二章 2.残像
「お前、坂口建設の若い者と、揉めたそうやな」
篠原との事だ。青木の爺さんの小言が始まりそうだった。
「あれは、俺が悪いんと違う。道一杯に車、停めとるんが悪いんや。俺は、大人しく堤防の上を通っとっただけや」
須賀は、本当の事を云った。
「堤防の上から若いんに、砂利を蹴り付けたやろ」
「違うで。歩いとったら、砂利が跳ねて当たっただけや。それに、元々、その砂利も奴等が撒き散らかしとったんや」
「そうなんか?けど、それでも、石が人に当たったんやったら、謝るんが筋やろ」
「石と違う。砂利や。俺は、謝ろうとしたんや。けどその前に、いきなり篠原が怒鳴ったんや。それに、砂利は、トラックに当たっただけや。人には、当たっとらん」
須賀は自分は悪くないと主張した。
「なんや、そうか。そしたら、坂口に、その社員を叱っとくように言うとくわ」
青木の爺さんが云おうとしているのは、そういう事ではないと分かっていた。
「おう、よう言うとってくれ。嘘ばっかり言い触らすなっちゅうとってくれ」どうしても、こんな口調になってしまう。
「分かった。よう言うとくわ。話しは、それだけやったんかな?」
早く帰れと云わんばかりだ。
「あっ。いや。待ってくれ。今からや、本題は」
岡島さんが何を取材しようとしていたのかを知りたかった。
須賀は、帰省してからの事を話した。
真鍋邸を訪ねると西村という老夫婦が住んでいた。
岡島さんの事を尋ねてみた。
話しが通じなかった。
「何で笑ぅとんな」
青木の爺さんが笑ったように見えた。
「笑ぅとらんがな」
西村夫婦との会話で途方に暮れている須賀の姿を想像していたのに違いない。
須賀は、次に米原の爺さんを訪ねた。
人を探しているようだったという事だ。
青木の爺さんは、矢竹に関心を持っていたようだった、とのことだ。
国会で騒がれている疑惑に結び付けて、臨海土地開発事業に関心があったように思ったそうだ。
それに関係しているのかどうか分からないが、十一年前の臨海土地開発事業も関心があったように思ったそうだ。
十一年前の?
やはり須賀の父親の転落死が絡んでいるのだ。
臨海土地開発事業により、東浜に宅地が造成された。
その時に会社を大きくしたのが坂口建設だ。
坂口建設は、白間で地元の大工と一緒に設立した会社だ。
臨海土地開発により造成した土地の分譲住宅の販売や請負住宅を受注して規模を拡大したのだった。
もし、不正があったとしたら、その辺りかもしれない。
岡島さんから冬休み前に、須賀の父親の事故死について、再度話を聞かれた。何か関係がある。
須賀の父親、直道は、漁師だった。
自宅が土地開発区域に該当して、立ち退きになり、借家住まいをしていた。
自宅の新築を計画している時だった。
直道は、はまちの養殖を始めたばかりだった。
当初は順調だったが、赤潮の発生で魚が全滅した。
そんな状況で、嶽下の崖から岩場へ転落して死亡した。
警察は、事件と事故の両面で捜査した。
当初、事業の失敗を苦にしての自殺かと思われた。
しかし、当時の町長、青木善造は、漁業組合を通じて、養殖事業の支援に助力していた。
銀行からの事業資金の融資も漁協組合を通じて決定した。
大阪の水産研究所から技術支援の研究員を招いた。
困難な状況ではあったが、事業を継続できる見通しは付いていた。
では、誰かと諍いがあったかというと、それも無かった。
口は悪いが、面倒見が良く、照れ隠しなのか怒ったような表情しか出来ない人だった。
それは誰しも知っていた。
午前十時過ぎに一度、白間の坂口建設の資材置場に戻って来た。
研究員を漁業組合まで迎えに行く事になっていた。
赤潮の発生後、大阪の水産研究所から技術指導に矢竹が来ていた。
直道は西巌橋を渡って、筋向かいの坂口建設の事務所へ回った。
事務所には、坂口社長と奥さん、それから古沢が居た。
今日は、米田が来ていない。
「また、金儲けの相談か」
直道が、軽く嫌味を云った。
「違うがな。今から古沢君とお客さんとこ出掛けるだけや」坂口社長は真面目に答えた。
「あのレストランの設計だけで、後はずっと米田の仕事、良え噂聞かんのう」
米田を信用出来ないと思っているようだった。
「そんな事無いで。米田の思うような仕事が来んだけや」坂口社長は弁護する。
「そうや寺井さんとこは、金持ちやから、米田も良え仕事させて貰うで」
古沢が坂口社長に加勢した。
「ほれ見てみい。やっぱり、悪巧みやないかい」
直道は、二人に嫌みを云って漁業組合に電話を掛けた。
研究員が、今日の作業を中止するかもしれない、と云っていたからだ。
研究員の家族が、子供の夏休みを利用して来ていた。今日帰ると云うので見送りするという事だ。
いつも研究員との打合せを終えると、正午くらいに西崖の桟橋へ漁船で向かう。
桟橋から西崖を上り、北展望台の脇道へ出て桃の祠の石段を下りて町に出る。
そして、近くの食堂で昼食を採るのが常だった。
坂口社長は、米田が事務所へ来たら寺井海運まで、正午過ぎに来るようにと奥さんに伝言を頼んだ。
坂口社長は古沢と出掛けて行った。
午前十一時くらいに、米田が事務所へやって来た。
坂口社長の奥さんは、米田に坂口社長の伝言を伝えて出て行った。
奥さんが、米田に電話番を頼んで、買物に出掛けてしまった。
米田は、以前、坂口建設で設計を担当していたので、会社の内容は分かっている。
一本、鳴った電話は坂口社長から満春が亡くなったと云う連絡だった。
米田がその事を直道に伝えると「車を借りる」と云って事務所を出た。
その後、直道と出会った人はいない。
嶽下海水浴場では何人もの学生が遊泳していた。
正午過ぎ、嶽下の崖から岩場へ転落して死亡した。
坂口建設のオート三輪が嶽下展望台で見付かった。
警察は、事件と事故の両面で捜査した。
当時、寺井満春と仲の良かった須賀直道を道連れに、あの世へ旅立ったと囁かれた。
直道が転落した時、北山公園の北展望台の脇道から嶽下へ続く山道を急いで降りて行く人影を見たという証言があった。
人影は須賀直道本人ではないかと考えられた。
しかし直道の漁船は白間の坂口建設の資材置場に繋がれていた。
北展望台から脇道を降りて嶽下展望台までは一時間くらい掛かる。
証言のあった時間と転落した時間を考えると、その人影が、直道の転落死には無関係であると判断された。
嶽下の崖の足場に争った形跡は無かった。
これも、その人影は、寺井満春だと噂された。
結局、事故死として処理され捜査は打ち切られた。
その後、須賀の奥さんは、寺井美弥社長に誘われて寺井海運へ勤める事になった。
須賀親子は埋立造成された土地の所有分を古沢の不動産屋に売却した。
住居は借家のままで、土地の売却代金は須賀の大学の進学資金に充てた。
「誰か、探していた。ちゅうて米原の爺さんが言いよったけど、誰やったんな」須賀は焦れていた。
「ああ、女の子やったな。写真見せてなあ、この子知らんやろかって聞きよった」
呑気そうに青木の爺さんは話す。
「知っとったんな?」須賀の語気は強くなるばかりだ。
「いや、知らんかった」
青木の爺さんの答えは素気なかった。
岡島さんは、少女を探していた。
「そんあと、岡島さんは、大内医院へいったんやろ。何か関係あるんやろか」
須賀は苛立ちを抑えて云った。
「それは、十一年前のお前の親父が亡うなってしもた時、近くで人影を見た。ちゅうんが大内の娘さんやった。からやろなぁ。岡島さん、やったんかいなぁ、そなん言いよったで」
大内医院は、昔、北堀にあった。
奥さんが戦後間もなく結核を患ってしまった。
療養を兼ねて北山の高台へ自宅を医院ごと引越した。
奥さんは、息子の淳一さんが中学校一年生の時、娘の藤子さんが小学校二年生の時に亡くなってしまった。
院長の大内淳也も藤子さんが大学二年の時に病死してしまった。
岡島さんは、十一年前の須賀の父親の転落死について矢竹と何か関係する情報を持っていたのか?
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