幕間
幕間 愛の形を
ママを待っている。
ずっと、ずっと、狭い部屋の中でママが帰ってくるのを待っている。
薄暗い部屋は、電気代を抑えるために灯りはつけない。時間は夜の22時。ママの仕事が20時までだって知っているけど、今日もママは帰ってこない。
「……あ、これかわいい」
薄っぺらい布団に横になって、私はずっとスマホを見る。
暗い部屋の中でスマホを見ると目が悪くなるって言われたけど……それでも、仕方ない。うちにはお金が無いんだから、我慢しないと行けない。
でも、我慢するのは苦手じゃない。
ずっと、小さい時から我慢してきたからだ。
周りと違ってお父さんがいなくても。
周りと違ってランドセルが買えないくらい貧乏でも。
周りと違ってママが家に全然帰ってこなくても。
我慢すれば、ママが褒めてくれるから。
「可愛いなぁ、ルル」
スマホには、SNSの画面。Ruluというユーザーネームが記されたアカウントには、自分と同い年の少女が流行りのファッションに身を包んで、着飾っている写真が何枚もあげられている。
「……私も、こんなに可愛く生まれたかったなぁ」
父親譲りと母親から聞いている自分のぼさぼさになった金の髪を見る。日本人離れしたその髪の毛は……小学生にとっては異質なものとして切り捨てられるに十分だった。
シューズに画鋲を入れられるのは耐えた。靴が隠されるのも耐えた。教科書が捨てられるのも、筆箱の中にあった鉛筆が全部折られるのも耐えた。
でも、ママが一生懸命働いて買ってくれたランドセルがカッターナイフでボロボロにされたときに、自分の中にあった何かが壊れるのが……分かった。
それから、学校に行くのを辞めた。
小学校は、ほとんど行かなかった。
だから、中学校はママに無理を言って遠くの学校に行くことにした。ママは反対しかけていたけど……その時、ママと仲の良かった男の人が『逃げるのも1つの手だよ』と言ってくれたのがきっかけで、遠くの学校に通うことになった。
多分、その時まで……私の人生は上手くいくと思ってた。
小学校ではいじめられたけど、中学校では新しい人生が待ってるんだって。
ママと、その男の人は結婚して……きっとパパになるんだって、思ってた。
でも、私たちはどこかで間違えた。
それから数ヶ月しないうちに、ママがいない間に遊びにきた男の人をウチにあげて襲われかけた。とっさの所でママが帰ってきて何も無かったけど、ママは泣くだけ泣いて、男の人は捕まった。
そして、ママはその仕事を辞めた。
後で聞いた話だけど、その人はママの仕事の上司で家庭を持っていたらしい。でも、ママはそれを知ってて付き合って、不倫がバレて慰謝料を請求された。職場にも居づらくなってやめたけど、次の仕事に全然付けなかった。
そして、次第に夜に帰ってくることがなくなって……ママは荒れた。そんなママに釣られるようにして、私もだんだん学校に行かなくなった。ママを1人にすると、なんだかいなくなりそうな気がしたから。
ママは結局、どこにも行かなくなったけど……今度は家に帰ってこなくなった。今ではもう1ヶ月に1回しか家に帰ってこない。
それでも、私はママのことが好きだから、こうしてずっと帰ってくるのを待つ。一緒にご飯を食べたいから。昔みたいに……戻りたいから。
カンカン、とヒールがアパートの外階段を鳴らす音が響く。
その時、弾かれたように顔を上げて……私は玄関まで走った。
その足音は家の前で止まると……鍵を取り出す小さい金属音が響いて、がちゃり……と、扉をあけた。
「おかえり、ママ!」
「……まだ起きてたの?」
家に帰ってきて、私を見た時のママの顔は……心底嫌そうで、仕事で疲れているのかと思って、私は「うるさくして、ごめんなさい」と、謝った。
「はい、これ。ご飯」
そういってママはぐしゃぐしゃになったビニール袋を渡してきた。その中には日持ちのする菓子パンと、野菜ジュースが入っている。
「じゃあ、もう……私は行くから」
「ご飯は……?」
ママと一緒に食べたくて、ずっと待っていた。
菓子パンでも良い。なんでも良い。でも、ママと一緒にご飯が食べたかったから。
「……チッ」
小さい、舌打ちが聞こえた。
「誰のために働いてると思ってるの!? アンタの学費と、生活費を稼ぐために私がどれだけ頑張ってると思ってるのよ!」
私はぎゅっと、自分の手を握った。
ママに叩かれると思ったから。
「……アンタなんて、生むんじゃなかった」
でも、違った。ママはそのまま鍵も閉めずに扉から手を放して……また、外へと行ってしまった。
「……ごめんなさい。ママ」
部屋の中に声が響いていく。
「ごめんないさい……。いい子に、するから……」
誰が聞いているんだろうか、誰にも聞こえていないんだろうか。
ぎゅっと握った手に、ぼろぼろと涙が溢れていく。
でも、泣いたら怒られるから。泣いてしまったらママに迷惑がかかるから……私は、そっと涙を拭って、枕に顔をうずめた。そうすれば、誰にも泣いているところを見られないから。そのまま、静かに泣いて泣いて……気がつくと、意識を手放していた。
気がつくと、太陽が登っていた。
「……あ、学校」
スマホを見ると、もう朝の10時だった。
昨日刺し忘れていた充電ケーブルを射し込んで、SNSを開いた。
「今日は……休も」
今から行ったら、また学校の先生に怒られる。怒られるのは嫌だった。
だから、行かないことにする。
でも、学校に行かないからってすることは、いつもと変わらない。同じようにSNSを回って、可愛い子を見つけてその写真に「いいね」を付ける。そして、自分がそういう服を来て、化粧をして、とびっきり可愛くなって……色んな所にいく夢を見る。
そんな夢を見ているときが、一番幸せだった。
それが叶わない望みだなんて、誰よりも自分がよく分かっているのに……夢を、見ていたかった。
「あ、またRuluが新しいのあげてる……」
見れば、いま流行りのコンビニのスイーツの写真だった。カラフルにネイルされ、真っ白くて細い指がドリンクをしっかり握ってる。
「可愛いなぁ……。私もRuluみたいに、なりたいなぁ……」
なれるわけなんて無い。
無いけど……少しだけ気になって、私は身体を起こした。
「……やってみても、良いかな」
きっと、誰にも見られないけど……Ruluみたいに、なりたいから。私はちょっとだけのお小遣いを持って、コンビニに行った。数カ月ぶりに入るコンビニはまるで異世界のようで、Ruluと同じスイーツを探したが、そこには売っていなかった。
仕方なくその店舗を後にして、近くにある別の店舗に入ると……そこには、限定商品というポップと共に、置いてあった。
私はそれを手にとって、恐る恐る手にとった。
コンビニのスイーツは高くて、それだけで300円近くもして……私は、びっくりした。そのまま袋ももらわず、店から逃げ出すようにして後にした。
見様見真似だった。
Ruluと同じ角度で、同じ構図で、全く同じ写真を撮った。
そして、『Ruluと同じ』なんて、そんなことを書いて……SNSに、初めて投稿した。
でも、上げてからすぐに後悔した。
だって、Ruluと違ってネイルなんてしてないし、手は荒れてるし、Ruluみたいに肌が白いわけじゃない。
でも、ちょっとだけ嬉しい気持ちになった。
なんだか分からないけど、Ruluに近づけた気持ちになれた。
そのスイーツを食べようとして、袋を空けたとき……バチッ! と、目の前に電流が流れた。
「……え?」
思わず周りを見るけど、何も無い。
気のせいだと思って、スマホを手に取ろうと思った瞬間、目の前に不思議な
『SNSで初いいねを入手しました』
『異能「ガチャ」が解放されました』
『現在引けるガチャは以下の通りです』
『ノーマルガチャ:1回1いいね』
『現在は2回引けます。引きますか? Yes/No』
それをしばらく見ていた私は……首を傾げた。
「……ガチャ?」
『ガチャ』とは、なんだろうか。
昔、ママにねだって1回だけ回させてもらったガチャガチャのことだろうか?
あの時は1回200円したのに、ここでは1いいねで1回ガチャが引けると書いてある。
「……引いて、みようかな」
私はそのまま半透明のディスプレイに手を伸ばして、Yesをそっとタップした。
その時、昔1度だけ引いたことのあるガチャガチャのようなものがディスプレイに表示されて、持ち手が勝手に回転すると出口から金色のカプセルが出来てきた。
『SR:1万円を入手しました!』
『インベントリ機能が解放されていません』
『アイテムを出現させます』
ふわ、とディスプレイから1万円が出てきた。
「……え?」
1万円。あまりにも大きすぎるお金に恐る恐る手を伸ばして触ってみる。
紙の質感も、重量感も、夢だなんて……思えなかった。
本物の、紙幣。それが手元にあった。
「も、もう一回……」
引くと、今度は銅色のカプセルができた。
『C:ポケットティッシュを入手しました』
そして、同じようにディスプレイからポケットティッシュが出現する。
私はそれを見て……不思議だとは思ったけど、不気味だとは思わなかった。手を動かす時にどうやって動かすのかを人に説明できないように、呼吸する時にどうやって呼吸するのかを他人に説明できないように。
それが、自分自身の能力だって知っていたから。
「……変えるんだ、人生を」
これが最後のチャンスだと、思ったのだ。
SNSでどういうことを呟けば、どれだけ人が来るかなんて……いっつもSNSを見てるから難しいことじゃないと思った。Ruluを真似してみた初めての投稿についてたのは6いいね。それを全部ガチャで引いたら、全部で1万7千円になった。
私は次の日も学校を休んで、流行りのドリンクを買いに行った。
それと、ネイルとハンドクリームを。
可愛く見せるためには、そういうのが大事だと思ったから。
Youtubeの見様見真似でネイルをしてみた手で、流行りのドリンクを手に持って写真をあげた。不格好だな、と自分でも思った。5いいね、ついた。
初めてはそんなものだった。
でも、やっていくうちにコツが分かってきた。
どの時間に呟けば良いのか、どんな内容を呟けば良いのか。
そのために何をすれば良いのかが分かってきた。
どうすれば自分が可愛く見えるのか、どうすれば可愛く見てもらえるのか。
ママに見てもらえないから、他の誰かに見てもらいたかった。
誰でも良いから、可愛いと言ってほしかった。
そうしているうちに、フォロワーが増えて貰える「いいね」も増えてきた。そして、たまたま呟いた内容のいいねが200を超えたその日、ディスプレイに新しいガチャが追加されていた。
『レアガチャが解放されました』
『レアガチャ:1回100いいね』
『現在は2回引くことができます』
『引きますか? Yes/No』
でも、まだ引かない。
10連で引いたほうが、良いものがでることを知っているから、まだ引かない。
そうして、自分の異能が成長しているのをようやく感じようとしていたときに、ママが久しぶりに帰って来た。
「……なにこれ」
そして部屋の中を見ながら、そう言った。
部屋の中には、私が置いていた札束があった。
銀行口座なんて作れなかったし、未だに「インベントリ」なるものは手に入っていなかったので、部屋の中においていたのだ。
ママはそれを見ながら驚いた顔でお金の山を見た。
だから、あかりは言った。
「見て、ママ。あかりが、稼いだんだよ。SNSで、お金を」
ガチャで稼いだ分もあったけど、そんなことをママに言っても信じてくれないと思ったから、あかりはママにそう言った。
お金がなくて、ママは仕事が忙しいって聞いてたからあかりが代わりにお金を稼げばいいと思った。そうすれば、ママは家に帰ってこられる。大変な仕事もしなくてすむ。あかりはお金なんていらないけど、ママにはお金が必要だから。
ママはしばらく驚いた顔で札束とあかりの顔を交互に見ていた。
「ママが、使っていいよ。仕事で、疲れてるから」
「……良いの?」
「うん。良いよ」
「……ごめんなさい」
ママは膝から崩れ落ちて、あかりを抱きしめた。
「ごめんなさい……っ!」
そして、そのまましばらく泣いて……その日は、一緒に寝てくれた。中学生にもなって、一緒に寝るなんて恥ずかしいと思った。けど、その日はすごく嬉しかった。もっともっとお金を稼ごうと思った。
そうすれば、また元のような家族に戻れると思った。
それ以外は要らないから。
前のように2人だけの、幸せな家族に。
でも、しばらくして……ママはあかりにお金を催促するようになった。
最初の頃はすごく遠慮してたのに、10回目を超えた辺りから……それが当然だと言わんばかりに、お金を黙って持っていくようになった。
ママがお金を使うのは良かったんだけど……でも、ママが何に使っているのか気になって、あかりはこっそりママの後ろをついていった。ママはそのままの足で、パチンコに入っていた。
辞めてほしかったけど、何を言ってもママは聞いてくれなかった。
お金を渡すのを辞めると言ったら、ママに叩かれた。お金を出すまで、叩かれた。
痛かったから、嫌だったから……ママにお金を渡すようにした。
「……何を、間違えたんだろう」
ぽつりと、呟く。
誰もいない暗い道の真ん中で、外灯の光なんて届かない場所で、小さく呟く。
「……もう、間違えないって、決めたのに」
お金があれば、ママは戻ってくると思ってた。
でも、お金があっても……ママは戻ってこなかった。
もうあの家に帰りたくなかった。
あの家にいれば、いつかママが帰ってきてくれると思ってたのだ。
でも、帰ってきたのはママだったけど、ママじゃなかった。
「どうすれば良いの……。どうすれば、ママは戻ってくるの?」
「
聞こえてきたのは、幼い女性の声。
ぱっと声のしてきた方向を見ると……そこには、明らかに年下な少女がいた。
「……誰?」
「へぇ、あたしのことを知らないの?」
とても、可愛い女の子だと思った。
ゴシックの白いブラウスに黒いレースアップスカートは膝上の高さまでしかなくて、彼女の真っ白で細い足が夜の闇に浮かび上がる。145cmしかないあかりよりもさらに10cmくらいは身長が低いだろうに、それを感じさせない黒い厚底のパンプス。そして、髪の毛は染めたようなピンク。小学生の手みたいに小さな手には黒とピンクのネイルがしてあった。
「あたしのチームに入らない? あかり」
全身を『可愛い』に身を包んだ少女は歌うように、踊るようにそういって外灯の下に一歩進んだ少女の姿をみて……あかりは言葉を失った。
……
「……あかりの、名前を」
「知ってるよぉ。うん、ぜーんぶ知ってる。あたしをフォローしたときから、初めての投稿で、私の真似をしたのも、ぜーんぶ知ってるんだよ。あかり」
まさか、と思った。
「…………Rulu?」
ずっとずっと憧れだった。
こんなところで、会えるなんて……!
「そうだよ。ねぇ、あかり。いま、願ったでしょ? 強く強く、祈ったでしょ? それ、あたしと一緒に叶えようよ」
「……叶えるって、でも……ママは……」
「だいじょーぶ。もう、アカリはこっちの世界にいるから教えてあげるよ」
「あたしの『チーム』と〈
そういって笑ったRuluの顔は……まるで、悪魔のように可愛かった。
だから、大丈夫だと思った。彼女についていけば、もう間違えることなんて無いと思ったから。
「……ん」
「起きた?」
目を覚ますと、映画館の中にいた。隣には優しい目をしたお兄ちゃんがいる。
「あれ? お兄ちゃん……?」
「そろそろ次のお客さんが入ってくるから、出ようよ」
「うん。あかり……起きるよ」
だんだんと今がどういう状況なのかを掴んできて、思い出した。
自分はあの時もまた、選択を間違えたのだということを。
「それにしても、よく寝てたけど、いい夢は見れた?」
「んー。昔の夢だったなぁ」
ナツキは飲みかけのジュースと、食べかけのポップコーンを手にとって立ち上がった。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「うん?」
「あかり、たくさん間違えてきたから……今度は、間違えたくないんだ」
ナツキは彼女の言葉の真意を探るように、わずかに目を細めると、
「じゃあ、頑張らないとな」
そう言って、微笑んだ。
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