第87話 諸刃の一撃


 《ウォーターランパート》。

 それは縦約五m、横約四mの長さを誇る城壁の如き厚い水の壁。

 この水の城壁が《ウォーターシールド》と《ウォーターウォール》同じ障壁水魔法と違う点はその強固さにある。

 いくら水魔法が質量のある魔法といっても水の盾や壁は抵抗こそ生じさせるものの物体を通してしまう。

 しかし、この上級障壁魔法は魔力によって作り出した水を物理的な攻撃すら防ぐ障壁とする。


 物体を通さない強固な壁は、カオティックガルムの三面を取り囲み著しく逃げ道をなくしていた。


 そして、コの字型の空いた一面に立ち塞がる人物がいる。


「ようやく立ち止まってくれたな。【ロックアロー・マグナム4】!!」


 口元に笑みを湛えたレリウス先生の、掲げた短杖の先から放たれる水平に並べられた四発の岩の矢。


 中級魔法因子、《マグナム》。

 射程を著しく短くし、代わりに威力と弾速を増加させる短距離高威力の魔法因子。


 左右と背面を水の城壁で囲まれたカオティックガルムは、それでもなんとか躱そうと身を捩って唯一塞がれていない方向に意識を向ける。


 そう、それこそが上空。


 サラウさんの水の城壁を飛び越えるべく地面を蹴る。


「そんなことを予測していないとでも思ったか? 【闘技:封臥失墜】」


「グガッ!?」


 カオティックガルムが水の城壁の袋小路から抜けでることは敵わない。

 飛び跳ねた空中から一気に地面にまで叩きつけるイザベラさんの強烈な斧の一撃。


 地面に強制的に伏せさせられたカオティックガルムは、背に大きな傷を負い悶える。


「【ロックカッター・マグナム4】」


「ギャンッ!?」


 鮮血が飛び散る。

 巨体のスピードを維持していた後ろ足を深く切り裂く岩の刃。


「こんなにでっかいワンちゃんと綱引きなんて嫌ッスけど、仕方ないッスね! たりゃあッス!」


 さらにララットさんの鋼糸剣が前足に絡まる。

 これでカオティックガルムは動けない。

 いましかない。


「クライ、合図しろ!!」


 頷く。

 即座に用意してあった矢を天に向かって射かける。


 鳴り矢。

 これこそ、この課外授業のために事前に準備していた道具の一つ。

 矢じりの代わりに取りつけられた機構は、風を取り込むことで音響を発生させる。

 この矢なら遠方にいる仲間に特定のタイミングを知らせることが可能だ。


「……ふっ」


 ピィーーーと甲高い音をたて空高く突き進む鳴り矢。


 この遠距離でもプリエルザに聞こえるはず。


「来たぞ!」


 黒く太い弩砲の矢が東から山なりの軌道で飛来する。

 それはまさに城壁を貫き崩す必殺の一手。

 

 プリエルザの《ダークキューブ・バリスタ》がカオティックガルムの胴体に突き刺さった。

 

「グガアッ!!?」


 そして、闇が展開する。


「グウゥアアーーー!」


 黒白の体毛に覆われた胴から灰色の瘴気がどっと溢れだした。


(効いてるぞ! これで流れが一気に変わる!)


「畳み掛けるぞ【ロックボール・マグナム4】!!」


「【闘技:破城突き】ッス!」


 レリウス先生の高威力高速の岩の球体、ララットさんのリーチの長い鋼糸剣を巧みに操り一点を突く闘技。


「【変形:強震動直剣】、でやあああああ!!」


 イザベラさんの斧の天成器ヴィンセントさんを直剣へと変形させた斬撃。


「断ち切れろ! 【緋炎加速:炎爪】!」


 カルラさんの縦に振り下ろすエクストラスキルを利用した技。


 それぞれが一斉にカオティックガルムに襲いかかる。


 だが、猟犬の眼はまだ諦めていなかった。


 口元から漏れでる黒白のオーラ。


(不味い! ブレスか!?)


 結論からいえばそれは大地に大穴を穿つ破壊の光線ではなかった。


「ガアアアアアアア!!!」


「ぐっ」


「クソッ」


「な、なんスかこれ〜」


 全周囲を一斉に黒白のオーラでもって弾き飛ばす咆哮。

 それが四人を引き剥がした。


(ハイオーグレスの『恐怖』の咆哮とはまた違う物理的な威力を有した咆哮。劣勢に追い込まれた途端にこんな技を……)


 全員遠目からでも傷が浅いことは見てとれる。

 それでも絶好の攻撃の機会を失ってしまった。


 胴体から止め処なく瘴気が漏れだすも体勢を立て直すカオティックガルム。

 取り囲んでいる水の城壁は咆哮によってひび割れ、レリウス先生とイザベラさんという蓋がなくなったことで自由に動ける状態。


 対してこちらはサラウさんはすでに魔力不足で動けず、大きな怪我こそないものの、身体には細かい傷を負い、体力、魔力をかなり消耗したレリウス先生たち四人。


 どうする。


 どうするべきだ。


 サラウさんの魔力を回復するか?

 いや、プリエルザとエクレアの魔力を回復させた分でEPはもうほとんどない。

 それに、無理に魔力を回復したとしてここで二人共動けなくなる事態は避けたい。

 

 なら俺がレリウス先生たちに加勢する?

 まだ身体は動く。

 身体強化するEPなら僅かに残っている。

 囮役としての盾ならカオティックガルムの攻撃も捌けるかもしれない。

 だが……ここにサラウさんを一人置いていく訳にはいかない。


 迷いが心を支配していた。


 俺が心の迷いで動けない間も、いまにも襲いかかろうとするカオティックガルムを迎撃するためレリウス先生たちは立ち上がる。


「しぶとい奴だ。プリエルザの魔法を喰らってもまだ動けるとはな……」


「もうホント厄介な奴ッスね」


「だが、瘴気の漏れ出す量が多い。もう一押しだな」


「イザベラ、ララット、レリウス、ここからが正念場だぞ」


 皆傷だらけだった。

 

 それでも、戦う意志は潰えていない。


 視線は敵意を向け唸るカオティックガルムに固定されていた。


(俺は……なにをやってるんだ。強くなるために、守りたいものを守るためにここまできたはずだろ……)


(クライ、お前は精一杯戦ってる。今だってサラウをその背に守ってるじゃないか。そう自分を責めるな)


(ミストレア……でも……)


「……クライ君?」


 葛藤する俺の背後から弱々しい声がかかる。

 サラウさんが魔力不足に苦しげに膝をついている。


「サラウさん……」


「私のことは気にせず行ってください」


「それは……」


「貴方ならあのカオティックガルムとでも戦える」


 本気だった。

 サラウさんは揺るぎない瞳で俺を見ていた。


「あのカオティックガルムの猛攻を見ても貴方はまだ戦うことを諦めていない」


「……」


「思えばミノタウロスの瘴気獣の時もそうでしたね。どれだけの強敵が相手でも貴方は引かなかった。臆することなく立ち向かっていった。……そういえばカルラが危険に陥った時に属性矢を放って助けてくれたお礼をまだ言っていませんでしたね」


「……あれを俺がやったことだと知っていたんですか?」


「……知っていましたよ。でもカルラはあれで恥ずかしがり屋な所がありますから、貴方に面と向かっては言えなかったんでしょうね。私たちだけお礼を言うのも変ですから今日まで先延ばしになってしまいました」


 サラウさんは一度すまなそうに謝ると苦しげな表情のまま礼をしてくれる。

 そして、真っ直ぐ射抜くような視線を向けた。

 それはカルラさんと同じ信頼の籠もった眼差し。


「そう、貴方が私たちを助けてくれたあの時から……私たち〈赤の燕〉は貴方の強さを認めていました。だから……行って下さい。貴方の心の赴くままに」






 最後の決戦が始まる。


 カオティックガルムから漏れだす瘴気は留まることはない。

 それは、決着のときが近いことを示していたのかもしれない。

 しかし、それでも猟犬は止まることを知らなかった。


 俺たち五人を敵意の籠もった眼差しで睨みつけてくる。


「いくぞお前ら!!」


 レリウス先生の号令に全員が一斉に動きだした。


「先手必勝ッス!」


 疾走してくるカオティックガルムの鼻先を掠めるように伸びる鋼糸剣。

 だが、それを無視して飛び込んでくる。


「だああああっ!」


 突進をイザベラさんの斧の一撃が食い止める。

 カオティックガルムの肩を抉るような斬撃。

 瘴気が煙のように漏れる。


「ガルルッ」


 前足の爪を大きく開き空中のイザベラさん目掛けて振るう。

 当たれば重傷を負うことが確実な攻撃。


「くっ……」


 それをミスリルの盾でぶつかるように弾く。


「クライ、助かった!」


「焼き切れろ! 【緋炎加速:炎翼】!」


 カルラさんの火の粉を舞い散らせる横振りの斬撃。


「グガゥッ」


 カオティックガルムの顔面を切りつけ一筋の傷を刻み込む。


「潰れろ、【ロックボール3】!」


 レリウス先生の岩魔法が胴の傷に被さるように直撃した。


「グガアアッ!?」


(かなり効いてるな。あそこが狙い目か?)


 動きが一気に鈍くなる。

 

 胴体、後ろ足、肩とカオティックガルムの身体には深い傷が確実に増えている。

 それでもまだ、動く。


「ガアアアアア」


「警戒しろ!」


(またか!?)


 ブレスか、咆哮か、どちらにせよこのまま行動させるのはマズい。


 イザベラさんが動く。

 その右手には斧の天成器ヴィンセントさんが握られ、地面に接するかのような低い姿勢でカオティックガルムの正面目掛けて疾走する。


「……【闘技:四厳狼斧】」


 前進しながらの四連撃。

 下からの二回の切り上げのあと、上から叩き切る二回の切り下ろす。

 それは噛み砕く狼の牙を模した深く突き刺さる斬撃。

 一連の淀みない攻撃はカオティックガルムに深い傷を刻みつける。


「エルラ、私に力を! 【緋炎加速:穿嘴煌炎】!!」


 光輝く光刃大剣で突きの構えをとったカルラさんは、身体ごと飛び込むように真っ直ぐに駆ける。

 光刃の両脇から斜めに噴出する炎。

 それは大剣とカルラさんが一体となった空を駆ける炎の流星。


「グガアッ!!」


 だが、それは既のところで放たれた黒白のオーラを纏った爪撃で軌道を逸らされる。

 無傷ではない。

 それでも致命傷には程遠かった。


「ガアアアアアアア!!!」


「ぐっ……」


「く……」


 吹き飛ばされる。

 荒れ狂う衝撃が身体を突き抜けていく。


 くっ……全員がバラバラなところに……。


 カオティックガルムはこの機を逃さなかった。

 最も近い者に狙いを定める。

 咆哮で吹き飛び無防備な相手を狩るために……。


 爪に纏う黒白のオーラ。


「ガルルッ」


「レリウス先生ッ!!」


 黒と白に混じった真っ赤な血が宙を待っていた。

 

 胴を裂く爪。

 

 カオティックガルムの唸る声だけが戦場に響く。

 

 だが、それだけで飽き足らず、大きく口を開きその鋭利な牙を倒れたレリウス先生に……。


「ぐふっ……俺を仕留めたつもりだろうが甘いぞ」


 笑う。

 それは仕留めたと思い油断した相手を逆に狩る者の笑み。


「キーリア、衝打!!」


「ギャンッ!??」


 レリウス先生の左手に握られていた片手斧がカオティックガルムの左目に突き刺さり、同時爆ぜる。


「ハッ……キーリアの第三階梯はぶち当てた斧から衝撃を内部に浸透させる。いくらしぶといお前でもコイツは効いただろ……」


 喋る口の端から赤い血が溢れている。


「レリウス先生!!」


 知らぬ間に駆け寄っていた。


 俺が一番レリウス先生に近かった。


 マジックバックから回復のポーションを取りだし急いでかける。

 傷は…………塞がらない。

 もうポーションは、ない。


「クソ……あれでまだ倒せないか……どれだけタフなんだよ……」


「レリウス! もう喋るな! 余計に傷が開くぞ!!」


 ミストレアの焦った声。

 カオティックガルムは内部で炸裂した衝撃のせいか蹲っている。

 だが、すぐに起きあがってくるだろうことは予想できた。


「アイツはここで仕留めないと……森に散らばった生徒たちだけじゃない……ここは王都も近いんだ……あんな奴が王都で暴れたら……」


 傷のせいかうわ言のように呟くレリウス先生の言葉にハッとする。

 そうだ、あんな奴が暴れたら……被害は尋常じゃない。

 

「クライ?」


 ここで、ここで倒さないと……。


「【変形:突杭重手甲】」


「クライ、まさか戦うつもりなのか!?」


「あともう少し、あと一撃でアイツは倒せる。頼むミストレア、力を貸してくれ」


 ここで倒さなければ、エクレアも、プリエルザたちも、カルラさんたちも、そしてレリウス先生も……守れない。


「頼む、ミストレア」


「……わかった。ただ、これまでの戦いもある。私の杭を放てるのは一度が限界だ。外すなよ」


「ああ」


 走る。

 目標は度重なる攻撃で身体中から瘴気を溢れさせるカオティックガルム、その……。


「グルルっ!」


 よろけながらも起きあがったカオティックガルムはすでにその力の大半を失っていた。

 右手のミスリルの盾で爪を受け流さながらも胴体に向かって走る。


「グルっ!!」


 短い唸り声と共に連続して振るう前足。

 だが、足が止まっているぞ。


 俺はミスリルの盾で丁寧に前足の攻撃を弾いていく。

 連続した攻撃の最後、渾身の一撃に盾が吹き飛ばされた。

 いや、手放した。


(クライ、盾が!?)


(問題ない)


 ここから先は盾は必要ない。


 登る。


 巨体を僅かに残った闘気による身体強化で。


「グガアッ」


 身体をよじ登った俺を引き剥がそうカオティックガルムが暴れるが、その抵抗は弱い。


 そして、目標まではあと少し。


 黒白の混じった体毛を掴み俺はカオティックガルムの顔面に、縋り付く。


 そうだ。


 このレリウス先生のつけた左目の傷こそが俺の目標地点。


「ガルルッ」


 暴れる。


 自分がこのあとどうなるのかわかっているかのように。


 途中黒白のオーラが俺の身体を蝕んだ。


 だが、最早そんなことはどうでも良かった。


 この一撃さえ放てれば。


「発射ッ!!!」


 左目の傷口を正確に捉えたミストレアの杭は、深く深くカオティックガルムに突き刺さる。


 程なくしてカオティックガルムは瘴気となって消えた。


 僅かな浮遊感のあと、地面になにかが落ちるような音がしたが、そのときの俺はもう意識を保っていられなかった。

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