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私の方は、これでも顔はそこそこ良いつもりだが、言ってしまえばそれだけだ。身長は平均以下な上に痩せ型でバストはお愛想程度にしかないし、むしろよくこんなちんちくりんを抱いて下さいましたねと彼には感謝したいくらいである。おおかた、少しでも元を取るくらいの気持ちでいたんじゃないだろうか。

確か男性は有料のアプリだったはずだから。

まあ、彼の魂胆はどうであれ、結果的には綺麗な男に安全に、かつ気持ちよく抱かれるという貴重な体験ができて私的には大満足。

結論、昨日でセックスという1つの到達点を終えたのだから、今後続く可能性は限りなく低い。

“次”行こう、“次”。

…とまあ、仮にも正義のヒーロー(フィクションとはいえ)を前に穢れたことを考えていた私だが、開始10分もすれば映画の世界に惹き込まれた。さすが超大作にして名作、特にラストはフィクションの中のヒーローの美しい最期に、この私ですらウルッときた。友人や知り合いには「軽いサイコパスの気がある」だの、「情緒というものを子宮に落としてきた女」だの、散々な言われようの私だが、名作映画に素直に感動する心くらい持っているのだ。やはり人間はフィクションの中でこそ美しく、感動させてくれる生き物だ、などとらしくもなく哲学的な考えまで湧いてしまった。

エンドロールが終わり、館内の明かりが戻り始めても、周りからは啜り泣く声が聞こえてくる。私も束の間その余韻に浸ってから、さてと隣の男を見上げてギョッとした。

「ちょ…どうしたの⁉︎」

男は、色を失ったスクリーンを親の仇でも見るかのように睨みあげていた。

鼻に皺を寄せて、犬が威嚇するように唸り声をあげ、今にもスクリーンに飛びかからんばかりの前傾姿勢はただごとではない。控えめに言って怖い。

たしかに映画は、観る人によって感動の度合いに違いはあるだろうが、間違ってもこんな殺意を激らせるような内容ではなかったはずだ。なら何だろう、何かの発作か?と恐る恐るその肩に手を掛けたところで、

「う」

ボロッとその鋭い眼光から水滴が落ちた。

え、と固まる私の前で次々と水滴は溢れ、

「うう~」

みるみるうちに眉が下がり、顔をクシャクシャにして男は泣き出した。

なるほど、泣くのを堪えている顔だったのか。私は内心ホッとしながらハンカチを取り出し、座っていても高い位置にある男の顔を拭こうと腰を上げたところでめいいっぱい抱き寄せられた。

「あぶねっ」と一瞬化けの皮が剥がれた私に気づいているのかいないのか、男は映画の主人公の名前を呼びながら「なんで死んじゃうんだよ~」と子どものように咽び泣く。実際に抱っこされているのは私だが。ミニスカで思いっきり男の足を跨いでいる上に、骨張った指が遠慮なく縋り付いてきた拍子に、薄手のニットが捲れ上がって腰に外気を感じる。ついでに視線もビシビシ感じる。

ところで、身長が高いということは上背があるのはもちろん、当然足も長いわけで、立ち上がらない男のせいで通路が完全に塞がれていた。

しかし、映画の後の謎の一体感というのか、皆さん怒ることもなく、「あー、俺らあっちから出ますんで」と若いにーちゃん達は遠回りしてくれるし、「私も悲しくて涙止まんないです~」とカップルのねーちゃん(推定同世代)はもらい泣きするし、「その、なんというか、大変ですね…」と労わるような声をかけてくるおじさんまでいた。多分、最後の人には絶対何か勘違いされている。

最終的には劇場スタッフも寄ってきて、ポップコーンや飲み物の容器を座席で回収してもらうハメになりながら、私はなんとか男を宥めすかして立ち上がらせ、映画館を出た。



しゃくりあげながら女に手を引かれて歩く大男。すれ違う人に何事かという顔で見られながらモール前の大通りを突っ切り、裏道に入る頃には彼もだいぶ落ち着いていて、鼻をグズグズ鳴らすだけになっていた。会話はないが、どうせ行き先はこれまでと同じ。テラス席に青いパラソルが広がるお洒落なカフェ…の斜め向かいの、くすんだウィンドウの中でパスタのフォークが浮いている昭和っぽい喫茶店に入る。

「先輩、いつものピラフでいいですよね」

「…うん」

注文を取りに来たのは無愛想でパンクないつものおねーさんで、見上げたことに泣き腫らした顔の成人男性を前に眉一つ動かさなかった。耳だけでなく、眉にも唇にもピアスをしているから、表情筋が動かしにくいのかもしれない。

店内に客は私たちの他に一人しかいなかった。それも、前回も、前々回もいたような気がするツイードスーツのおじいさんで、窓の外をぼんやり眺めてこちらを見向きもしない。

BGMすらない静かな店内で、ようやく肩から力を抜いたところで男がいきなり「ああっ‼︎」と叫んだ。

「ハンカチが!」

「え?…ああ」

繋いでない方の手に握らせていた私のハンカチは大いにその役目を果たしたらしく、ビショビショのヨレヨレになっていた。

「ごめん弁償するから!」

「いいですって、その辺の安物ですし」

「じゃあクリーニングに出して返す!」

「そこまでしなくても洗濯すれば大丈夫ですって」

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