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「リツさんがしたいようにすれば良いよ。無理強いなんてしないから、ゆっくり考えて。……で、髪色どうします?」

「アッハイ。…えっと、」

いつもより近い距離で身を寄せ合い、私がシュンさんに半ば肩を抱かれるような形でサンプルを覗き込んだときだった。


バン‼︎‼︎


鋭い轟音が店中に響き渡る。

一瞬、店全体が揺れたと錯覚したほどだった。

反射的に音源と思しき方角を振り返る。

出入り口のガラス戸の横、通りを大きく見た渡せるようなショーウィンドウに、早見蘭が貼り付いていた。

彼は昨夜見たそのままの格好…つまり、返り血モドキの赤黒い飛沫を浴びた服を身にまとったままだった。しかも、長い時間外気に晒されていたらしく全体的に薄汚れ、さらに凄惨な様相を成している。

おまけにその表情といったら、今にも歯軋りの音が聞こえてきそうな憎悪に歪み、こちらを睨みつける目はあまりの激情の為か潤んで鋭い光をたたえ、まるで本物の殺人鬼だった。

「…は?何、何何何マジで何だよアイツ嘘だろ通魔かよ⁉︎」

震える声でシュンさんがそう言ったのも無理はない。

窓の向こうなのどかな日差しの下に、ホラー映画から抜け出してきたような男を目の当たりにすれば、普通の人間なら誰だってこうなる。

しかし、それでもシュンさんは壁に立てかけてあったモップを手に取り構えた。どうやら立ち向かうつもりらしい。大した気概だ。

しかも私を庇おうとしたのだろう、シュンさんは後ろ手で私の肩を掴んで下がらせようとした。

が、彼の手が私の肩に触れたその瞬間、窓の向こうで男が鬼のように目を釣り上げ、拳を大きく振りかぶる。

再び空気を震わせる轟音、そしてなんと今度は男の拳を中心にビシビシと窓に亀裂が走った。「「Wow‼︎」」と2人揃ってアメリカ人のようなリアクションをしてしまう。

シュンさんは私を振り返って「リツさん!奥の仮眠室に、ッ⁉︎」と半ば怒鳴るように言いかけて、ギョッとしたように動きを止めた。

私自身、シュンさんの目線を辿るまで無意識だったのだが、いつの間にか自分の手にハサミが握られていることに気がつく。しかもこのハサミはただのハサミではない、美容師のスキバサミであり、どうやらシュンさんの腰元から私が勝手に抜き取ったらしい。

要するに、私は立ち向かう気満々なのだった。

「危ないから隠れててくださいよ!ちょっと⁉︎」とシュンさんがいうのを無視し、私はハサミを構えたまま窓に近づいていく。

男とガラス越しに目が合う。その途端、みるみるその目が潤みを増し眦が垂れて情けなくその表情が歪んだのを見て、ハサミを下ろした。

私がガラス戸を開けて外に出た時には、男は窓に身体を預けるようにしてズルズルと崩れ落ちるところだった。

「蘭さん」と、その背中に声をかけると、彼はノロノロと顔を上げた。

頬は青あざ、乾いた鼻血の跡、唇は切れていて痛々しかった。

「…アキちゃん…」

祈るように名前を呼ばれる。

私は背中に回した手でハサミを握りしめたまま、慎重に歩みよった。

もうほとんど警戒をといてはいたが、万が一彼がこちらに襲いかかってくるようであれば、その目にハサミを突き立ててやるつもりだった。

「…蘭さん。どうやってここが「アキちゃん」

遮るようにもう一度名前を呼んだ男は、背を丸めて土下座のような姿勢を取った。そして己の頭上に掲げるようにして何かを差し出す。

タオルに包まれた、私のねじ回しだった。

「お願い…僕を殺して」

そう言って蘭さんは堤防が決壊したようにその場でわんわん泣き出した。



しばらくは会話にならなかった。

口を開けば「ごめんなさい」「殺してください」「アキちゃんの手で殺して」としか言わない蘭さんの手を引いて店内に入ると、シュンさんはまさにスマホを手に警察に通報しようとしていた。間一髪だった。

ドン引きしているシュンさんを尻目に、私は泣き喚く蘭さんをなんとか宥めようとした。

私は何で、一度はあれだけの怒りを抱いた相手に、こんなに必死になっているのだろう。自分で自分の行動が謎だった。

ともかく、そんな試行錯誤の結果。

床に座り込んだ彼がソファに座った私の膝に顔を埋め子供のように泣き続ける、という光景ができあがってからかれこれ三十分近く経つ。

流石に蘭さんも泣き喚くのをやめ、ぐずぐずと鼻を鳴らすだけになっていた。

考えてみれば。

彼がただの悪ふざけか何かであそこまでのことをするとは思えない。本人の演技力もさながら、血糊やら偽の死体やら、色々と手が混みすぎている。一晩おいて冷静になった今、彼の“動機”を知りくなっている自分に気づいた。

とりあえずは目先の疑問からぶつけてみることにする。

「あのさ、蘭さん。なんで私が美容室ここにいるってわかったの」

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