汚れと知った。本日私は散り逝きます。

蛇八磨 明和

本文

 もしも、僕があなたと手を繋げる日があるとすれば、僕はその日死んでしまったっていい。――なんてことをオレンジ色の光が差すなんともさみしげな教室でつぶやいた。


 「...随分とロマンチックなことを言うのですね」


 セミロングの艶やかな黒がよく似合うセーラー姿の彼女の青い瞳には反射光でオレンジ色に光る涙が浮かんでいた。


 「少し臭かったかな?」

 僕はそう言って彼女に近づき、ハンカチを差し出す。


 彼女は差し出されたハンカチを少し見つめた後に首を小さく左右に振ってから言う。

 「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です。ちゃんと自分の涙は自分で拭えます」

 そう言ってスカートのポケットからキレイに畳まれたハンカチを取り出し目元に押し当てる。


 そうして涙を拭き終えた彼女は、僕を見つめた後軽く嘲笑にもにた笑みを浮かべる。

 「ふふ、あなたも人にハンカチを差し出す前に自分で使っては?」


 僕は彼女の言葉にハッとなる、そういえば先程から随分視界が滲んでいた。――気づいた瞬間タイミング良くツーっと僕の頬を伝う雫。


 僕は自分が泣いていた事実に驚いていると彼女が手に持っていたハンカチでスッと僕の涙を拭った。


 ...数瞬、僕らの間になんとも言えない沈黙が残った。僕の手には一番早くに登場したのに使われることがなかったせいで機嫌を悪くしたのか、仕舞い方が悪かったのか、しわくちゃになってしまったハンカチが握られていた。


 


 「あ、そういえば今日屋上開いてるらしいですよ」

 そう言って荷物を持ち上げた彼女が続けて、

 「少し外の空気にでもあたりませんか?」と伺いをたてる。


 だが、言葉に反してこちらを一瞥もせずに教室の扉へ向かう彼女の背姿。

 僕は少し見惚れてしまう――どんどん離れていく彼女を見て僕は言う。

 「...あぁ、うん――いくよ」


 慌てて荷物を手に取り駆け出す。


 

――――


 僕はフェンスにもたれかかって風に吹かれながら彼女にどうして屋上が開いてることを知っていたのか聞くと、彼女は少し意外な返事を返してくる。


 「開いてなんかいませんでした、ただ少し屋上の風景が一度見てみたくて職員室から拝借してきてしまいました」

 そう言って街を見つめたまま、おろしたままの左手の小指に鍵をかけて見せてくる。


 「...ふふ、意外だな。まさか白永はくながさんがこんなヤンチャ娘だとは知らなかった」

 そう言って僕は何よりも、少なくとも目の前に大きく広がる世界よりも何十倍も美しい彼女の横顔をじっと見つめていた。


 ――あぁ綺麗な目だ。


 「人の横顔はそんなにも面白いですか?」

 そう言って僕の方を向いていたずらっぽく笑いかけてくる彼女。――あぁ...これは敵いそうにない。


 そんなことを思いながらも平常を装って返す。

 「ふふ、綺麗だな、なんて考え込んでしまうほどには」


 そう言うと少し恥ずかしくなったのか、視線を戻してまた街を見下ろしながら彼女は問いかけてくる。

 「どうして明青あおくんは、私なんかのことを好きなんですか?」


 「呆れた質問だ。勿論好きだからです」

 我ながら答えになっていない自覚は大いにある。


 馬鹿にするなと彼女から抗議の声でもあがるかと思っていたら、その答えは意外にも沈黙であった。


 僕は風が耳を一度かすめたあたりで、スッと目線を彼女と同じく見たくもない街へと向けた。





 長い間の沈黙の中、彼女がいきなり口を開く。

 「明青くんはもしも私が今から飛び降りるから一緒に死んでといったら、一緒に飛び降りてくれますか?」

 嫌な胸の高鳴りを感じる。


 「その質問に答えるまえに僕の質問に答えて」


 僕は沈黙を肯定と受け取り言葉を続けた。


 ――どうしてそんなに、辛そうな顔で泣くのですか。


 ――掠れた声だった。



 また、頬に涙が伝うのが感じ取れる。涙が通った道を風が冷やかした。


 彼女は涙を拭いもせずに言う。

 「世界が―」「世界が憎いの?」


 「いいえ、反対です。私は世界を愛しています。家族も友人も世界中の人々も文化も愛しています。ただ、世界があまりにも美しすぎて、綺麗にできすぎているから、どうにも私はこの世界で上手く生きていける気がしないのです。理解してもらえるとは思っていません」


 「ただ今は――ひたすらに消えてしまいたい」


 サーッと一際大きな風が吹いて彼女の綺麗な黒が揺れた。


 

 「そう...なら今度は僕が答える番だね」

 僕は伏し目がちに言葉を紡ぐ。

 「喜んで。あなたとなら地獄だろうと見てみたい。あなたがいる場所が僕のいる場所だ」



 そう言うと彼女はなんとも言えない表情で笑った後、フェンスを超えて、両手を大きく広げて叫ぶ。


なんとも彼女には似合わない仕草と言動であった。

 「あぁ世界!!私はあなたを愛しています!!だから!汚れた私は今から消えます。次は!美しい私で会いましょう!!」


 ――彼女は雫を散らしながら飛び降りた。



 そして、後を追い僕は彼女の手も握れないまま、そして――黙ったまま――世界を睨んで飛び降りた。



 これは世界を愛し世界のために汚れた自分を憎んだ彼女と、そんな彼女を愛してしまった彼の物語の終わり。


 ――きっと生まれた時から汚れは彼女と共にいたのだ。

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汚れと知った。本日私は散り逝きます。 蛇八磨 明和 @lalalalala

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