第133話 信仰の対象


「魔獣信仰……ですか?」


「そうだ。エクレアを突然襲った襲撃者は魔物のことを『魔獣』と、そう呼んでいたんだろう?」


 冒険者ギルド王国本部の応接室で俺たちは襲撃者の一件についての話をしていた。


 この場にはあの時一緒に神の試練に挑んだメンバーとケイゼ先生。

 それと神の試練が終わった直後で忙しいはずのエディレーンさんとギルドマスターであるシグラクニスさんが同席していた。


「そもそもだ。君たちは星神の眷属神についてどれだけ知っている?」


「それぐらいならオレでも知ってる。技巧の神、闘争の神、錬金の神、繁栄の神、意匠の神、魔獣の神、審理の神の七柱の神様だろ。子供でも習う内容だ」


 ケイゼ先生の問いかけに自信満々に答えるニール。

 その答えに満足そうに頷きケイゼ先生はさらに詳しく説明し始める。


「知識と技能を司る技巧の神プロメテウス。武具と競争を司る闘争の神ハデム。鉱石と建築を司る錬金の神イオ。植物と料理を司る繁栄の神パルパスタ。装飾と色彩を司る意匠の神シリウス。正義を司る審理の神ジュディカ。最高神である星神に従属する眷属神は七柱。そして……その中の一柱に魔物と動物を司る魔獣の神が存在する」


 以前にもケイゼ先生の話の中ででてきたこともある魔獣の神。

 魔獣、か。

 突然エクレアを奇襲してきた“氷血塊”は確かに神の試練で現れたスライムのことを魔獣と呼んでいた。

 

「魔獣の神ユキ。……そう、魔物ではなく魔獣の神」


「その神が……関係していると?」


「……うむ。そのはずだが、実を言うと私もそれほど詳しくはないんだ。そもそも魔獣信仰は廃れた宗教のはずだし、いま現在は星神を崇める星神教会の力が強い。星神を信仰していない無宗教の者も増えているしな」


「……そこからは儂が説明しようかのう。そのためにここに同席させて貰ったんじゃ。この中で一番無駄に長生きしておるからのう」


 ホッホッホと軽快に笑ってますけど……ちょっと笑えない冗談です。


「魔獣信仰は天使様が我々に眷属神様について語られた時から細々と信仰されてきたと言われておる宗教じゃ」


「それは魔獣の神が眷属神に名を連ねているから、ですか?」


 ラウルイリナが恐る恐る尋ねる。


「そうじゃ。魔物は我々人を襲うがそれは彼らにとって縄張りを荒らされたことや害を加えられたことが原因であり、魔獣の神が眷属神として存在するからには、儂たち人も魔物と共存して生きていくべきとの考えじゃな」


「へー、それ自体は別にいいんじゃないか。考えは人それぞれなんだし」


 あっけらかんと答えるニール。

 

「実際、最初期の魔獣信仰はそれほど悪いものではなかったと聞いておるよ。といってもその起源ともなると七百年から八百年近く遡ることになるじゃろうがの」


 七百年以上も前の話か、星歴のはじまりと同じじゃないか!?

 ……想像もつかないな。


「じゃが、人の文明が発展することは魔物たちを虐げることに他ならない。街や都市を作るために自然を開拓すれば必然的に魔物たちは住処を追われることになり、拠点を繋ぐ街道の整備は各地の魔物たちを隔絶し交流を断つ。そして、魔物から剥ぎ取れる素材もまた人々の生活には欠かせないものじゃ。魔石を取り、皮を剥ぎ、その肉を喰らう。……それが彼ら魔獣信仰の者には許せなかったのじゃろう」


 狩人として生活してきた俺も魔物を狩って生活していた。

 いや、冒険者として魔物を倒して活動しているいまもか。

 魔獣を信仰する彼らからいわせれば言語道断かもな。


「そんな魔獣信仰の信奉者の、中では時間が立つにつれ過激派と呼ばれる者たちが現れ始めたようじゃ。人と魔物の共存を謳った教義はいつしか魔物を優先して考えるようになり、魔物を害する人々を悪だと断じるようになっていった。……特に冒険者は魔物を殺し、尽くを我が物とする。殊更に嫌われておったじゃろうな」


「う〜、でもそれは流石に横暴じゃないかな〜。だって魔物って人を見かけたら積極的に襲ってくるじゃん。なんだっけ、胸の魔石を狙ってくるんでしょ。襲われたら身を守らない訳にいかないし、その人たちはどうするの? それじゃあ自分たちだって生活していくのが大変じゃん」


「ううむ……じゃが彼ら過激派にとって魔獣信仰を広める者が魔物を殺めたとしてもそれは例外なのじゃろう」


「え〜、そんなのズルい」


(魔獣の神を信仰する自分たちだけは選ばれた存在とでも思っているのか? あの襲撃者も選民意識が高そうだったし)


 ……ミストレアのいうことを一概に否定はできない。

 終始冷静で落ち着いていた“瑠璃眼”はともかく“氷血塊”はそう考えていてもおかしくない。


「行き過ぎた活動から人々を傷つけ、衝突することが頻発するようになった過激派と呼ばれる者たち。そんな折じゃ。世界各地で魔物の活動がより活発になり……とある事件が起きた」


「事件?」


「魔物の王の台頭じゃ」


「!?」


「あ〜、なるほど」


「え、なに、なんなの」


 皆が頷く中、アイカだけが困惑した顔を浮かべていた。


「そもそもだ。魔物はともかく魔物の王は明確に人類を傷つける大災害だぞ。魔獣信仰の信奉者はその辺りのことをまるっと忘れてるみたいだが、ハナっから魔物と共存なんて不可能なんだよ。魔物の王は他の魔物を従え徒党を組んで人々に襲いかかってくるんだからさ」


 エディレーンさんが嫌そうに吐き捨てる。

 

 魔物の王はこれまでの歴史の中でも街や都市を破壊し、数多くの人々を襲ってきた。

 近年で出現した事例はないというが、その被害はとても言葉では言い表せられないものだったと伝えられている。

 それを考えればエディレーンさんが苦い顔をするように、魔獣信仰、特に過激派は歪な宗教だとすぐにわかってしまう。

 

「そう、それに魔物の王に対抗するために星神は言語の統一を行い、ステータスやスキル、クラスといったものが与えられたと歴史では伝えられている。魔物との共存は根本から不可能なんだ。彼らを従え友とすることは絶対に不可能だしな」


 ケイゼ先生が残念そうに話す。

 まあ、確かに魔物は絶対に従えられないのだから、襲ってくるなら追い払うか倒すしかない。

 共存を考えるなら互いに出会わないようにすべきだが、それも難しい。


「魔物の王の被害に見舞われた者たちはそれでも魔獣の神を信仰する者たちに嫌気がさしておった。それで起きてしまったのが過激派の追放じゃ」


「追放……」


「この大陸の周囲が何者も通すことのない光の壁で覆われているのは知っておるかのう」


「ええ!?」


「なんだ、御使いのくせにアイカは何も知らないんだな」


「えー、しょうがないじゃん。天界じゃ地上の歴史なんて教わんないんだから」


「ふーん、そういうもんか」


(アイカは意外と地上の常識みたいなことを知らないよな。まあ、私たちも王都にきて日が浅いから彼女のことを笑えないんだが……)


「追放とは光の壁を隔てた向こう側。もう一つの大陸への流刑と言われておる。正直……ここらへんは実際どうだったのか噂の域を出ないんじゃが……。ともかくそこから魔獣信仰は歴史の表舞台から姿を消したようじゃ」


 もう一つの大陸か。

 ケイゼ先生も古の書物にはその存在を示す記述があったといっていたけど、本当のところはどうなんだろう。


「いま残っておる魔獣信仰の者たちは穏健派とでも言うのかのう。魔物を極力殺さずあくまで共存を訴えるが他者に強要はしない。実際に調べた訳ではないが、そんな彼らもいまや数えるほどしか残っておらんのじゃないかのう」


 しみじみと語るシグラクニスさんの言葉の終わりにエディレーンさんが神妙な顔で切りだす。


「実を言うとだな。……神の試練の時に君たちを天幕に呼び出しただろ。あの時に警告を伝えるつもりだったんだ」


「え」


「エディレーン……どういうことだ?」


 イクスムさんが静かに迫力を増す。

 あの時、天幕では冒険者ギルドに相談役として頼まれたケイゼ先生の紹介とイーリアス騎士団長の乱入があったけど、本当はそんな目的があったのか。


「主が襲われたんだ。お前が怒るのもわかる。……そうだな。何から話すべきか……」


「済まんな。エディレーンが悪いわけではないんじゃ」


「いや、これは私が楽観的に考え過ぎた結果だよ、ギルドマスター。……迷わずの森での複数の瘴気獣の襲来から程なくして冒険者の間ではおかしな主張が増えていた。いや、おかしな噂、か。曰く瘴気獣があれほど出現したのには理由があると、曰くあの大量の瘴気獣は神が人々のために遣わしたものたちだと。曰く……瘴気獣を倒すことは神に背く行為だと」


「それは……!?」


「取るに足らない小規模な噂だったが、いま考えれば君たちを襲った襲撃者、魔獣信仰の過激派が噂を流していたのがわかる。しかし、噂こそ耳に入っていたが、それが魔獣信仰の過激派が流したものだとあの時は確信が持てなかった。神の試練においてそれがどういう結果をもたらすのかも」


「でも魔獣信仰はいまは穏健派ばっかりなんだろう? そんな小さな噂から襲撃を予想するのは無理だろ」


「だがヒントはあった。先の迷わずの森で最も活躍した生徒」


 真剣な瞳で俺を見るエディレーンさん。


「そう、クライ、君に警告するべきか悩んでいた。だが、結局は戦いの前に不確定なことを伝えて悪戯に混乱させる訳にもいかないと思い直し、ただの私の杞憂として片付けてしまったんだ。……すまなかった」


「エディレーンはこう言っておるが、儂が彼女に止めるように進言しておったのじゃ。あまりにも真偽不明じゃと。神の試練においては現場をエディレーンにすべて任せておったはずなのに、つい口をだしてしもうた。済まなかったのう」


 深く頭を下げ謝罪するエディレーンさんとシグラクニスさん。


「二人共頭を上げて下さい。あの襲撃は予見できるものではなかった。貴方たちのせいではない。……エディレーン、お前ももう頭を上げろ。私とお前の仲だろう。……今回は私も力不足を実感した。エクレアお嬢様の身を守るのに油断していたと反省している。……お前が悪いんじゃない。エクレアお嬢様をお守りしきれなかったのは私の責任だ」


「……私は気にしてない。兄さんが……守ってくれたから」


「エクレア……」


「……でもイクスム、次は貴女が守って……私が最も信頼しているのは貴女なのだから……」


「はい……必ずや……」


 エクレアに向き直り、改めて深く礼をするイクスムさん。

 彼女はエクレアを今度こそ守るため近づく敵を容赦しないだろう。


 その点においては彼らの行く末を思わず案じてしまった。

 それほどまでにイクスムさんの纏う雰囲気は鋭く、いまよりもっと強くなる決意に満ちていた。


「それにしてもまさか、神の試練が引き金になって襲撃が起こるとはな。彼らには私たちがスライムを大量虐殺しているように見えていてもおかしくない。エクレアを襲ったのは長らく潜伏していた魔獣信仰の過激派が暴走した結果とも言えるのだろう」


「はい、そして、彼らには仲間がいる」


「襲撃者は君との接触は禁じられていると語っていたんだったか……」


 “氷血塊”はそんなことを口走っていた。

 それはすなわち身勝手そうなアイツに命令をくだせる上位の権限をもつ何者かがいるということ。


「そう、そしてクライ、君が苦戦し、正面からは敵わないだろう相手が。君を目の敵にしている。……一筋縄ではいかないな」


 ケイゼ先生が僅かに表情を曇らせる。

 それでも、エクレアを傷つけようとしたのは許せなかった。


 不安はある。


 それでも俺は守りたいものを守るため戦い続ける。


 イクスムさんと同じだ。


 いまよりもっと強くなる。

 

 俺は新たに決意を固めていた。

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