2

私があまりにもガン見していたからか、男は無表情のまま首筋に手を差し入れてきて、悪戯するようにくすぐってきた。

見た目のイメージに反して彼は体温が高い。指先からの熱がジリジリと肌を侵食していくような気がする。私が思わず首をすくめてもやめてくれない。

道中、男はそのまま私の首筋を弄り続け、摘みあげられたネコのような格好で映画館に突入する羽目になった。ここに来るまでもそうだったが、平均より遥かに背の高い男は周りの視線を集める。モールのエスカレーターを登っている時は対向車線(?)を下っている親子連れの子供から「でかっ!」と無垢な叫びを浴びていたし、今は薄暗い映画館で突然デカいシルエットに遭遇した大人があからさまにギョッとしているくらいだ。

しかし、忘れてはいけないのがこの男、とにかく顔がいいのである。

「あのー、お兄さん1人ですかー?」

トイレを済ませて戻ってくると、廊下で男は女性3人連れに囲まれていた。

彼が手にしている2人分の飲み物とポップコーンを見れば、1人でないことぐらいすぐわかるだろうに。

なんの映画見る予定なんですかあ?私たちなんの映画見るか決めてないんですけどー、お兄さんのおすすめは?このあと時間ありますぅ?もしよかったらお昼ご一緒しません?私たち今日いくらでも時間あるし、あ、別にたかろうとなんてしてないですよもちろんワリカンです、だから、そんなに警戒、しなくても…。

姦しい声がだんだんと勢いがなくなって行く。話しかけている間中男がずっと無表情かつ無言で、静止画のようにピクリとも動かないからだ。視線は宙の一点を見つめたまま、文字通り固まっている。

そんな彼にある種の異様さを感じ取ったらしく、ナンパ女たちは腰が引けていた。「やだ、ちょっと怖いよ…」「やめときなって」と、他の2人に止められながらも、勇気ある背の高い女が顔の前で手を振る。が、それにも瞬き1つしない男(そもそも女達が視界に入っているのかも怪しい)に完全に諦めたらしく、最後は半ば怯えた様子で逃げるように去っていった。撃退成功。

毎度のことながら斬新なナンパのやり過ごし方だ。私がちょっと男から離れるたびに繰り広げられるお約束シーンなので、こっちも慣れたもので、よーし終わった終わった今日も面白かったとタイミングを見計らって歩み寄る。巻き込まれるのは面倒なので助ける気はない私も私だ。

私たちが観るのは主に洋画で、今日はとあるヒーローもののシリーズ最終章だった。人気とあって公開初日を避けた上で平日の午前中を狙って私が事前にネット予約した。この男と映画を観るときは、後列の人の視界を遮るのを避けるため、席は当然1番後ろになる。

「ポップコーンってなんでこんなに美味しいんだろうね」

席に着くと、照明が薄暗いのと周りにまだあまり人がいないとあってか、珍しく男は気を緩めた。

「私、映画館のポップコーンが1番好きです」

「僕も。前にどうしても食べたくなって一回コンビニで買ったことあるけど、同じ塩味でも全然違うからびっくりしたよ」

「味の種類もいろいろありますよね。でも、私はシンプルに薄塩味が1番好きですね」

「あ、勝手にバターかけてもらっちゃって大丈夫だった?」

「バター好きなんで私。でも、ポップコーンでおなかいっぱいになるかもしれません」

「無理して全部食べなくても、ユキちゃんがいらない分は僕が食べるよ」

「先輩、朝あれだけ食べてたのによく入りますね」

基本的に、私は男に呼びかけるときは「先輩」とだけ言う。職場の先輩後輩の関係か何かなんだな、と周囲に手っ取り早く誤解、、させることができるので、あからさまに歳が離れた男と遊ぶ際には便利だという考えからそうしている。ついでに言うなら、相手の名前を忘れてしまった場合にも役に立つ(私には割とよくある)。

しかし、彼の場合は見た目的にもほぼ同年代だし、訳あって名前もきちんと覚えていたのだが、これまで通りにせざるを得なかった。

彼自身がアプリで名乗っていた「アキラ」という名前で呼びかけても、あからさまに反応が遅れるか、反応自体返ってこないからだ。ああいった場で偽名を使うのは当然として、そんなわかりやすくて大丈夫なんだろうか。

まあ、私が気にしたって仕方がないことだ。余計なお世話だしそもそも本気で心配なんかしないし、相手は立場ある大人だ。

シンプルだが上等そうな服といい、連れ込んだ先がただ寝るだけのラブホテルなんかじゃなく朝食がついてくるようなちゃんとしたホテルだったことといい、私のような人間が本来なら出会うはずのない類の男。

それに何より、出会い系なんかで探さなくても相手に困らなそうな容姿。おかげでこちらは最初は何かの詐欺かと思ってえらい警戒するハメになったのだ。そして男に何の目論見もないとわかった今となっては、余計にその動機がわからなくなった。多分一時の気の迷いか何かだろうとアタリはつけているが。というか、それ以外に考えられない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る