いい匂いがする
春泥
1/4 水死体の帰還
ネットで注文した品物が届いたのだと思って、相手が誰か確認しないですぐにドアを開けたのは、痛恨のミスだった。
そこに立っていたのは、宅配業者ではなく、かつての恋人ユージだった。
反射的にドアを閉めたが、彼の方が素早かった。閉じようとしていたドアの隙間にねじ込まれた彼の足は「びしゃり」と「ぐしゃり」の中間のような、濡れた音を立てた。
「僕だよ、カナコ。君に会いたくて、やっとの思いで戻ってきたんだ」
「そんなこと、見ればわかるわ」
私はドアノブを両手で掴み、腰を入れて引っ張りながら言った。
「水死体の知り合いなんて、他に心当たりがないもの。すぐあなただってわかったわ」
ドアの向こう側で息を呑む音が聞こえたが、それすらなんだか水っぽかった。
「あっ。なんてことを言うんだい、カナコ。こんな感動的な再会の瞬間に、野暮なことを言うもんじゃないよ」
向こうも負けじと、ドアの隙間に片手を突っ込んで、既に死んでいるとは思えない力強さで引っ張る。
「『野暮なこと』なんて文句を言うのなら、もう少し見られる姿で現れたらどう? それならあたしだって、『まさか死んでいるとは思わなかった』ってフリぐらいしてあげるわよ。だけどあんた、どう見たって死んでるじゃない。しかも、これ以上ないくらいわかりやすく、溺死でしょ?」
もはや表情を作る顔の筋肉など残っていないくせに、ひどく傷つけられたという様子を巧みに醸し出して見せたので、私は罪悪感のために一瞬気が緩んだ。
その隙を見逃さず、狡猾な死体は渾身の力を込め、ドアを引っぱった。ドアノブが私の手をすり抜けていった。大きく開け放たれたドアから、ゾンビが押し入ってきた。
私は悲鳴をあげた。
「お願い、やめて! 私を仲間にしようと思って戻って来たんでしょ? 生きたまま脳みそを食べられた後にゾンビになるなんて嫌、嫌、いやあああああああああああああああ!」
「何を言っているんだい、カナコ。僕はゾンビじゃない」
「でも、生きてはいないでしょ」
「人間の脳みそなんか食べたくもないよ。実のところ、もうずっと食欲がないんだ。僕自身は、長いこと海を漂ううちに、サメや魚の餌にされちゃったけどね」
そう言って、ユージは可笑しそうに笑った。
そういうところだよ! こっちが真面目に腹を立てていても、ふざけて、余計に腹が立つ。
「なんで今頃帰って来るの。私がどんな気持ちであなたを諦めたと思ってるの。遅いよ。一ヶ月は泣き暮らして、三ヶ月間待ったけど、遺体もあがらなかったから、やっとの思いで諦めた。ううん、諦めようとしていたのに」
「諦めなくてよかった! こうして帰ってきたんだから」
「今さっき、きっぱりと諦めたから。そんな風に変わり果てた恋人を、一体どうやって愛せるっていうの? 面影ゼロだよ? 無理無理無理無理、絶対無理に決まってる」
それを聞くや否や、ユージは天を仰いで「そんな」と叫ぶと、前のめりにぶっ倒れた。またしても、「びしゃり」と「ぐしゃり」の中間の不快な音がして、水が四方に飛び散った。
海の匂いがした。
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