18

電話の向こうで不意に子供の奇声が上がり、その度にエンマさんが外国語で嗜め、会話が何度か中断されたりした。

「子供はにぎやかですね」

「ええ、それはもう。なんだか懐かしいです」

「懐かしい?」

「ええ、昔は私にも子供がたくさんいたものです」

あっけらかんとした物言いだが、過去形なのが気になった。

「…へえ、子沢山だったんですね。ちなみに何人くらい…?」

「17人」

「多いですね⁉︎」

もちろん、全員と血が繋がっているわけではないのですよとエンマさんは笑いながら言った。

ああ、私の子供たちに会いたい、とも。

聞けば、エンマさんの子供たちは、てんでバラバラの場所に散らばってしまったのだという。今も連絡が取れるのは17人のうちのほんの数人で、他の子供がどこで何をしているのかすら把握していないらしい。色々と複雑な事情がありそうだが、エンマさんが自ら話す以上のことを、こちらから聞くべきではないだろう。

「だから、私はひたすら祈っています。私の子供たちが毎日幸せであるようにと」

その声が、世間で言うところの愛情的な温かい何かで満ちていて、きっとエンマさんの子供たちは幸せだろうなと思った。

他の人の口から出れば鼻で笑ってしまうだろう綺麗事も、彼女が言うとホンモノに聞こえる。

アパートに住みはじめた当初から定期的に食べ物を持ってきたり、お茶に呼んだり何かと構ってくる彼女を、私は何故か拒めなかった。そうさせる雰囲気が彼女にはあった。ちなみに、洗濯機で靴を洗えることを教えてくれたのもエンマさんだったりする。

お互いの近況報告を終え、最後にエンマさんはいつもの決まり文句を言った。

「では、また今度お茶でもしましょう」

「ええ、ぜひぃいッ⁉︎」

膝に突然、暖かく湿った感触。

「……アキラ?大丈夫ですか?」

大丈夫です何でもないですすみません変な声出しちゃって!そう捲し立てて通話を切り、私は犯人を睨んだ。

「だって、可愛い膝が目の前にあったから」

先ほどまでコンドルだった男が、今度は子犬の目をして「ごめんね?」と上目遣いで見上げてくる。蘭さんはかがんだままのその姿勢で、どこからか引っ張り出してきたらしいブランケットを私の足に巻きつけ、その上からもう一度膝にキスをした。

ブランケットは長い間仕舞い込まれていたのかクシャクシャで、「日本人はお茶こそ命!」と筆字のようなフォントで一面にびっしりプリントされていた。どんなセンスだ。

「それ、昔ペットボトルのお茶のおまけで当たったヤツでね」

と、どこか得意げですらある蘭さんから差し出されたホットコーヒーに口をつける。私は日本人だが、お茶よりコーヒーこそ命!だ。

「ところで、誰と電話してたの?なんか、若そうな女の人の声だったけど」

「…と思うでしょ?焼けちゃったアパートでご近所さんだったんだけど、もう60歳とかになる人だよ」

「嘘ッ⁉︎」

「実際見た目も若いんだな、これが」

「声だけ聞いてて、てっきりアキちゃんより少し年上くらいの、優しそうな女の人だなーって思ったのに」

「実際優しいのは間違いないよ。私のこと心配して電話くれるくらいだし」

しかも、その優しさというのが押し付けがましくないし。とまでわざわざ口には出さないが。

「それに、なんか子供番組の歌のおねーさんみたいな、懐かしい感じがした」

そんなことを言う蘭さんに私は苦笑した。懐かしいも何も、今だってその手の番組はほぼ毎日見ているではないか。

これもまた蘭さんの習慣で、平日の夕方に幼児〜小学生向けの子供番組が立て続けに流れるチャンネルに合わせ、テレビを垂れ流しにしているのである。曰く、シンとしていて自分以外の声が聞こえない状況が落ち着かないのだとか。

見たい番組があったらチャンネル変えていいからねと言われているものの、私は基本的に日本のテレビ番組はほぼ見ないので問題はない。というか、私が見るものといえばスマホ&パソコンで開く動画サービスばかりでそもそもテレビを見ることがほぼない。ごくたまに見たとしても、海外旅行の番組や、BS放送の海外ドラマくらいだ。それも、続けて見る習慣はなく、気が向いた時になんとなく眺めるという感じだった。

しかし、そんな私にもこの家に来てから新たな習慣ができた。金曜ロードショーで洋画を放送するときは、必ず蘭さんと二人で見ること。そういえば明後日がその日だ。確かサスペンス系の映画をやるんだったはず…と記憶を探りながら、私は口を覆って欠伸をした。コーヒーが足りない。

「Make a wish?」

蘭さんが顔を近づけてきたと思うと、私の頬から睫毛を摘み上げた。

流暢な英語にキョトンとする私に、蘭さんは説明してくれた。抜けた睫毛に願い事をしてから、フッと息で吹き飛ばす。そんなおまじないがアメリカにあるらしい。バースデーケーキの蝋燭のようなものだろうか。

「前から思ってたんだけど、蘭さんって帰国子女だったりする?」

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