第167話 旅の終着点


「これが王都……」


「そうよ、こここそセイフリム王国の誇る最大の都市。今尚発展を続ける政治、経済、文化の中心地。国中から数多の人が集まり、日々の生活を営むと同時、より良いものを模索している。でも……ここで夢破れ、挫折してきた者たちも数え切れないほど存在する魔境でもある。前にも言ったわね。ここはアルレインの街とはまったく違う場所。決して油断しては駄目。……善意だけでは生きていけない世界が王都という魔窟なのだから」


「でも……」


「ええ……アニス、ここに貴女の探し人はいる」


 多くの人が行き交っていた。

 活気が溢れ、何もかもスケールの大きい街並み。

 馬車は所狭しと往来し、道行く人を呼ぶ声があちらこちらから鳴り響く。


 大人も子供も別け隔てなく笑顔を浮かべる。

 とてもお母さんが警告するような場所には見えない。


 目に映る光景に圧倒されていた。

 王都に至るまでの道程でも見たことのない景色ばかりで新鮮だったのをいまでも憶えている。


 それなのに、まったくの別物だった。


 胸の中にわくわくとした気持ちが溢れている。

 これから何かが始まる予感が止まらない。


(すごい……こんな場所があったなんて)


(ふふ〜、これもクライのお陰だね〜。アニスがどうしても〜! て追ってきたからこの光景が見れたんだよ〜)


「なっ!??」


「? どうしたの、アニス?」


「な、なんでもないよ。お母さん」


 お気楽なフーラの冗談に思わず声が出てしまった。

 もう!

 こんな大勢の揃った場所で恥ずかしい!


 そこはかとなく視線が集中するのを感じながら王都の騒がしくも楽しい道を歩く。

 足取りは少しだけ軽かった。






 そして、とうとうこの時が訪れた。


 王都第二障壁内側の貴族街。

 その端の一角にある息を呑むほどの巨大な邸宅。

 警備に立つ武装した人たちを横目にお母さんの導きに従い門を潜る。


 ここにわたしの幼馴染みがいる。


 緊張に身体が固まる中、初めに面通しされたのはこの御屋敷の主。

 執事と思わしき初老の男性に案内され重厚な扉を進むその先に一人の女性がいた。


「やあ、アニス。会いたかったよ。……よくここに来る決断をしてくれた。私は君を歓迎する」


 ペンテシア伯爵家の主。

 お父さんとお母さんの仕える人。

 そして、クライの亡くなったはずのお母さん。


 綺麗な人……。


 わたしのような田舎で育った街娘とは違う大人の女の人。

 スラリとした背の高い体型に深い藍色の髪。

 澄んだ響きの声はどことなく落ち着く優しさを秘めていた。

 

 ……貴族様なんて出会うことないと思っていた。


 わたしが見惚れて挨拶も忘れている間、クライのお母さんはすっと視線を横に移す。

 

「コーラル、お前もよく来てくれた。長い間クライを見守ってくれて済まなかったな」


「いいえ、御当主様。私は私の仕事をしたまででございます」


 片膝をついて挨拶するお母さんに目を疑う。

 え!?

 あ、あのお母さんが傅くなんて!!


 でもわたしの驚きは終わらなかった。

 さっきまで優雅で近寄りがたい雰囲気を纏っていたクライのお母さんは、急に態度を崩すと呆れたような視線で溜め息を吐く。


「はぁ……コーラル、冗談はやめてくれ。突然変なことをするからアニスの目が飛び落ちそうじゃないか。それに、私とお前の仲だ。外部の目があるならともかく屋敷の中でまで畏まらないでくれ」


「ふふ、ごめんなさい。つい」


 二人は傍目から見ても気安かった。

 とても主と従者の関係だと思えないくらい。

 そう、仲のいい友人としか思えないような雰囲気を二人のやり取りから感じていた。


「カインは元気か? 私の我儘でお前たち二人には無理を言ってしまった。……私自身が何もかもなげうってクライと暮らせていれば……」


「やめて。それこそ私たちに対する侮辱だわ。私もあの人もクライ君のこと好きよ。それこそずっと一緒にいたんだもの。アニスと同じく本当の息子のような感覚。あの人だって貴女を射止めた凄腕の暗殺者さんの側にいられて悪い気はしていなかった。長年の夢だった酒場の開店資金も奮発して貰ったしね。私たちの間に貸し借りなんてない。……だからそう悔やまないで」


「しかし……」


「私もあの人も貴女の提案が間違っていたなんて微塵も思っていないわ。……私が同じ立場だったらきっとアニスのために何もかも投げ捨てたかもしれない。でも貴女には理由があった。離れて暮らさなければならない理由が……その決断は尊いけど、とても辛く苦しい茨の道。貴女の苦悩はすべてではないけど少しは理解できるつもりよ。我が子との絆を引き裂かれることほど辛いものはないもの。それこそ自分の手で離れることを選ぶなんて……。だから定期連絡の手紙でも何度も言ったでしょう。謝らないで」


「……ああ、いままでありがとう、コーラル」


「ええ、こちらこそありがとう。そしてこれからもよろしくね」


 途中話の内容がわからないところもあったけど、わたしが安易に触れてはいけないのはなんとなくわかる。

 でも良かった。

 最後には二人は笑い合っていられた。


「勿論だ。アニスの今後のことだな」


 御当主様の視線が向く。

 光を蓄えた宝石のような瞳。

 ううん、違う。

 こんなこと考えてる場合じゃなかった。


 え? わたし?


「クライとエクレアはまだ学園から帰っていないんだ。まだ時間はある」


「じゃあ着替えましょうか。大丈夫、お母さんがアニスのサイズを事細かにハイネルさんに伝えておいたからバッチリな衣装が用意されているはずよ」


「え!? え? どういうこと?」


 御当主様が小さく手を振って見送ってくれる中、お母さんに無理矢理部屋の外に連れ出される。

 なんなの?

 これからわたしどうなっちゃうの!






「さあ、入ってくれ。紹介したい人物がいるんだ」


 う、ひらひらしてる。

 どうしてこんなことに?

 確かに可愛い衣装だけど、こんなのわたしには似合わないよぉ。

 なんでわたしがこれを着ることになったの。


「フフ、クライはすでに面識のある人物だぞ。きっと会えば驚く。もしかしたら腰を抜かすかもしれないな」


 ハードルぅ、上げないでぇ。


 多分クライと妹さんに向けて説明しているんだろうけど、御当主様も無茶を言うなーもう。


「ふぅー、はぁー……」


 き、緊張する。


 ど、どうしよう。


(普段通りでいいんだよ〜。ほらもっと深呼吸〜)


(うん……ありがとうフーラ)


(どういたしまして〜)


「さ、そろそろ行きましょ」


 わたしの背をグイグイと押す笑顔のお母さん。

 ま、待って。

 静止の合図も軽く無視され物陰から押し出される。


「……ひ、久しぶり」


「アニスっ!?」


 驚いてくれたかな、驚いてるよね。


「なんでここに……」


 目を点にして驚くクライなんて本当に久しぶりに見た。

 子供の時以来かも。


 でもそうだよね。

 手紙の一つも送ってこなかったんだから、わたしがここまで来るなんて一mmも考えてないよね。


 ……なんかムカムカしてきた。


「むぅ。なに、久しぶりに幼馴染みに会ったのにその態度は! わざわざ会いに来たのに!」


 何言ってるんだろう、わたし。

 クライに会ったらもっと話したいことが山ほどあったはずなのに全部吹き飛んじゃった。


 こんな険悪な態度で再会するつもりじゃなかったのに。

 思ってもいないことがつい口をついて出てしまう。

 

 あああぁ、妹さんの視線が痛い。


「あ、うん。……会えて嬉しいよ」


「うん! それでいいのよ! それで!」


 もう、なんでわたしはこんな風にしか返事出来ないの。

 

「アニスはこの御屋敷の使用人見習いとして住み込みで働くことになったの。よろしくね、クライ君」


「コーラルさん……お久しぶりです」


「ええ、元気そうで良かったわ」


 和やかに話すクライとお母さん。

 そう、わたしも穏やかで普通な、それでいて感動的な再会を期待していたのに。

 どうしてこんなことに……。


 ……というかいまお母さんなんて言ったの?


「は、働く?」


「そうよ。アニス、貴女はここで働くの。貴女はお父さんに似て裁縫や掃除、料理とかの家事も得意だしぴったりでしょ?」


 なんでもないように簡単に答えるお母さんに頭を抱えたくなる。

 え、じゃああの過酷な戦闘訓練って何だったの?

 

 きっとわたしの顔には疑問がありありと浮かんでいたんだと思う。

 お母さんはこうも続けた。


「王都で暮らすなら最低限の武力がなくてはいけないわ。私もずっと貴女の側にいて守ってあげられる訳ではないもの。自分の身は自分で守る。当然でしょ」


「そ、そんな……」


 うぅ……あれだけ辛かったのに。

 でも訓練の時のような厳しい視線で佇むお母さんには反論なんて出来る訳ない。

 もう、なんでこうなるの。


「クライにはエクレアに対するイクスムやアーリアのように専属の従者はいなかったからな。うん、いい機会かもしれない。まあ、ゆくゆくは……だな」


 あまりのショックに御当主様の呟いた内容も耳に入ってこなかった。


 こうして予定と大幅に異なったわたしたちの再会は劇的なものにはならなかった。


 あの後わたしは妹さんに改めて紹介してもらい、仕事仲間となる他の従者や使用人の人たちとも挨拶を交わすこととなった。


 使用人見習いとしての毎日は意外にも充実していて、お父さんの酒場を手伝っていた経験が生きたのか、覚えることこそ多いもののどの仕事も別に苦ではなかった。

 

 寧ろ王都という大都会でさらには貴族様の御屋敷。

 知らないこと、触れたことのないことばかりの日々は新鮮な驚きに満ちていていた。

 仕事仲間の先輩たちはみな優しくさり気ない気遣いに助けられることばかりだった。


 でも……。


「クライの冒険者仲間のラウルイリナだ。クライの幼馴染みなんだって……よろしく頼む」


「えー、こんな可愛い幼馴染みがいるなんてクライも隅に置けないな〜。今時お隣さんの幼馴染みが可愛いことなんてあり得ないことなんだよ〜。もうしっかり大切にしてあげてよね。あ、私アイカ、よろしくね」


「王都のご案内ならこのプリエルザにお任せ下さいまし! クライ様の大切な幼馴染み様なら隅から隅まで念入りにご案内しますわ〜!!」


 一体どうなったら女の子の知り合いばっかりこんなに増えるのよ!


 もう、クライのバカ!

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