16

私の手から袋を取り上げたかと思うと、その剛腕を振りかぶって投擲。

ペチ。

と、勢いの割には小さな軽い音を立ててそれは床に叩きつけられた。小さな軽いモノなんだから当然だ。しかしだからこそ普通は飛距離もあまり伸びない筈のそれを、この男は廊下の端から端まで飛ばしてみせた。

「っしゃあ‼︎」

っしゃあ‼︎じゃないよ何やってるのこの人。

唖然とする私を、蘭さんはすかさず捕まえて片手で軽々と抱き上げた。

「っ⁉︎何今の豪快なポイ捨て‼︎しかも室内で‼︎そこまで必死になる⁉︎」

「僕の家だからいいの!具合が悪い人は大人しくしなさい!」

そのまま寝室に連れ込まれ、布団の上であぐらをかいた足の上に後ろから抱え込まれた。さらにお腹の上で手を組まれ、ゆるく拘束される。

しばらくムッツリと黙り込んでいた蘭さんだが、やがて口を開いた。

「……ねえ。アキちゃん。聞きたいことがあるんだけど」

「んー?」

蘭さんの高い体温がお腹と背中から伝わってきてくるのが想像以上に心地良くて、私は半ば微睡んでいた。

「火事があった日から今日までにさ。タイムラグがあるよね」

「ん…タイムラグ…?」

「その間、ずっとネカフェに一人でいたの?」

「んー……」

「アキちゃんってば」

かぷ。と耳に噛みつかれた。

「んっえ、何?」

「アキちゃんは、火事が起きてから、ずっとネカフェで、1人でいたの?」

蘭さんは耳たぶに唇を触れさせたまま、脳に直接吹き込むようにして尋ねてくる。

「ううん、ネカフェに来たの、今日の夕方からだし」

「え…じゃあ、それまでどうしてたの?」

「うーん…」

がぶがぶと今度は強めに噛まれる。

「んん、えっと、知り合いの家に泊まらせてもらってた」


「…………それってイツキって男のところ?」


急激に低くなる声。

私は無理やり意識を覚醒させた。なるほど、話が見えてきた気がする。

「あのカップラーメン、イツキって男からもらったんでしょ」

「蘭さん」

「あんな体に悪いもの、食べないに越したことないんだから」

「イツキは女ですよ」

一拍の間を置いて返ってきた、え?という声は通常のトーンに戻っていた。

「証拠写真もありますけど」

私はスマホの写真フォルダを開く。もともと写真をあまり撮らないタチなので、目当てのものはすぐに見つかった。

昔イツキと2人で撮った、数少ない自撮り写真の1つだ。プリクラ風に日付とそれぞれの名前が書き込まれている。しかも、そのときイツキはしたたかに酔っぱらっていたので、胸がはだけて上手い具合におっぱいの谷間が露わになっていた。これ以上の証拠はあるまい。

穴の開くほど画面を見つめていた蘭さんは、ギギギギと音がしそうなぎこちない動きで私に顔を向けると、

「す」

「す?」

「すみませんでした…」

そこから、それはもうアッサリと己の所業を白状した。

色々と言葉が迷走していたがわかりやすくまとめると、「得体の知れない男(蘭さんがそう言った)から貰った食べ物がアキちゃんの身体に入るのが許せなかったので、アキちゃんが寝ている間に全部粉々(!)にして捨てた」とのこと。

リビングと寝室はすぐ隣だし、どこまで文字通り「粉々」にしたのかはわからないが、それが事実なら結構な音がしたはずだ。しかし、それでも私は寝てたのか。私が気になったのはまずそこだった。

同時に、本当はイツキ本人の家ではなくイツキの彼氏宅にお邪魔していたこと、そもそもイツキは両性類りょうせいるい(これも本人談)でネッキングまで許したことは言うまいと誓った。

「…ごめんね、アキちゃん、眠いんだもんね」

ひとしきり謝罪を済ませた蘭さんは、私を布団に寝かせて頭を撫でてくる。

驚いたことに、私は意識がある程度ハッキリしている状態で蘭さん他人を前にしても、寝られそうな予感がしていた。今の少々過激な嫉妬のくだりを聞いてもなお、である。

微睡に意識を持っていかれる前に、私は自分のハンドバッグが近くにあるのを確認した。

その外ポケットの中に、ハンカチティッシュに隠れるようにして、ぶっといネジ回しが入っている。どんなときでも持ち歩いている、私の大事な“武器”だった。もちろん、あくまで護身用だ。私は倫理観というものをわきまえたサイコパスなのである。

そこから、私は眠りの国に片足を突っ込んだ状態で、ポツポツとこんな会話をしていたと思う。

「写真にはエリカって書いてあったけど…」

「ニックネームみたいなものです」

「そっか。…ねえ、僕ってやっぱり嘘つくのヘタかな。色んな人に言われるんだけど」

「はい。ヘタですね」

「あ、言い切っちゃうの」

「ちなみにさっき私も嘘をつきました」

「エッどんな?」

「本当はインスタント食品に消費期限の表示はないんです」

「っはー。やられた…」

「すいませんねこういう性分なので」

「すいませんなんて思ってないでしょ」

この小悪魔め。

なんて言われて、鼻をつままれたところまではハッキリと覚えている。

その後は、蘭さんがアレコレ話しかけてくるのにテキトーに相槌を返しているうちにやがて意識が落ちてしまった。


そして、翌朝。

「『太陽に向かってぇ〜、グッッッモーニン‼︎』‼︎あ、アキちゃんおはよっ!今日は忙しくなるね!身分証の手続きとか銀行とか行くついでに、役所にも行こうね!アキちゃんの住民票、ココの住所に変更しないといけないし!」

え、と固まる私の頬を、レオタード姿の彼は愛おしげに撫でる。

「だってアキちゃん、これから僕と同棲するんだよ?」

昨日寝る前にOKって言ってくれたもんね!

と。

ヘアバンドの下のスマイルはどこまでも無邪気だった。が、しかし。


この男、意外と策士かもしれない。

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