8

明日か、明後日には私の本の装丁の見本が、ファックスでいくつか送られてくるはず。

突然立ち上がった私を、この家の家主でシングルマザーのモナさんがオロオロと見上げているが、私はそれに構う余裕がなかった。というか、日本語ペラペラなエンマさんと違って、彼女にはほとんど言葉が通じないので、会話がそもそも成立しない。無いだろうとは思っていたが、念のためエンマさんに通訳してもらって確かめたところ、やはりこの家にはファックスは無かった。パソコンも無ければ、WiFiも無い。

というわけで、私は片っ端から知り合いにメッセージを送り、ファックスとWiFiのある仮宿を早急に確保しなければならなかった。

これまでの人生、刹那的な人付き合いしかしてこなかった私の悲しい性で、こんなときに頼りになる友人にアテはなく、借宿探しは難航した。

普通の就職をしなかった私に“同僚”はいないし、学生時代に付き合いのあった人間は、連絡先は残っていても今どこで何をしているかなんて見当もつかない。

となれば、当然出会い系での過去の交流から探るしか無いわけで。


「アンタは過去を振り返らないタイプだと思ってたよ」

「何ソレ」

「んー、なんというか、その場限りの付き合いばっかで、会う機会が無くなればわざわざ自分から連絡とって関係を続けようとはしない、みたいな?」

ほら、来るもの拒まず去るもの追わず、ってヤツ。

そんなことを言うのは、今宵の借宿先を提供してくれたイツキという年下の女だ。

そう、れっきとした女である。

本名はイチカというらしいが、イツキという名前で男性を騙って私に接触してきたツワモノで、いかに人生を自由に生きるかに全てを注いでいる(本人談)人間だ。恋愛対象の性も自由ならば、自分の性もその時の気分で自由に選ぶ。選んだ性別に合わせて喋り方や仕草を変えるのはもちろん、服装も髪型もコロコロ変わるし、職も相変わらずアルバイトを転々としているらしい。以前と唯一違うのは、住処が一所に落ち着いた、という点だった。

「それにしてもイツキが同棲してるとはね」

「同棲っていうか、寄生に近いかも」

だって、家賃とか光熱費とか、生活費その他諸々、向こうの親が出してるし。なんて、こともなげに言うイツキ。

私は深く突っ込まずに、自分の興味のある部分だけを聞くことにした。

「相手は男?女?」

「男。ぶっちゃけ、大学の後輩なんだよね。向こうは私のこと知らなかったみたいだけど」

「え、待って、イツキの後輩ってことは現役で学生?私がお邪魔して大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫。どうせ、用事さえ済んだら長くいる気はないんでしょ?」

イツキは大学では心理学専攻だったとかで、人の性格を分析するのは上手いくせに、空気は読まないという不思議な性格をしている。人のことを言えた義理ではないが、私以上にテキトーな性格をしているので若干不安な人選ではあるが、背に腹はかえられない。

で、エリカ、、、は今いい人いるの?

とすっかり女子の顔で聞いてくるイツキを適当に流しながら、私は仕事のことで頭がいっぱいだった。

「ああ、アンタがイチカのサイコな元カノ?」

案の定というか、家主の学生くん(名前は聞いたその場で忘れた)は私を歓迎する気などサラサラないと言わんばかりに最初から若干喧嘩腰だった。その言葉に、そういえば私を最初にサイコパスと言い出したのはイツキだったな、と思い出す。

宿代と称して学生くんがレポートで使う心理テストとやらに答えさせられたが、私はやっぱりサイコパス寄りのスコアを叩き出してしまったらしく、本人そっちのけでイツキと盛り上がっている。

「で、アンタ普段は何してるわけ?」

「潜伏殺人鬼」

私は真顔で言い放つ。

それからにっこり笑った。

「……………って言ったらどうする?」

流石エリカ!というよくわからない賞賛と共に爆笑したのはイツキで、学生くんも笑ったが一瞬本気で顔を引き攣らせたのを私は見逃さなかった。

「…で、ホントのところは?」

「あー、エロ本作家」

私の身もふたもない答えに、「官能小説家っていいなよ…」と何故かイツキの方が呆れた顔をした。

この家でファックスのやりとりをさせてもらう以上、隠すのは無理があるだろう。そう思って私は事実を述べたまでである。

「人には言わないでね、マジで」

バラしたら、それなりの報復はさせてもらうから。と、しっかり釘は刺しておく。

「報復って何する気よ」と、後にイツキに聞かれた。

「え?フツーに出版社とか弁護士通して告訴するって意味だけど」

「あーうん、そんなことだろうと思ったけど。エリカはサイコのがあるってだけで常識人だもんね、基本的には」

「基本的にはって」

「でも、絶対アイツ誤解したよ?多分、エリカの報復って言葉をすごいバイオレンスな意味で捉えてるよ?」

「だって、ガチでバラされたら困るし。最近の子って、人が寝てる隙に勝手に写真撮ってSNSで拡散するくらいのことはしそうじゃん」

だからむしろ誤解大歓迎ですけど?と言えば、イツキは苦笑した。

「そんなことしないよ。相変わらずエリカは警戒心が強いというか何というか」

「でも嫌われてるのは事実でしょ?舐められたら何されるかわかんないし」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る