第46話 失色の器
学生の学ぶ学舎から遠く離れた林の中に、隠れるようにそびえ建つ謎の施設。
誰も近づくことのないこの建物は、学園の生徒の間では近づくだけで呪われる、時折女性の悲鳴が聞こえる、など悪い噂の絶えない場所らしい。
ここに向かう前にもクラスメイトから散々に心配されたが、夜中に寮を無断で抜け出した生徒が妖しい明かりの漏れるこの建物を目撃して怯えて帰ってきたこともあるらしく、不気味で怖い場所としての認識が広まっているそうだ。
向かう足取りは……正直重い。
まったくもって気乗りしていない俺を見かねたのか、ミストレアがわざとらしくも明るい口調で話し掛けてくる。
「それにしても災難だったな。せっかく帰る支度も済ませていたのに研究棟? だったか、わざわざそんなところに行くように頼まれるとは。いくら担任の教師とはいえ、ニヤニヤと笑いながら頼んでくるとは……。まったく! あれは私たちを困らせようと思ってわざと言い出してるようにしか見えなかったぞ」
「……そうだな。あれはちょっと酷かった」
「なにやら研究棟には非常勤講師が居るらしいが……生存確認をして来いなどとよくわからないことを言う。あの気弱な少年からも近づかないほうがいいなんて忠告されるし、わざわざ私たちが行く必要あるのか?」
「……頼まれた以上、行ってみるしかないな。報告は明日でいいらしいし、エクレアには一緒に帰れなくなったことは伝えてある。未だ学園内をじっくり歩いたことはなかったし、諦めて探して見よう」
「う〜ん、納得はいかないが、これもいい機会だと思うしかないのか……」
学舎から暫く歩き続けてようやくそれらしい建物が見えてきた。
学園の正門からは真逆の方向だから仕方ないが、予想以上に時間がかかってしまったな。
「……ここか?」
「見るからに怪しい建物だな。壁は所々崩れているし、蔦が建物全体を覆い隠している。……研究棟というよりまるで廃屋だ。本当にこんなところに人がいるのか?」
時刻はすでに夕刻に差し掛かっていた。
ミストレアの言う通り林の中で孤立した建物が、注ぎ込む夕日に照らされ映し出される。
崩壊の進む古びた建物は、植物の蔦が幾重にも絡みつき、いかにも怪しげな雰囲気を醸し出していた。
唯一室内の見れそうな窓は、黒いカーテンで仕切られ、中の様子は窺い知れない。
備え付けられた扉こそ立派だが、果たしてこんなところで研究ができるのか?
「取り敢えず生命探知にはなにも引っ掛からないな。クライ、立ち竦んでいても仕方ない。入って見よう」
「扉が開いてるといいんだが……」
周りと比べてやけに綺麗な扉に手をかける。
幸いにも扉は開いたままだった。
不用心だと思いつつもそっと扉を開き中に入る。
「……失礼します」
どうやら崩壊が進んでいるのは外側だけのようだ。
外見に比べて室内は思いの外整っている。
といっても目の前には建物の奥に続く廊下が広がり、全容まではわからない。
パッと見た様子ではいくつかの扉がありそれぞれの部屋に繋がっているようだ。
入口近くには階段もあり二階にも行けそうだし、広さで言えばアルレインの冒険者ギルドくらいはあるかもしれない。
備え付けられた魔導具がほのかに光を発し、薄暗い中でも不自由なく動ける。
「お〜い、誰かいないのか!」
ミストレアの呼びかけにも反応はない。
「これは……面倒だが、手当たり次第に探すしかないか。思ったより広いし骨が折れる。……留守じゃないよな」
こうも人気がないと確かに疑ってしまうな。
それでも、仕方なく一部屋ずつ扉を開けて確認していく。
物置として乱雑に木箱の積まれたところばかりがある。
どうやら一階は使っていない部屋が多いようだ。
入口に戻って階段を登る。
「クライ、あそこはどうだ? 他と違って両開きだし、なにやら立て札も掛けてある」
「……入ってみよう」
遅くなると母さんが心配する。
でもいまのところミストレアの生命感知に反応がない。
この部屋にもいないかもな。
「これは……汚いな」
部屋自体はいままでより綺麗な作りで家具も揃っているのに、物の数がやたらと多い。
見渡せば物置より乱雑に積まれた木箱、棚があるのに置きっぱなしの本たち、机には書類やら魔導具らしき物やらこれでもかとバラバラに積まれている。
ふと視線が捉えたのは壁に立て掛けられた、先端が曲がりくねり三叉に別れた一本の長杖。
色は――――まるで光を反射しない灰。
「なんでこんなところに天成器が?」
あのときと同じだ。
吸い寄せられるかのように目が離せない。
禁忌の森で偶然にも発見した灰色の天成器。
盾と杖、形は違えども同じ物だ。
過去を垣間見る天成器。
「クライ!? それは!?」
「……【リーディング】」
「先生! 先生! しっかりして下さい!!」
「……おぉ、その声は……ローガン……か? まさか儂のような老いぼれを見舞いにきてくれようとは思わなんだ」
「何を言うんです! “始原の魔法使い”とも呼ばれる先生がいなければ私は魔法の深淵を目指そうとは考えなかった。それだけではありません。両親を魔物に殺され身寄りのない私を拾って下さったのも先生だけです。先生こそが私の親代わり。見舞いに来るくらい当然です……」
涙を止めどなく流し、ベットに縋り付く青年。
以前に《リーディング》で見た光景とは対象的に荒々しい戦場ではなく、見えたのは静謐な部屋の中だった。
窓からはしんしんと雪の降り積もっている様子が覗え、暖炉の火がパチパチと爆ぜる音が不思議と大きく聞こえる。
吐く息は白く濁り、嗚咽の声だけが辺りに響いている。
子供のように泣きじゃくるローガンと呼ばれた青年の頭に、枯れ木のような異様に細い腕が伸びる。
それは、ベットに横たわっている老齢に近しい男性から伸びていた。
その様からはまるで生気の感じられない。
慰めるように、慈しむようにそっと撫でる。
(この感覚はアレクシアさんたちと同じ……)
(過去の出来事、か……)
(っ!? ミストレア!?)
(ああ、どうやら同じ光景を見ているらしいな。私からはクライの姿も見えないが声だけは聞こえる)
(どうゆうことだ? 前回はミストレアの声も聞こえなかった。一方的に過去の場面を見させられただけなのに。それが……)
内心で慌てふためいている間も俺たちを無視して会話は続く。
ベットの中の先生と呼ばれた老齢の男性は、物思いにふけるようにゆっくりと喋りだした。
「……懐かしいものじゃ。お前と出会ったのも雪の降る静かな日じゃった」
「……はい」
「……あの当時、儂は魔法を極めんとして周りが見えておらんかった。魔法研究にのめり込み、ひたすらに研鑽に励む日々。魔法因子に可能性を感じ、新たな魔法因子を作りだしもした。じゃが、同時に自らの力に限界を感じ、道に迷っておった。……お前を拾ったのもただの気まぐれじゃ。何かの役には立つだろうと側に置いただけのこと」
「……はい。存じています。ですが、ただの気の迷いだったとしても先生が私の恩人であることは変わりありません。無学な私に勉学に向かい合う機会を、魔法の深淵を目指すという目標を与えて下さった」
「……それはお前が勝手にやったことじゃ。儂はなにもしておらん」
「先生……お願いですからわざと人を遠ざけようとするのはやめて下さい。先生はいつもそうだ。隠し事がある時、他人に決して本心を見せようとしない。身体は……やはり悪いのですね。孤児院にも姿を見せなくなったと聞いて、ずっと先生を探していました」
「上手く姿を隠したと思っておったが……こんなにも早く見つかるとは。あの小さく痩せ細っていたお前が立派になったものじゃ。じゃが、儂はもうお前には必要のない存在じゃ。……だから、泣くでない」
「何を仰るのですか! 先生の教え子たちは大陸中にいます。私たちは皆先生に感謝しているんです! 必要のない存在なんて悲しいことを仰らないで下さい!」
そのとき、バタンと大きな音をたてて扉が開いた。
外に吹雪く雪がはらはらと室内に踊る。
「あー! せんせー! こんなところにいた!」
「ホントだ、せんせー!」
「……ねぇ、なんで孤児院にこなくなっちゃったの。わたしたちずっとまってたのに」
「……おお、お前たち、こんな辺境までどうやって……」
子供たちがぞろぞろと部屋に入ると、あっと言う間に部屋中を埋め尽くすと、そのあとからゆっくりとエルフの女性が歩いてくる。
「私が連れてきました。お久しぶりです、オーベルシュタイン先生」
「ニンナ……か」
「先生が私たちの前から姿を消して、教え子たちからも隠れてしまったので、ここを見つけるのに時間が掛かってしまいました。……やはりここだったんですね。先生ならこの大樹、世界樹の元に帰っていると思っていました。……ここは先生の故郷ですから」
(世界樹? あのエルフの住む森林国家の?)
「ニンナ、よくここがわかったな。君もここに目星をつけていたのか?」
「ローガン様、お久しぶりでございます。何でも宮廷魔導師となってご活躍されているとか、お噂は聞いております」
「……そんな堅苦しい言葉遣いはやめてくれ。何年も会っていなかったとはいえ、同じオーベルシュタイン先生の教え子。私たちは兄弟同然だ。昔のようにお兄ちゃんと呼んでくれ」
「いえ、それは……わかりました。ローガン兄様」
「ローガンにいさま〜〜」
「もっと孤児院にも遊びにきてよ。また、魔法を教えて〜」
子供たちが二人に群がる。
静かだった部屋はすっかり騒がしく変化していた。
「ふぉ、ふぉ、ふぉ、そんなにわかりやすかったかのう」
「以前先生がハーフエルフの孤児の子供たちを見ていた時に、ポツリと漏らしたのを聞いてしまいました。申し訳ありません」
「そうだったか……」
「……隠し事はできないものじゃな。結局は見つかってしもうた。このまま静かに一人で朽ちていくはずじゃったのだがな……うぅっ」
ベットの上で苦しげに唸る。
「先生!! いま回復薬を!」
「……やめよ、ローガン。儂にはもうポーションも回復魔法も効かん。エリクサーだろうと効果はないじゃろう。使うだけ無駄じゃ」
ローガンさんが懐から取り出した小瓶を取り落とす。
――――手が震えていた。
「せんせー! せんせー!」
「イヤだ! イヤだよ、せんせー!」
「先生、僕たちを置いて行かないで!」
子供たちがベットを取り囲み、痩せ細った枯れ木のようた手を必死で掴んでいる。
いまにも消えてしまいそうな命の前に誰もが言葉を失い、嘆きの声だけが部屋に響く。
子供たちが、ローガンさんが、ニンナさんが静かに涙を流し祈っていた。
「……ペグメイト、お前にも世話になった。共に魔法の深淵に辿り着く筈が……このざまじゃ。儂が残せたのも《エクセス》の魔法因子ぐらい。……済まなかった」
「謝るな、オーベルシュタイン。君は至ったのだ。それを忘れないで欲しい。魔法の極致に至らずとも我が使い手として申し分ない働きだった。紛れもなく……我が友だった。君の天成器であれたことをなによりも感謝している」
弱々しい声に答えたのはベットの脇に立て掛けられた一本の白銀の杖。
それはまさしくこの過去を見るきっかけとなった長杖の天成器だった。
「そうか……そう言ってくれるか……」
「いまはただ。休め、また眼を覚ましたら魔法の研究を始めよう。あの何もかも投げ出して魔法の深淵だけを追い求めたあの日々を」
「あぁ……」
「せんせー!」
「うぅ……うぅぅぅ……」
「……な、泣くなよ……先生!」
(辛いな。なぜ《リーディング》はこんな場面ばかり見させるんだ……)
吹雪は勢いを増す。
荒れ狂う天候がまるで哀しみに満ちた叫びに聞こえる。
「魔法を極めんとした儂の生涯。お前たちがいたからこそここまで歩む事ができた。……ローガン、ニンナ。他の子たちにも伝えてくれ。……儂の夢はお前たちに託した。お前たちが生きている限り魔法への探求は終わることはない。人の夢は連綿と受け継がれていくのじゃ。……お前たちはそれを儂に教えてくれた。ああ、世界樹よ。願わくば儂をあの頃へ。この子たちと共に夢中で魔法を学んだあの頃へ……」
「……」
以前、《リーディング》で過去を見たときとは違い強烈な頭痛はなかった。
触れた手には灰色の長杖の冷たくつるつるとした感触だけが残っている。
辛い別れの記憶。
《リーディング》の見せる過去に心を奪われていた。
だからだろう、不意をつくように背後から声がかかったとき、心臓がドクンと跳ねた。
――――ここには誰もいなかったはず。
「そこで、何をしているんだい?」
「――――え? あ、別に何でもないです」
急に現れた人物に反射的に否定してしまった。
こちらの顔を覗き込んでくる女性。
紫の髪からは二対の巻き角が生えている。
「それ」
彼女は俺の触れる灰色の長杖をパッと指差した。
続く言葉は予想もできなかった台詞。
「王城からの預かり物だ。天成器に良く似た出自不明の品“失色の器”。どんな攻撃にもビクともしない強度だけは図抜けた物質。倉庫に眠っていたのを研究の為にわざわざ取り寄せた物だ」
「……すみません。つい珍しくて触ってしまいました」
口をついて出たのは誤魔化しの言葉。
「見ていたよ」
「…………なんのことですか?」
「《リーディング》、一体どんなスキルなんだい?」
その言葉を聞いたとき、さぞかしケイゼ先生の眼には狼狽える俺の姿が滑稽に写っただろう。
口元を三日月に歪め、紫の瞳を妖しく輝かせる魔人を前にして逃げられる場所はどこにもなかった。
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