13
「ほんとは食事の後に誘おうと思ってたんだけどね。でもアキちゃん、食事どころじゃないでしょ。とにかく、こんなところで、そんな無防備な格好で寝てちゃダメ。うちに寝においで」
「……いや、」
「嫌?」
「あ、いえ、嫌とかじゃなくて」
むしろ、蘭さんは嫌じゃないのか。私は今血でドロドロでおまけに頭とお腹の痛みによる冷や汗でベタベタでなんなら化粧の下は肌荒れしていて。そんな女を連れ込んだところで、彼に何の得があるのか。
本来なら2人とも翌日仕事はないということで、“そういうこと”を前提にした食事会の約束だったはず。
控えめに言って面倒でしかないだろう、今の私という女は。
それでも心配してくれると言うなら、ちょっとお金を貸していただければ大変助かるのだが。通帳&カード問題を解決すれば確実に返せるし、なんなら一筆書いてもいい。ああでも、そういえばハンコもないのだった、サインで良いかしら。
「アキちゃん…」
蘭さんは私の言い分を聞くなり、アメリカ人のようにクルリと目を回した。何故私は呆れられているのだろう。頭痛に邪魔されて多少要領を欠いた説明だったかもしれないが、それでも至極真っ当なことを言ったつもりだ。
もしかして人目を気にして遠回しな表現をしたせいでうまく伝わらなかったのだろうか。ならばこの際ストレートに言わせていただこう、旅の恥はかき捨て(?)だ。
「申し訳ないですけど、ご覧の通りドロドロのフラフラな状態ですし家にお邪魔したところでセックスもできない女なんて「アキ!」
蘭さんはいつになく年上らしい、有無を言わせない高圧的な態度で命令を下した。
「いいから。うちに来なさい」
「……はい」
受付のにーちゃんは私たち2人を見て引いた顔をした。裸眼のぼやけた視界でもわかるくらい、あからさまだった。
口紅をベッタリつけた仏頂面の大男は無言でクレジットカードを突きつけ、その彼にほとんど抱えられているようなちっこい女は紫色の唇でグッタリしているのだ。無理もない。蘭さんが暗証番号を機械に打ち込んでいる隙に「通報する?」とジェスチャーで聞いてきたくらいだ。
119番か、はたまた110番の案件と思われているのか。まあ、どちらにせよ不要である。
私は笑って首を横に振ったが、きちんと笑えていたかどうかはわからない。
背中に張り付くような視線を感じながらネカフェを後にし、車に乗り込んだ時にはほぼ目も開けていられなくなった。
蘭さんはいつの間に購入したのか私にスポーツドリンクを握らせ、「気持ち悪くなったら遠慮なく吐きな」とまで言ってくれた。
ぼんやりとしか見えなかったけど、車の種類なんて全然わからないけど、おそらく今乗っているコレは高級車だ。
意地でも吐かないぞと決意を固めた私だが、流石は高級車、滑るように走る。その心地よい振動と、たまに頬に感じる骨張った指の感触。
閉ざされた視界でただ身を委ねながら、どれくらい時間が経ったのだろう。
何故か自分がコアラになっている夢を見た。
そうだ、間違いなくこれは夢だ。そう思った瞬間、体がガクンと落ちるような感覚に囚われ、私は人間として布団の上で目を開けていた。
「…うぇ」
反射的に身を起こそうとするも、視界が回って布団に逆戻りした。
というか、何故私は布団に寝かされているのか。それも、田舎のおばあちゃんのうちにあるような、昭和レトロな柄をした布団だ。
全体的に白っぽい、洋風でフローリングの部屋に合わないそれを何となく手で揉んでみる。
布団は私が使っていたものより重みがあって、頭を動かすと枕からジャリジャリとかすかに音がした。
…遠い昔、知らないおばあさんにお手玉を握らされて教わったのを思い出す。中に詰められていたのは確か「おじゃみ」と言ったか。そう、そのおじゃみの感触がする。
現実逃避がてら無心に枕を揉んでいると、何やら男女の声で話しているのが聞こえ、足音が近づいてきたと思ったら、扉が開いて“現実”がやって来た。
現実は、ラフな格好をした蘭さんと、ピラフの美味しい喫茶店のパンクなおねーさんの形をしていた。…私にはそう見えるのだが、正直自信はない。特に後半。
何せ視力が悪い上に瞼も重くて狭い視界のせいで、2人の表情すらよくわからない。やっぱりまだ夢の中かもしれないと思い始めたところで、おねーさんが口を開いた。
「何か食べたいものは」
私はその声がよく聞き取れなかった、否、正確には聞き取れたが意味を掴み損ねた。視界だけでなく思考もぼやけている。それでも何か言わなくてはと考え、結局出てきた言葉が、
「コアラ…」
「「コアラ⁉︎」」
2人をギョッとさせてしまった。
「アキちゃん、コアラのお肉が食べたいの…?」
え、どうしようどこで手に入るんだろうアマゾンで探せばあるのかな。
そんなことを言いながら私の枕元に屈んで困惑しきりの蘭さん。
「ちがう…コアラになった、ゆめを見てたみたいで。その気分が、ぬけなくて」
一方、蘭さんの隣に同じように屈み込んだおねーさんはすぐに冷静さを取り戻したらしい。
「何それ。つまり、あんたは今ユーカリが食べたい気分ってこと?」
「にんげんの食べものがいいです…」
「だろうね。もういい、テキトーに作るから」
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