クリリア物語

沙崎あやし

銀色の殻を持った猫

 白く青い天繊山脈に囲まれた辺境の高原、クリリア。そのなだらかな丘陵でも夏は終わり、心地よい風と虫の音が響いてくる季節になりました。

 「この卵を孵せ」

その日初めての来訪客はとても高飛車でした。アンコールワット先生はとても寛容なお人ですから、

「いいですよ」

と怒りもせず、頷きましたけど。私は正直、ちょっとイヤな気分になりました。

 そのお客様は、まだ10歳ぐらいのお子様なのです。どこかの大貴族のご子息らしく、威厳と尊大な態度に満ち溢れています。従者を大勢引き連れ、先生のお家を取り囲んでいます。まるで私たちは、猫に追い立てられたネズミみたいです。

 「おまえ、ほんとうに大丈夫なんだろうな?」

自前の皮製のソファーに座り、杖先でテーブルをとんとんと叩く。子供なのに、態度は一人前の大貴族です。でも、先生の腕を疑うなんて・・・やっぱり気分が悪いです。アンコールワット先生は腕はもちろん、そのお心も、とても尊敬できる辺境一の動物医者さまです。

 でも………正直、お子様伯爵が心配するのも無理もない、とちょっとだけ思ってしまいます。い、いや、ちょっとだけですぅ。

あの、その……だって先生ったら不精ひげもそらず、しかも顎をテーブルの上に乗せた格好のまま、動かないんです。その若さに似合わぬ寛容さと……不精さ。とても不精で、私がお世話しないとものの3日でお家は蜘蛛の巣だらけになってしまうんです。その不精さ……半分ぐらいどうにかならないかしら。

 「ふん、まぁよい。では預けてやる。ただし、礼金は後払いだ」

そう言い残して、お子様伯爵とその一行は立ち去りました。何台もの馬車がこの田舎道を列をなして帰っていくのが、窓外に見えます。

「……生きているのは、初めてみるなぁ……」

先生はやはりそのままの格好で、テーブルの上に残された卵をどんよりと眺めます。高価なクッションの上に乗った、両手ほどの卵……。その卵の殻は、美しい銀色に輝いていました。

 「……とても、綺麗ですね。」

「ヒルジット科のハウスリル・キャットの卵だネ……。ハウスリルってのは古代シル語で『銀聖冠』という意味でね……」

「卵から孵った時に、猫がこの銀色の殻を頭に被るからですね。」

私がそう云うと、先生はニッコリと頷いてくれました。知っていた訳ではありませんけど、なんとなく……。昔の人ってとてもロマンチックな名前の付け方するから。

 「この猫さんは甘えん坊でね、卵から孵っても殻の中へ戻ろうとして、殻の中に頭を突っ込むんだ……」

先生は目が覚めてきたらしく、んーっと背伸びをしました。

「そうそう……この殻ね、とても高価なんだ。東方で薬になるらしくってね。そうでなくても、この美しさだ。」

「あのお子様もそれが目当てなんでしょうか?」

そう尋ねながらも、私はそれが目当てだろうと思っていました。先生の所を訪ねてくる貴族って、大抵がそういう欲ボケしてる人ばかりなんですもの。子供だから、キラキラ輝く銀色の殻にひかれたんでしょう。

 あのお子様が悪いとは言いません。こういうのは親の責任だと思うんです。もっともっと命の尊さとかを教えないで、遊びとか珍しい物ばかり与えるから……。都会の子供はヒヨコとニワトリが別の動物だと思っているんでしょうね。

 「う〜ん、うまく孵さないと銀色がくすむけど……ねぇ」

「やっぱり、そうなんですよ」

「?」

「あのお子様は、綺麗なままの殻が欲しいんですよ。」

「そうかな……?」

先生は目を擦りながら、卵の上にタオルをかけました。そして大きな欠伸を一つして、ソファーの上へ寝ころびます。

「まぁ〜、その卵ならほっといても無事孵えるよ。丈夫な赤ん坊だ……」

そう言って先生は、また寝てしまいました。私はため息を一つつき、空のバスケットを手にして外へと出ました。

 もう真昼です。家に帰って、先生のお昼を作りにいかないと……。私はちょっとすっきりしない足取りで、丘を駆け降りて行きました。

 風はやや冷たく、それはとても心地よかったのですが。


 卵は、その日の夜に孵えりました。

ランプの光の中、先生と私はじっと卵を見つめていました。三日月の光が窓から注ぎ始めた頃、銀色の卵が一瞬曇りました。

 パキッ

殻に線が走り、次の瞬間パッカリと綺麗に二つに割れました。

「にゃー………にゃー……」

殻の中で、青い瞳をした真っ白な子猫が小さく鳴きました。殻の中から頭をもたげ、ひたむきに子猫は鳴いています。私はそれに魅入っていました。一点の曇りもない、綺麗な瞳がとても印象的でした。

先生はその子猫を取り上げ、ぬるいお湯で静かに洗いました。私は上からのぞき込むようにそれを見ました。子猫はその間も、鳴いていました。

 殻に戻された子猫は頭に割れた殻を被り、にゃあにゃあと鳴き続けます。

「かわいい……」

「親を呼んでいるんだよ」

先生は優しい目でその猫を見ながらいいました。こういう時の先生は、あの不精さの欠片も感じさせないほど、優しい瞳をするんです。

「ハウスリル・キャットは不思議な力があってね。卵の時の記憶をもっているのさ」

「卵のときの?」

「そうさ。卵の時、自分を温めてくれた存在を憶えていてさ。その存在を「親」と思うわけさ。プレ・インプリティング現象と云うんだけどね。」

「じゃあ、この子猫の『親』って……?」

「あのお子様以外に、誰がいるかい?」

「でも……」

私はやっぱり信じられませんでした。私がしぶっていると先生はソファーを乗り越え、ベットの横に立ちました。

「これを窓の外で見つけたんだ。ほっとく訳にもいかないんで、ね」

先生が毛布を取ると、そこにはあのお子様がいるじゃないですか!

 すやすやと静かな寝息をたてて、お子様は眠っていました。目を丸くいている私の肩を、先生が叩きました。

「彼らが帰った後ね、見かけない子馬が草をはんでいるのを見てね。もしかして……と思ったら、そこの窓の外からじっとこっちを見ていたよ。夕方になったらさすがに疲れて眠ってしまったんで、ベットに寝かせたのさ」

先生は人差し指で口を押さえ、そしてそっと子猫を指さしました。

「みゃー……みゃー……」

子猫の鳴き声が、月明かりの下響きます。銀の冠を被った子猫は、ただひたすら鳴いています。じっと正確に、お子様を見つめながら。

 「殻の輝きはね、卵の時にいかに世話をしたかによっても左右されるのさ」

先生はそっと囁きました。

「あの輝きは、『親』の愛情の証なんだよ」

子猫の殻は月明かりを受けて、よどみのない綺麗な銀色に輝いていました。



 それは、静かな秋の夜の出来事。

三日月の明かりの下、よどみない銀色の冠をした子猫が鳴いています。それを子守唄に、あのお子様伯爵はいったいどんな夢を見ているのでしょうか。

 先生と私はしばしの間、その光景を見つめていました……

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