さよならトーキョー
平核
最終話 種子島にて
あと十五分で私たちは死んで、あと三十二分で夜が明けて、あと二時間後には世界が変わるの。
夕張が笑うと、右上の犬歯がないキュートで不細工な笑顔が彼女の顔中に広がった。
彼女は未来が見えた。
彼女は僕の人生が滅茶苦茶になることも分かったし。
彼女はデムーロが差し勝つことも分かったし。
彼女は何もナパームを作るのにオレンジジュースを買わなくても発泡スチロールがあれば良いことも知っていた。
ガソリンに発泡スチロールを憑けて三十分間ひたすらガラス棒で砕き続ける。忍耐と高校レベルの化学があればタイラーダーデンの真似事をしなくてもオリジナルのナパームが作れる。
油と乳化剤とガソリンを混ぜてゲルを作る。粘度は高ければ高い程、火が付いた奴は苦しんで死ぬことになるし、より遠くまで炎が飛ぶ。
粘土を高めるには砂を混ぜるのも良い。猫砂でもいい。川沿いで粘土を掘ってくるのが最高。
ナパームを引火させて燃料をふっ飛ばすのには爆弾がいる。
爆発させるのには花火から火薬を取って圧力鍋にでもパイプにでも突っ込んでやればいい。
世の中には危険なものが溢れていた。だけど僕らが無知なお陰で、僕らは安全に生活することができる。
言わせてもらえれば、僕らはファイトクラブのオマージュをしていた。
世の中のことは全てがオマージュだ。
僕の人生は父さんのオマージュ。
夕張の人生は未来の自分のオマージュ。
固有名詞を変えただけの誰かの人生を追体験している。
僕が中学生の時にした恋も、大学受験の苦難も、大学生活も、好きだった子の名前、大学の名前、サークルの名前、吸っている煙草の銘柄、これくらいを変えれば僕らの人生は見分けがつかなくなる。
オマージュの上手なやり方はオリジナリティなんて捨てて本筋を変えずに雰囲気だけガラっと変えること。そうすれば誰かの目に止まっても一瞬、その作品がよぎっても気のせいと勘違いしてくれる。
これが上手いのがタランティーノだ。
タランティーノの映画は誘拐犯の筆跡隠しに似ている。他の作品から気に入った部分を少しずつ切り取っては、貼り付けて、そうやって作品が完成する。
ロマのジャンゴは黒人のジャンゴに。
相棒のメルセデスは生き別れのミセス・メルセデスに。
野蛮な南軍の大佐は文明的な綿花プランテーションの主に。
何も知らなければ誰もこれがオマージュだとは分からない。
オマージュにオマージュを重ねて輪郭をぼかす。何個ものオマージュが重なって一見オリジナルと錯覚を起こす。
過度な演出と過剰で下手糞なオマージュで本当にしたいことを隠すのも良い。
後は時系列をばらけさせるのも良い。少し目を放せば混乱してしまうから集中して見てくれる。
「目をつぶってどうしちゃったの」夕張が笑う「もしかして、怖くなった?」
僕の手を夕張の傷だらけの細い手が握る。油臭い手が。だけどそれもしょうがない。僕らの背後には月行きのH2Aロケットと、二人分の座席を残してナパームが満載されたドラゴン宇宙船があるんだから。
そして、怖くないと言えば嘘になった。
このロケットは第二宇宙速度で種子島から打ち上げられ、月には行かない。
成層圏で僕らとナパームを積んだまま爆発する。そして、僕らの粉々の破片はナパームを纏って燃えながら太平洋に落下する。
ゲロと肉と糞にまみれた流星群を皆に見せつけながら僕らは死ぬ。
夕張は左の犬歯も粉々に吹き飛ぶ。
これは僕と夕張が会った時から決定されていた。
彼女は左手に持った散弾銃を手持無沙汰そうにブラブラさせる。
二十番ゲージの弾丸が上下の銃身に二発。
そして夕張の未来にはあと十五分。
このロケットが吹っ飛んだ後、夏の特番では僕らがきっと特集にされる。
悲惨な事故の特集で、チャレンジャー号の特集の次に僕らの顔写真と、凶器の散弾銃と、Twitterから持ってこられた僕らのロケットが吹き飛ぶ動画が貼られてコメンテーターたちが悲鳴を上げるが、CMが終わると彼らの興味はコロンビア号に移り変わっている。
三十秒後、犯人たちを知る人への直撃取材!
ええ、あの子は大人しくて、煙草も酒もやらないし大学でも真面目で良い子であんなことは絶対にできないと思っていました。
あの子は少し変わっていてね、可愛い顔して仕事も真面目な良い子なのに職場でも同僚とあまり関わらないし、ご飯に誘っても「いえ、昼食は取らないので……」なんて言ってさ。
二人とも私の患者でした。カウンセリングでも前向きで、ええ、とにかく良い子って印象でした。精神系の病気? それはないと思います。
どうしてあんな事件を? 分かりません。
CMの後、犯行に使われた凶器を!
ミロクの上下二連散弾銃が使われました。
発火には、過酸化アセトンを合成して使ったようです。
ナパーム、ベトナム戦争でアメリカ軍が北ベトナム相手に使った燃焼剤です。
可愛いワンちゃんの動画の後は犯罪心理学者が語る!
過去の凶悪事件の模倣をしていた節があります、
彼らは非常に目立ちたがりという節があります。
人間には役二百六十個の関節があります。
あと十三分。
夕張にはこれから自分がどうなるのか、僕が何をするのか、警官隊が何もできないのも、全部わかっていた。
「綺麗に死のうね……約束、したもんね。約束忘れたら、君を殺して私も死ぬって約束したもんね」
また右上の犬歯がない笑顔で。
実は左下の奥歯もないんだけど。
夕張は未来が見える。
だけど僕が頭の中で昔のことを考えていることを夕張は分かっていない。
宇宙まで行かなくても他人の皮と肉の下に何があるかは分からない。
だから僕らがロケットをふっ飛ばすことを、誰も分からなかった。
後十二分と二十五秒。
短い人生を振り返るにはちょうどいい。
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