肩こり少女 ~真珠の耳飾りの少女による恋愛指南~

全てフィクションです。

第1話 姉御肌の名画

 真珠の耳飾りの少女。世界的に名の知れた名画だ。光を巧みに表現に取り入れた17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメールの傑作で、「オランダのモナ・リザ」とも評されている。


 漆黒の背景から浮かび上がるエキゾチックな風貌の少女は、真珠の耳飾りと青いターバンを身につけ、端正だがあどけない表情を浮かべている。


 作品内に用いられている色の数は少なく、そのことと、ふんだんに取り入れられた光の加減が相まって瑞々しい印象を与えている。


 そしてこの、真珠の耳飾りをつけたあどけない少女はかなりの姉御肌で、僕の高校生活を変えてくれた恩人だ。



 九月の西日が差し込む電車の中で長椅子の端っこに座っている篠岡若葉さんは、英単語帳をじっと見つめていた。


 僕は篠岡さんが座っているところからはす向かいの位置に座って、スマホにつなげたイヤホンで音楽を聴きながら、ちらちらと篠岡さんを盗み見ていた。


 篠岡さんは、右手を左肩に置いてセルフ肩もみをしながら真剣に英単語帳を見つめている。その姿が妙に凛々しい。一週間前は体育祭の応援席ではしゃいでいたとは思えない。


 メリハリがしっかりしていて、いざという時はビシッとしている。できる女の人っていうのはこんな感じなのだろうか。将来キャリアウーマンになっている篠岡さんの姿を勝手に妄想する。


 篠岡さんは東宮南口駅で降りて行った。もともと乗客はまばらだったけれど、篠岡さんがいなくなるだけで一気に車内が空虚になったような気がした。


 篠岡さんは写真部に所属している。写真部の活動日は火曜日と水曜日と金曜日で、たまに土日も活動しているらしい。今日は木曜日だから、篠岡さんは放課後はそのまま帰宅する。ちなみに僕は帰宅部だ。



 今日も話しかけられなかった。


 僕は花田道駅で降りて、停めていた自転車に乗って家に帰った。一人っ子で、両親は共働きで、しかもお父さんは海外に単身赴任をしている。大体いつも僕がお母さんよりも早く家に帰る。一軒家に一人でいるのは妙な征服感と寂しさがある。


 カバンを子供部屋において、洗面所で手洗いうがいをして、高校のロゴが刺しゅうされたカッターシャツを洗濯籠に放り込んで、また子供部屋に戻って、制服のズボンをジャージに履き替えて、カバンからスマホを取り出して、ベッドに寝転んだ。


 SNSを開くけれど、別に誰かに連絡するためではない。学校に友達はいるにはいるけれど数は少ないし、とりたてて連絡することもない。


 もちろん、誰かからメッセージが来ているとは思っていない。僕は地味な方で、決してリア充グループの一員でもないから、SNSはあまり活用できていない。


 それでも僕がSNSを開いたのには理由があった。篠岡さんの写真が見られるからだ。


 僕も篠岡さんも永橋高校の二年三組に所属している。そして僕がSNSを開いたのは、今日の昼休みにクラスのグループチャットにアップされた数百枚に及ぶ体育祭の写真から、篠岡さんが写っているものを探すためだ。


 我ながらストーカーじみているとは思うけれど、まあ仕方ない。好きな人の写真が合法的かつ無リスクで見れるのだから、男たるものこの機を逃してはならない。さっき電車のなかで話しかけるチャンスを逃した分、ここは何としても篠岡さんの写真を見つけ出して、保存して、じっくりと見つめていたい。そして何より、本人には絶対にこのことを知られたくない。


 数百枚及ぶ写真を選別するのは大変だったけれど、何枚か篠岡さんが写っている写真を見つけることができた。そのうちの一枚に、僕はくぎ付けになってしまった。


 青いハチマキをちょこんとまいた篠岡さんが、カメラの方を振り返るように、体はあっち、頭はこっちといった感じでカメラ目線になっている写真だった。呼びかけられて振り向いた瞬間がスマホのカメラに収められたらしい。


 写真が撮られたのは体育祭が終わったあとの片づけのときのようで、夕日が篠岡さんを柔らかく包んでいた。無表情なのは真剣に片づけをしていたからだろう。その無表情が逆にいい。


 そういえばこんな構図の絵があったよな、と僕は思った。そして芸術好きのお母さんがその絵のレプリカを持っていることも思い出した。


 その絵を見たところで何の意味もないことはわかっているけれど、篠岡さんが同じようなポーズで写っている写真があれば、その絵も見たくなった。我ながらかなりストーカーじみている。


 僕はリビングに行って、本棚の下にある雑誌や色々な紙類がごちゃごちゃに詰められた箱を漁った。例の絵のレプリカは確かこの中にしまい込まれているはずだった。


 お母さんは芸術好きだけど、レプリカを堂々と壁にかけるのはちょっと気が引けるらしい。五分ほど漁っていたら例の絵のレプリカが出てきた。


 裏面を見ると、『真珠の耳飾りの少女・フェルメール作』とおしゃれな字体で印刷してあった。そういえばそんな名前の絵だったなと思って、表に戻す。篠岡さんの例の写真を表示したスマホを右手に、レプリカを左手にして見比べてみた。


 篠岡さんの写真と見比べてみる。顔はあんまり似ていない。何故か僕はがっかりして、ため息をついた。



「ねえ、あんた、なんでそんなにがっかりしてるの。私の何がわるいの」


 急に女の人の声が聞こえて僕はぎょっとした。


 いきなり声が聞こえてきたことよりも、好きな女の子の写真とその写真に構図が似ている絵画を見比べるというかなりアレな行為を、誰かに見られていたかもしれないという衝撃の方が大きかった。


 きょろきょろと周りを見回していると、


「ああ、もう、こっちこっち。こっちを見て。あんたが今手に持っているレプリカを見て」


 と聞こえてきた。視線を真珠の耳飾りの少女のレプリカに戻すと、絵画の中の少女がこっちを見てすねたような顔をしていた。


「ああ、ようやく気が付いた。人の顔をまじまじと見て、挙句の果てにため息を作って、失礼千万ってやつだね」


真珠の耳飾りの少女が喋った。



 僕は、ひいっ、と変な声を上げてしまった。レプリカを放り出してしまう。ひらひらと舞ったレプリカは、フローリングの床にパサリと落ちた。


「レプリカだからって雑に扱わないでよね。別にお化けじゃないんだからそんなに驚かないでよ。ほら、私を拾って」


 真珠の耳飾りの少女はわめいた。僕は恐る恐るレプリカを拾って、向き合って、

「あなたは誰ですか」

と間抜けに言った。


「諸説あるね。フェルメールの一人娘ってのが最有力らしいけど、真相は闇の中だね。もしかしたら架空の人物かも。まあ、私は知っているんだけど、謎は謎のままの方が面白いじゃん」


 真珠の耳飾りの少女が言っているのはおそらくこの絵のモデルのことなんだろうけど、僕が知りたいのはそこではなかった。何故絵に描かれた人物がいきなり話始めたのか、その正体は一体何なのかということが知りたかった。


 当惑している僕の様子を見てか、彼女は口を開いた。


「驚くのはわかるけど、人を化け物みたいに扱わないでよ。絵画が喋ってもおかしくないじゃない。画家が魂込めて描いた絵画なんだから、ちょっと不思議なことが起きてもおかしくはないじゃん。それはそうと、なんであんた私を見てそんなにがっかりしていたのよ。普通、私を見た人は、大体私に見とれるっていうのに」


 僕は多分夢を見ているのだろうと思った。多分、ベッドに寝転がったまま寝入ってしまったんだろう。夢にしては視界がやけにはっきりしている気はするけれど、明晰夢というやつはこんな感じなのかもしれない。


 右手に持ったスマホをリビングの床におくと、僕は意を決して絵画の中の人物と話すことにした。


「その、篠岡さんと見比べてみて、あまり似ていなかったから、なんとなくがっかりしたんだよ」

「篠岡さんって誰なの?」

「同じクラスの女子だよ」

「あ、わかった。あんたその女の子の事が好きなんだね。それで、私で何かしらの代用にしようとして、似ていなかったからあてが外れたと」


 ほとんど図星だった。僕は胸を突くような恥ずかしさに襲われたけど、どうせ夢の中なのだから関係ない。


「そんな感じだよ。似てなかったから、がっかりした」

「なるほどね。変態だね。気持ち悪いね。スマホと私を見比べていたみたいだけど、その篠岡さんって人の写真をスマホで見ていたの?」


 彼女はいつの間にか正面を向いていた。そして、ぐいぐい聞いてくる。綺麗な顔立ちの中に好奇心が露骨に浮かんでいた。絵画の中の人物ってもっと落ち着いているものじゃないのだろうか。偏見だけど。


「そうだよ」

「見せて」

「いやだ。恥ずかしい」


そこは何としても守りたい。好きな女の子の写真を選別し、その写真に構図の似ている絵画と見比べていたことは、たとえ夢の中でも他人には知られたくなかった。


「そこをどうにか」

「絶対に嫌だ」

「ふーん。そんなに嫌なのね。なら、実力行使で見てみるね」


 彼女はそういうと、ふんっ、と声をあげた。すると、彼女が入っているレプリカが飛び上がった。どうやっているのか、絵画が印刷されてる面を下に向けて、ひらひらと舞い降りる。


 そして、床の上に置かれたスマホの上に器用に着地した。僕はスマホの画面をつけっぱなしにしていた。画面には篠岡さんの例の写真が表示されたままだった。何故画面を消灯していなかったのかと後悔した。


「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ。あんた、想像以上に面白いね。私にそっくりの構図じゃん。これ見て私を見たくなったんだ。こんなの初めてだよ。あんた、名前を教えてよ。私、あんたのこと応援してみたくなった」


 レプリカはスマホに覆いかぶさったままはしゃいだ。


 いくら夢の中で、絵画にとはいえ、自分の最も見られたくないところを他人に見られ、僕は耐えきれないような恥ずかしさに襲われていた。それと、応援というけれど、たかが絵画に何ができるのだろうか。


 僕はレプリカをそのままにして、ぶっきらぼうに言った。


「教えるわけないだろ。だいたい、どうやって応援するつもりなんだ」


「そりゃああんたのケツをひっぱたいて篠岡さんとお近づきになれるように、あんたをたきつけるって意味で応援するよ。あんた、好きな人の写真を見てニマニマするのが精いっぱいなんでしょ? これじゃあ今まで彼女がいたことなんてないよね。実際に話しかける勇気はなさそうだもんね。そんなんじゃいつまでたってもデートすらできないよ」


 また図星を突かれて、僕は言葉に窮した。彼女はまたもや容赦ない言葉を僕に浴びせてきた。


「共学の高校で彼女が出来なかったら、これから先もっと難しんだよ。大学に入ったらどうにかなるかもと楽観してるのかもしれないけど、そうやって結局は大学四年間を独り身で過ごすヘタレ男子はいっぱいいるんだよ。ほら、ここは私に助けを求めなさい」


 夢の中の出来事は、自分の記憶をランダムに再構成したものだという話を聞いたことがある。多分、彼女が言っていることは、僕がネットか何かでいつか読んだ話か、誰かが言っていたのを聞いた話なのだろう。


 でも、彼女の言葉には説得力があった。とりあえず、夢が冷めるまではしっかりと彼女の話を聞いてみよう。そうすれば、僕の心構えを変えるきっかけになって、今までと違って篠岡さんとの関係に何か進展をもたらすことができるかもしれない。


 僕はレプリカを拾い上げて絵画と相対し、彼女に向って言った。


「じゃあ助けを求めるよ。まずは何をすればいい?」

「とりあえず名前を教えて」

「里井秀樹」

「さといひでき、ね。普通の名前だね。秀樹って呼ぶね」

「僕は君の事なんて呼べばいい?」

「真珠の耳飾りの少女とか、青いターバンの少女とか、ターバンを巻いた少女とか、色々呼び名があるけど、どれにする?」

「どれも長すぎるよ。じゃあ、真珠、でいいかな」

「雑なあだ名ねえ。女の子に対する気遣いのなさがにじみ出ちゃっているね。それにしてもあんた不愛想だよねえ。そんなんじゃ篠岡さんゲットできないぞ」

「不愛想なのはびっくりしているからだよ。夢の中とは言え、こんな変な相手と会話をしていると、誰だってこうなるよ」

「普段はもっと愛想がいい、と」

「そうだよ」

「ふーん」


 真珠が疑いの目を向けてきたとき、玄関から鍵を開ける音がして、ただいまー、というお母さんの声が聞こえてきた。そのままリビングに入ってくる。


 僕が箱から取り出してそのままにしていた雑誌類や紙類を見てちょっと驚いた顔を見せた。真珠はいつの間にか元通りにもどって、済ました顔でこちらを見つめていた。


 僕は、お帰り、といって、真珠のレプリカとスマホを持ってリビングから退散して子供部屋に向かった。夢の中とは言え親にはこの現場を見られたくなかった。お母さんは、片づけなさーい、といってきたが、どうせ夢の中だから関係ない。


 子供部屋に戻ると、レプリカとスマホを勉強机の上に置いて、僕はベッドに入って眠りについた。なかなか明晰夢から覚めないのなら、もう一度寝てしまえばいいと思った。

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