瑠璃色の見える場所へ

第1話 桐生理沙（きりゅうりさ）

ピン……ポン

土曜（どよう）の朝（あさ）の優雅（ゆうが）なモーニングは

一打（いちだ）の遠慮（えんりょ）がちなチャイムによって壊（こわ）された

誰（だれ）だ、この飛島悠（とびしまゆう）の

ワンルームの平和（へいわ）を打（う）ち破（やぶ）ろうとする不届（ふとど）き者（もの）は

ええい知（し）らないや、ぼくは居留守（いるす）を構（かま）えることにした

16歳（さい）のぼくは休日（きゅうじつ）を破壊（はかい）する社会（しゃかい）と戦（たたか）うのだ

扉（とびら）の向（む）こうの声（こえ）「あの……すみません」

悠（ゆう）「空（あ）き家（や）ですよー！！」

扉（とびら）の向（む）こうの声（こえ）「えっ」

それきり声（こえ）は止（や）んだ

なかなか素直（すなお）なやつのようだった

ぼくはトーストを牛乳（ミルク）で流（なが）し込（こ）みながら

テレビでYouTubeを見（み）る作業（タスク）に戻ったのだ

飲（の）み干（ほ）したあとに牛乳（ミルク）の

消費期限（しょうひきげん）が2日前（ふつかまえ）であることに

気（き）づいたけど、まあロスタイムだから大丈夫（だいじょうぶ）だろう

神（ゴッド）は寛容（かんよう）であられる

と思（おも）っていたら

階段（かいだん）を上（あ）がってくる音（おと）が聞（き）こえてきた

なんだか嫌（いや）な予感（よかん）がするなあ

扉（とびら）の向（む）こうの声（こえ）「あの……

空（あ）き家（や）だって……言（い）ってるんです」

もう一（ひと）つの声（こえ）「もう……

あの子（こ）いつも適当（てきとう）なんだから

悠（ゆう）くん！いるでしょ！合鍵（あいかぎ）で開（あ）けるよ！」

ドンドンと金属（きんぞく）の扉（とびら）が重（おも）いノックを鳴（な）らしている

神（ゴッド）はぼくに平穏（へいおん）な朝（あさ）を

約束（やくそく）してはくれないようだ

重（おも）い足（あし）をなんとか前（まえ）に出（だ）してぼくは扉（とびら）を開（あ）けた

すきまから少（すこ）し冷（つめ）たい秋（あき）の風（かぜ）がすり抜（ぬ）けると

大家（おおや）であり、ぼくの叔母（おば）である正美（まさみ）さんと

その後（うし）ろに、ひとりの女（おんな）の子（こ）が立（た）っていた

たぶんぼくと同（おな）じか少（すこ）し年下（としした）だろう

女（おんな）の子（こ）は白（しろ）いセーターに水色（みずいろ）のマフラー

ベージュのパンツと地味（じみ）な格好（かっこう）だった

黒（くろ）い髪（かみ）は肩（かた）まで伸（の）びて朝（あさ）の光（ひかり）を映（うつ）し出（だ）している

ぼくの姿（すがた）を見（み）たとたん、あっ、と驚（おどろ）いて

目（め）を逸（そ）らしてしまった

正美（まさみ）さん「悠（ゆう）くん

いてるならちゃんと出（で）なさい

幽霊（ゆうれい）じゃないんだから」

悠（ゆう）「いま出（で）てきたじゃないか」

正美（まさみ）さん「もう……悠（ゆう）くん、あのね、

悠（ゆう）くんの隣（となり）の部屋（へや）

民泊（みんぱく）で貸（か）し出（だ）すことにしたから

この子（こ）はお客（きゃく）さん第一号（だいいちごう）なの

いろいろ案内（あんない）してあげてね」

悠（ゆう）「ええー」

正美（まさみ）さん「あんたねえ

家賃（やちん）2万円（にまんえん）にしてあげてるんだから

すこしくらい手伝（てつだ）いなさい」

女（おんな）の子（こ）「あの……はじめまして……」

女（おんな）の子（こ）はなぜか恥（は）ずかしそうにしていた

あんまり人見知（ひとみし）りするほうには感（かん）じないけどな

ぼくの部屋（へや）の表札（ひょうさつ）をチラと見（み）た

女（おんな）の子（こ）「飛鳥（あすか）さん」

悠（ゆう）「飛島（とびしま）だよ、飛島悠（とびしまゆう）」

女（おんな）の子（こ）「あっごめんなさい」

悠（ゆう）「名前（なまえ）は？」

女（おんな）の子（こ）「桐生理沙（きりゅうりさ）です」

悠（ゆう）「なんで鶺鴒市（こんなところ）に観光（かんこう）に？」

理沙（りさ）「えっ！？……あ……その……

外（そと）の世界（せかい）が……見（み）たくて……

見（み）たかったんですよ！」

悠（ゆう）「外（そと）の世界（せかい）って……

君（きみ）脱獄犯（だつごくはん）なの？」

理沙（りさ）「あはは……

まあ……似（に）たようなもんです」

理沙（りさ）はなぜだかしどろもどろになっていた

国家機密（こっかきみつ）でも握（にぎ）っているんだろうか

あえて詳（くわ）しくは問（と）わないことにした

正美（まさみ）さん「じゃ、必要（ひつよう）なお金（かね）は

理沙（りさ）ちゃんに渡（わた）してあるから

じゃあね、若（わか）いお二人（ふたり）でどうぞー」

正美（まさみ）さんはそう言（い）い残（のこ）して

階段（かいだん）をさっさと降（お）りていった

なんかにやにや笑（わら）ってるし

悠（ゆう）「で、どうする？」

理沙（りさ）「つ……連（つ）れてってください！」

悠（ゆう）「まさか……ノープランだったの？」

理沙（りさ）「はい……」

悠（ゆう）「観光（かんこう）なのにノープラン？」

理沙（りさ）「……はい」

悠（ゆう）「桐生理沙（きりゅうりさ）、性格（せいかく）、なげやり……と」

呆（あき）れたぼくはスマホを取（と）り出（だ）して

アプリのメモ帳（ちょう）に情報（じょうほう）を打（う）ち込（こ）んだ

ぼくは正確（せいかく）な情報収集（じょうほうしゅうしゅう）と整理（せいり）を

つねに怠（おこた）らないのである

理沙（りさ）「ちがいますよぉ！

わたし……しっかりしてるし！」

悠（ゆう）「うーん、じゃあなんか言（い）ってよ

お題（だい）というか」

理沙（りさ）「その……

海（うみ）が……見（み）たい！！」

悠（ゆう）「えっ」

理沙（りさ）がいきなり大声（おおごえ）で言（い）うもんだから

さすがのぼくも驚（おどろ）いてしまった

海（うみ）に行（い）くのにそんなに気合（きあ）いを入れる

必要（ひつよう）があるのかどうか

ぼくは不思議（ふしぎ）に思（おも）った

理沙（りさ）「……ダメですか？」

理沙（りさ）は上目遣（うわめづか）いで

ぼくの顔（かお）をのぞいてきた

悠（ゆう）「いや、いいけど……」

理沙（りさ）「やったぁ」

理沙（りさ）は嬉（うれ）しそうだった

笑顔（えがお）はかわいい

悠（ゆう）「ここからだとすこし遠（とお）いな

バイクでいこう」

理沙（りさ）「もしかして……

二人乗（ふたりの）りですか？」

悠（ゆう）「そりゃそうだよ」

理沙（りさ）「あっ……はい」

ぼくたちはマンションの

駐輪場（ちゅうりんじょう）までやってきた

バイク置（お）き場（ば）は奥（おく）まった

暗（くら）いところにあって妙（みょう）に埃（ほこり）っぽい

その中（なか）の一角（いっかく）にぼくの愛車（あいしゃ）が鎮座（ちんざ）している

中古（ちゅうこ）の250CC（ニーハン）で単気筒（たんきとう）だけど

しぶとく走（はし）るいいヤツだ

バイクにぶら下（さ）げていた

二（ふた）つのヘルメットを外（はず）した

理沙（りさ）「バイク乗（の）るの……はじめてです」

悠（ゆう）「あ、そうだ、長（なが）いマフラーは危（あぶ）ないよ」

理沙（りさ）「え、はい」

理沙（りさ）はマフラーの垂（た）れ下（さ）がった部分（ぶぶん）を

セーターの中（なか）にしまった

悠（ゆう）「それとヘルメットね」

ぼくはキャップ型（がた）のヘルメットを

理沙（りさ）に被（かぶ）せた

顎（あご）ひもを締（し）めようとして

理沙（りさ）の頬（ほお）に手（て）が触（ふ）れた

悠（ゆう）「こうやって強（つよ）めに締（し）めて……」

理沙（りさ）「あっ……自分（じぶん）でやりますよ」

悠（ゆう）「いいから」

理沙（りさ）の顔（かお）が赤（あか）くなっていた

ちょっときつくしすぎたかな

悠（ゆう）「苦（くる）しい？」

理沙（りさ）「大丈夫（だいじょうぶ）です」

ぼくもヘルメットをふかく被（かぶ）り

顎（あご）ひもを締（し）めた

バイクの車体（しゃたい）を起（お）こし

サイドスタンドをしまった

えっちらおっちらバイクを押（お）していると

理沙（りさ）も後（うし）ろから押（お）してくれた

理沙（りさ）「わかった」

悠（ゆう）「なにが？」

理沙（りさ）「悠（ゆう）くんいじわるでしょ」

悠（ゆう）「いやいや

ぼくはめちゃくちゃ性格良（せいかくい）いよ

近所（きんじょ）でも評判（ひょうばん）なんだ」

理沙（りさ）「やっぱり」

道路脇（どうろわき）まで出（で）るとぼくはバイクに跨（またが）った

続（つづ）けて後（うし）ろに理沙（りさ）が乗（の）ると

車体（しゃたい）が少（すこ）し揺（ゆ）れたので

ぼくはぐっと踏（ふ）ん張（ば）ったのだ

悠（ゆう）「じゃあ出（で）るよ」

理沙（りさ）「うん」

ぼくはクラッチレバーを握（にぎ）り

ギアを落（お）としてゆっくりめにアクセルを捻（ひね）った

エンジンが低（ひく）い声（こえ）で唸（うな）りをあげると

景色（けしき）がすーっと流（なが）れ出（だ）していく

理沙（りさ）「うわわ、けっこう速（はや）いね」

悠（りさ）「じきに慣（な）れるよ」

ロードサイドに居並（いなら）ぶチェーン店（てん）の群（む）れを

見送（みおく）りながら進（すす）んでいると

意地（いじ）の悪（わる）い赤信号（あかしんごう）に捕（つか）まってしまった

ふと歩道（ほどう）を見（み）ると練習（れんしゅう）に行（い）く途中（とちゅう）だろうか

クラスメイトの智哉（ともや）がおおきなスポーツバッグを

前（まえ）カゴに積（つ）んで

自転車（じてんしゃ）で歩道（ほどう）を走（はし）っていた

智哉（ともや）はぼくの姿（すがた）に気（き）づくと大声（おおごえ）をあげだした

智哉（ともや）「あああっ！！おい悠（ゆう）！

いつの間（ま）に彼女（かのじょ）つくったんだよ！

めっちゃかわいいじゃねえか！」

悠（ゆう）「いや、隣（となり）の部屋（へや）の……」

理沙（りさ）「そうですよー！

わたし悠（ゆう）くんの彼女（かのじょ）でーす！」

理沙（りさ）は満面（まんめん）の笑（え）みで智哉（ともや）に手（て）を振（ふ）っていた

智哉（ともや）「ああああああああああぁぁぁぁぁ！

悠（ゆう）てめー！ぶっ飛（と）ばすぞ！」

悠（ゆう）「ちょっとちょっと！」

理沙（りさ）「しかえし」

理沙（りさ）はぼくにぎゅっと抱（だ）きついてきた

信号（しんごう）が青（あお）に変（か）わったので

僕（ぼく）はアクセルを開（あ）けた

単気筒（シングル）の低（ひく）い音（おと）を残（のこ）しながら

僕（ぼく）たちは海（うみ）へ向（む）かった