第174話 霧の中で


 セイフリム王国第三騎士団所属、騎士フリント・アルタークス。


 所持天成器は刃の長さこそ通常のものと変わりないが、剣身のところどころに隙間の存在する軽量剣オレリオ。

 高温の蒸気を魔力で作り出す蒸気魔法を得意とし、騎士系統魔法騎士のクラスを取得。


 レベルこそ30を超えているが、いまだ第三騎士に所属してから二年も経過していない新人の騎士。


 王国北に存在する城郭都市出身。

 子供の頃から騎士を目指すべく日々歩みを止めることなく邁進してきた。


 だが、その私フリントもいまのこの状況にはどうしても苦戦を強いられていた。


(フリント、九時の方向だ! 来るぞ!)


 オレリオの警告で咄嗟に左に視線を移す。

 濃くまとわりつくような霧を掻き分け雄叫びをあげ襲いかかってきたのは一体のハイオーク。


「くっ……またか」


 王国西側の帝国にほど近い都市ダオルドで、ある調査を終えた我々を、休む間もなく待ち構えていたのは新たな神の試練。

 しかも今回は前例のない巨大な魔物らしき生物の王都への進行。


「グガアァァァ!!」


 黄緑の体躯。

 豚に似た醜悪な顔は怒りに染まって歪んでいる。

 恐らくは暁霧の山脈龍でオークの集う集落が意にも介さず破壊された恨み。


 三m程度しか視界の効かない霧の只中での奇襲。


「ガアッ!」


 手に持った石の棍棒を振り下ろす。

 地面に直撃すると同時に衝撃によって風が巻き起こり辺りを包む霧を僅かに晴らす。


「……ハッ」


 横薙ぎに払われた石の棍棒。

 咄嗟に屈んで避ける。

 右手に握ったオレリオを筋肉質な胴体目掛けて振るう。


「グっ……」


 浅い。

 巨体だけあって体重も重い。

 軽量のオレリオの刃では闘気強化を施していても致命傷には程遠い。

 あと一歩踏み込む必要があるな。


「ガッ!!」


 何度か傷つけるも次第に怒りに任せに暴れ回り始めるハイオーク。

 一部尖った加工の施された石の棍棒が空を切り、その度白い霧がまとわりつく。


 さて……そろそろこちらも強力な反撃をしたいところだがどうしたものか。


 霧中から現れては消える石の棍棒を連続で躱しながら次の手を考える。


 このまま地道に天成器で傷つけ倒す。

 ――――いや、時間が掛かり過ぎる。

 霧の彼方からは他のオークらしき雄叫びも聞こえる。

 悠長に時間をかけるのは予期せぬ危機を招くだろう。


 得意な蒸気魔法で遠距離から撹乱する。

 これもまた難しい。

 私一人で山脈龍の調査兼周辺魔物の討伐に来た訳ではない。

 霧で見えづらくとも周囲には仲間がいる。

 無闇に魔法を放つのは同士討ちのリスクを高める、危険だ。


 なら闘技?

 限られた状況でタフな強さを誇るハイオークを迎撃するなら最適か……。

 山脈龍の調査もあるためあまり体力を消耗したくはなかったが仕方ない。


 私がハイオークへと手痛い反撃を浴びせようとしてきたその時、事は起こる。


「お頭っ! フリントの旦那はこっちでやす!」


「おう! 【闘技:二厳進柱】!」


 髭を生やしたここ数ヶ月見慣れた顔が右手に握った鉤剣を振り上げ闘技を放つ。

 地面を抉り切る天をつく二つの闘気の柱。

 触れれば裂ける闘気の斬撃波。


「ググゥ……」


 前進する二つの斬撃波をハイオークが石棍棒で受け止める。

 がしかし、直後に大きな亀裂が走り分かたれる棍棒。


 得物を失ったハイオークは状況の不利を悟りようやく冷静に戻ったらしい。

 霧に隠れるように大きく後退――――。


「……逃さねぇ」


「ええ、ここで仕留めておかないと後々面倒になります。私が足止めしておきますのでタズは後詰めを」


「おうさ!」


「【ウォーターツイスター】」


 霧を押しのける水の渦は体勢を立て直すために身を隠すはずだったハイオークの巨体を見事に捉える。

 ロットめ……狙っていたのだろうがいい腕だ。


 不意の一撃に面食らい足元が疎かになるハイオーク。

 私たちが濃霧で視界と魔力察知が効かずに魔物から奇襲を受けたように、いままた同じように不意打ちを受け後退する足が動きを止めた。


「フンッ!」


 大槌の天成器を手に駆け寄るタズ。

 勢いよく振るわれたそれはハイオークの体重を支える膝の関節に直撃する。


「グギャッ!?」


 ……容赦ないな。

 嫌な音が鳴ると同時、巨体を支える支点を失ったハイオークはその場に崩れる。

 あれならもう逃げることはかなわない。


「よ〜し、良くやったぞ、ロット! タズ! いい仕事だ!」


「へへ……」


「お頭が褒めて下さるなんて……嬉しいです」


 彼らからお頭と呼ばれ慕われる髭面の男の激励にハイオークを追い詰めた二人は顔をほころばせる。

 はぁ……毎度のことながら本当にコイツらは。


「止めは任せろ! 【アースシリンダー】!」


 私がいつものやり取りに辟易しつつも状況は進む。


 膝を無理矢理壊され、しかしそれでも分厚い筋肉に包まれるハイオークは迫りくる中級形成土魔法に対して立ち向かうべく必死で立ち上がろうとする。

 しかし……。


「あ〜、ダメでやすよ。じっとしててくだせぇ。――――ムル」


 脂汗を滲ませ苦悶の表情を浮かべるハイオークの顔面。

 白銀の短剣ムルが音も無く宙を駆け忍び寄る。


「ギッ……」


 片目を抉る短剣。

 ハイオークは激しい激痛に衝動的に傷口を両手でおさえる悶絶する。


 もはや立ち上がることは不可能だ。

 間をおかずに頭部で炸裂する土を固めた円柱。


 それでも耐久力のあるハイオーク。

 片目、片足の機能を失い、私の切り裂いた傷口から赤い血を流しながらも倒れ伏した地面に手をつき起き上がろうと必死で顔を起こす。

 その先に待っているものが何なのかを知らず……。


「悪いとは言わねぇ……死んでくれ」


 太い首にかけられた鉤剣は許しを請うかのように見上げていたハイオークの命脈を断つ。


 勢いよく噴き出す血は刃を塗らし霧すらも赤く染めるよう。


 ゴトリと音をたて地面に黄緑のナニカが落ちた時、奇襲からはじまった戦いは終わりを告げた。


「お前たち……」


 なぜか物悲しい空気の漂う中、霧中に佇む四人の影。


 彼らこそ――――元盗賊の四人組。

 

「よう、フリント。逸れるなっていったのにお構いなしに進みやがって。濃霧の中からお前を探し出すのには苦労したぞ」


 苦笑しながら忠告してくる髭面の男こそ、ここ数ヶ月の私の苦労の中心。

 配下たち三人の忠節を一身に受けながらも彼らに応えるべくリーダー足らんとする男。

 

「グレゴール……」


 グレゴール盗賊団。

 騎士団本部にて自らの罪の重さを自覚し、それでも審理の神の判定と第二、第三騎士団の両騎士団長により次の機会を与えられた者たち。


 私が罪の所在を明らかにするべく訪れたダオルドにて、多大に苦労することとなった原因の者たちの笑いかける姿に、ほんの少しだけ安堵していたのは……秘密だ。






「ムルの生命感知の範囲が広くて助かったでやすよ。フリントの旦那ったら血気盛んすぎでやす」


「そんなことは……ない」


「静止の声も効かずに霧の中を突き進むとは……。霧自体に攻撃性がないことは判明していますが迂闊なことはなさらないで下さい」


「う……」


 確かに少しだけ迂闊な行動を取った自覚はある。


 暁霧の山脈龍ブリーズニック。

 王都を破壊することが目的とされる新たな神の試練によって現れた巨大な敵。

 それを前にして自制が効かなかったのも確かだ。


 ニクラとロットの苦言に私がまともな返事もできない中、彼らのお頭であるグレゴールが言葉を発する。


「まあ、待てお前ら。フリントはこんな奴でもいまは俺たちの臨時の上司。尻拭いをしてやるのも部下の仕事の一つだろう。ここは俺の顔に免じて勘弁してやれ」


「流石お頭……」


「……仕方ないでやすね。フリントの旦那も若いでやすから、衝動的な行動を取ることも多々ありやすか……」


「この……コイツら言わせておけば……」


 やれやれといった生暖かい眼差しで見詰めてくる臨時の部下たちに自分の招いたこととはいえ思わず怒りが沸いてくる。


 そう、臨時の部下。

 グレゴール盗賊団、いまは指名手配されていたダオルドにて多くの嫌疑が晴れた四人組は、巨大なる魔物の発生を記した神の試練という緊急事態に特別な措置として私の元に配属されていた。


「そうですね。フリントさんは我々の監視者でもある。お頭もああいっていることですし、多少目に余る行動を取ったとしても多めに見ましょう。……次は気をつけて下さいね」


 なぜだ。

 初めて部下を得たというのに向けられる視線は尊敬ではなく諦念の混じった視線。


 しかも、四人中三人は部下の一人のはずのグレゴールをいまだリーダーと認めたままのせいか、表立ってこそ言わないが私の言葉よりグレゴールの言葉を優先している傾向がある。


 ……確かにグレゴールの対処の仕方には元地方騎士だけあって的確なことの方が多い。

 部下の力量を詳細まで把握し、適材適所で事にあたる。

 信じるべきところは任せ、自分は最も危険なところに躊躇なく向かっていく。


 ……こう改めて考えてみるとある意味理想の上司なのか?

 評価は正当だし、報酬は仕事の大きさ関係なく厳密に分けないと気がすまない。

 部下の悩みにも敏感で私も何度か相談に乗ってもらったことがある。

 ダオルドでもなぜか拘束されているグレゴール相手に愚痴を聞いてもらっていたこともあった。


 ……いやいや、いまは私が上司なんだ。

 彼らを守り、導き、共に困難に立ち向かう義務がある。

 部下にばかり頼るのは健全ではない。


 余計な考えを払うように頭を振り、場を仕切り直す。

 いま立ち向かうべきは王都への脅威。

 山脈龍のことだけを考えればいい。


「……私の迂闊な行動で迷惑をかけたのは謝ろう。だが、私たちに課せられた任務は山脈龍の調査。無理はしないようにとは言われているが周辺の魔物排除と同時に少しでも山脈龍の情報が欲しい。……協力してくれ」


「ああ、勿論だ。……俺たちも王都では迷惑をかけた。少しでも平和に貢献しねぇと、な」


 グレゴールの視線は優しかった。

 私とウルフリック、クライの手によって倒され拘束された彼ら。

 いつかは止まらないといけないと罪悪感に苛まれていた彼ら。


 いま彼らは罪と向き合っている。

 王都の危機に贖罪の機会が与えられたと、自らの身を捧げる覚悟さえしているのが分かるのは……長く彼らと過ごした結果なのか。


「……気負うなよ。お前たちの罪が一度で晴れる訳がない。迷惑をかけた相手を思いやるなら、自分の命を簡単に投げ出すようなことは決してするな。……生きて償うんだ」


「……簡単に投げ出すな、か。ウルフリックにも似たようなことを言われたっけかな」


 過去を思い出すグレゴールは薄い霧の残滓で隠れていても僅かに笑っているようにも見えた。


「わかったよ。フリント隊長。……だが、今回の神の試練、俺たちなりに精一杯やらせてもらうぜ。王都への進行で罪のない民衆たちが傷つくのは見たくねぇからな」


 真剣なグレゴールに頷いて返すとロットたち三人も視線を合わせつつ同意してくれる。


 団長の命令により思い掛けず得た部下たち。

 贖罪を求めて足掻く彼らを率いることに重圧を感じる。


 新たな神の試練。

 グラッジラム大森林をいまにも抜けようと歩を進めている巨大な生物相手に一体私たち程度が何ができるのか。


 いまだ安寧とは程遠い霧の中。


 しかし、私たちは少しでも危険を取り除くべく足掻き続ける。

 どれだけ土に汚れ、見苦しい姿になったとしても、部下であり友人でもある彼らと共に。


 私は騎士。


 騎士フリント。


 王都を守るべく邁進し続ける確固たる意思持つ護り手。

 必ずこの巨大なる脅威を止めてみせる。

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