今は彼の意志を何よりも尊重するべきで、
「……っ! い、今は叶えられる願いを叶えましょう! ルシフェラ!」
「う、うむ……!」
「本を手にして、全ての願いを具体的に願って」
「具体的にとな?」
「ええ……。『父親が生き返る』だけじゃ駄目。時間と場所を指定して、どのような状態で生き返らせるのか。それを記さないと行けないわ」
それもまた〈
「……分かった」
ルシフェラはおずおずと真白に輝く〈
「願いは……最低でも、4つ余るわ」
「……4つも」
治療中のアカリの願い、そして戦っているナツキの願いを含めても3つ。
4つ、余る。余ってしまう。
「だ、だったら……ホノカさん。私に願いを下さい」
「何をするの?」
「
「……どういうこと? ナツキがどうしたの?」
ホノカがナツキと分かれたのは〈
「……ナツキくんは、堕ちたの」
「堕ちたって……どういうことよ。何があったの?」
「わ、分からないんです。急に
「鬼……って」
ホノカは困惑。
鬼という怪異は、北欧に住んでいた彼女もその恐ろしさだけは聞いていた。
悪魔と同格の高位の怪異であり、元は別世界からやってきた別次元の生物。
故に『シール』に侵入したり、強力な自己改変能力を有したりしている。
「なんで、ナツキが鬼になるの?」
「……分からないのよ」
ナツキは人間じゃなかったのか。
いや、例えナツキの血に鬼の血が混じっていたとしても……その血の濃さが50%を超えなければ鬼になるはずなどない。
本人が望んだりしなければ、という注釈がつくが。
「は、
「……ッ!」
ホノカはとっさに飛行魔術を使うと空に飛び上がった。
そして、障害物となる建築物が全て砕かれて更地になりつつある住宅街のど真ん中で戦っている1人と1体を見た。
片方は分かる。
炎に身を包み、猛攻を躱して時折反撃しているのはアマヤだ。
だが、もう片方は……。
「あれが、ナツキなの……?」
明らかに体格が違う。
2m後半……いや、3mは軽く越している。全身を覆っているのは黒く隆起した筋肉に見える何か。それは筋肉とは違って流動している。ならばあれが、オーラだろうか。
ナツキの顔は異形そのもの。
額からは一本の角が伸び、鋭い瞳がアマヤを睨み、何本も並んだ牙の間から灼熱の吐息が漏れている。
そして、片手には自身の身長と同じほどの大きな金棒。
一度それが振るわれれば2階建ての住宅が野球ボールのように飛んでいく。
その巨腕が乗用車をおもちゃのように持ち上げると、まるで腹を立てた子供のように投げ飛ばす。
家は砕けて、車は潰れて、しかしそれでも2人の異能は戦い合っている。
その近くには2つの死体があった。首から上のない倉芽アラタの死体と、ぐちゃぐちゃの肉塊にされたシエルの死体である。
その死体の損壊具合を見た時に誰がやったのかを理解した。
「……うそ」
信じられなかった。信じたくなかった。
今まで出会ってきた異能の中で、いや人間の中で一番優しかった彼があんなにも怒り狂って暴れまわっているなんて想像したことも無かった。
殺し殺されが日常となっている殺伐とした異能の世界で、彼は誰よりも殺さないことにこだわっていた。
初めて見た時はよくある異能になりたての浅い異能だと思った。
自分の手を汚すことを嫌って、ただ都合のいいことばかりを言っているのだと。
だが違った。ナツキには、それを押し通す力があった。
だから誰も殺さなかった。
人の命の重さが0にも近い異能の世界で、ナツキだけが正常だった。彼の側にいたら、自分も普通の人間に戻れるような気がした。戻ったような気がした。
「ナツキが……人を、殺すなんて……」
異能としては、そちらの姿の方が正しい。
でも、ホノカにはそう思えなかった。
「……ナツキを、止めないと」
ふらり、とまるで魔術が切れたような危ない落下でもってホノカが地面に降りる。
そこには願いを叶えたのか、〈
「大丈夫か、ホノカ」
「……ええ、私のことは気にしないで。それよりもナツキを、戻さないと。でも、そのためにはあの
「さ、〈
「ううん。それをもし、あの
「…………」
その想像がついたのか、ユズハは震えながら黙り込んだ。
「もう、これ以上ナツキの手を汚させないわ。ここで止めるの」
ホノカがそう言うと、皆が静かに頷いた。
ここにいるのは全員、ナツキに助けられた人間たち。
ならば、次に救うのは自分たちじゃないのか。
ホノカの声に誘われるようにして、
「その話、アカリにも聞かせてよ」
突然、そんな声が割って入った。
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