かなしい蝶と煌炎の獅子 ~おまけ2~
倉橋玲
三人の王妃 1
「ま、迷った……」
刺青師の少年、天ヶ谷鏡哉は途方に暮れていた。グレイの魔術講座の休憩中に手洗いに行ったのは良いのだが、どうやら道を間違ったらしく、よく判らない場所に出てしまったのだ。
(やっぱり、さっきのところで右に曲がるべきだったのかな。いや、もしかするとその前の分岐を左だったのかも……)
なにせ広い王宮なもので、自分がどこで道筋を間違えたのか検討がつかない。正しい道を探すために歩き回るのもひとつの手ではあるが、それをして余計に迷わないという保証はないので、やはりここは動かないでいる方が得策だろうか。
そんなことを考えながら辺りをきょろきょろと見回していた少年は、ふとこの先の廊下の壁にいくつもの額縁が掛かっているのを見咎めて、小さく首を傾げた。
(絵画、かな……?)
もし少年が思った通りに絵画なのだとしたら、それは是非拝見したいところである。もともと美しいものを見るのは好きだし、何より絵画の類は刺青のデザインをする上で大変参考になるものだ。
少しの間だけ迷うように廊下の先をちらちらと見ていた少年だったが、結局誘惑には勝てず、絵画と思しき額縁が並ぶ方へそろりと足を踏み出していた。
長い廊下の壁に一定の間隔で掛けられたそれらは、どうやら肖像画のようであった。精悍な顔つきの男性が描かれているものもあれば、たおやかな女性が描かれているものもあったが、幾分か女性の肖像画の方が多いだろうか。描かれている人物の年齢は様々だが、特徴があるとするならば、とにかく鮮やかな赤髪の人物が多い。
(もしかしなくても、これって、歴代の王家の人たち……?)
そう思って見直せば、ところどころに当代の赤の王に似た顔立ちの人物がいるような気もする。
代々の王家の肖像画を飾っている空間、となると、ここは恐らくというか確実に少年のような下賤の輩が入って良い場所ではないだろう。思わずさっと青褪めてしまった少年が、とにかくこの場からさっさと立ち去ろうと思ったところで、彼の視界の端にとある絵が映った。
「……あ、」
(あの人だ……)
その場にあるどの肖像画の赤よりも暗く、くすんだ炎のような色をした髪の男。今よりも少し若い見た目だが、間違いようがない。少年の目に留まったそれは、当代のグランデル王の絵であった。
廊下の先の少し開けた空間に一際目立つように飾られているのは、きっと当代の国王だからなのだろう。だとすると、そのすぐ下に並べて飾られている三枚の肖像画の女性は、きっと、恐らく、
(……あの人の、奥さんたち)
赤の王の肖像画の真下には、レクシリアやギルヴィスのような淡い金糸のような髪の女性。その左右には、赤の王よりもずっと鮮やかな赤い髪の女性と、やや色褪せた赤髪の女性。彼女たちは三者三様の顔立ちであったが、皆総じて美しく、あの国王の隣に立ったならば、それこそ絵画のような光景だったのだろうことが窺える。
だが、三人とももうこの世にはいない存在だ。王の子を身籠り、その子を産み落とすことなく亡くなってしまったと、そう聞いた。
果たして、妻を失ったときの王は何を思ったのだろう。悲しんだだろうか。寂しく思っただろうか。きっとそれらは全て作り物だろうに、それでもあの王は、人としての在り方のために涙を流したのだろうか。
もしそうなのだとしたら、それこそとても悲しくて寂しいことだ、と少年は思った。
(僕がそんな風に思うのは、あの人に失礼なのかもしれないけれど)
少しだけ目を伏せてから、少年は再び王の肖像画を見上げた。赤銅の髪も、金色の瞳も、本当によく再現されている。特に少年が一際惹かれている瞳の色には、恐らくだが金がふんだんに練り込まれた絵の具が使われているのだろう。天井にある光の魔術器から降りてくる灯りに照らされてきらきらと光ってる様子は、とても美しかった。
だが、それでもあの王の瞳が持つ美しさには到底敵わないと少年は思う。あの、まるで炎が揺れているような不思議な金色の瞳は、きっとどんな技術を使っても再現などできない。ありとあらゆる宝石を掻き集めたって、あの金色に勝るものは一つとしてないだろう。
(……あ、でも、もし炎をそのまま石に閉じ込めることができたら、近いものは表現できるのかもしれないな……)
それですら本物からはほど遠いのだろうが、それでもこの発想はなかなか名案のように思えた。
いつの間にか、いかに赤の王の瞳の色を再現するかという思考に没頭してしまっているところは、さすがは職人と言うべきだろうか。しかし、帰り道を見失っていることを忘れて別事を真剣に考え始めている様子は、些か間抜けとも言える。
とにかく、少年はそうやってひとつのことに集中してしまっていたため、後ろからやってきた足音に気づかなかった。いや、少年は警戒心が強い方なので、もしかすると相手が他の人間であれば気づいたのかもしれない。だが、今回の相手ではそうはいかなかった。なにせ、彼はその人物に対しては無意識に気を許しかけているのだから。
「ああ、こんなところにいたのかキョウヤ。探したぞ」
突然降ってきた低音とともに、少年の肩に大きな手が乗る。
「ひっ!」
まったく予想していなかった接触に、少年は大きく肩を跳ねさせて引き攣った悲鳴を上げた。そして、ばっと後ろを振り返る。
「……あ、貴方……?」
少年の視線の先で驚いたような顔をしていたのは、この王宮の主であった。恐らく、少年の過剰とも言える反応に面食らったのだろう。本当に面食らったのかどうかまでは判らないが。
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