第9話 瘴気獣


「父さんっ!!」


 ミノタウロスの攻撃を受けてしまった父さんの動きは明らかに精彩を欠いていた。

 相対していた最初の頃はある程度余裕をもって躱せていた攻撃が、徐々に避け切れなくなり辛うじてルークで防御している。


 積み重なったダメージは大きかった。

 追い詰められ殴り飛ばされた父さんはついには障壁にまで吹き飛ばされ叩きつけられてしまった。

 振動と共に衝撃が障壁を通じて伝わってくる。


 下を見下ろすとガラガラと瓦礫が崩れた中心で動けずにいる姿が見えた。

 服はところどころ破れ血が滲み、一目で重傷だとわかる。

 あのままだと父さんが死んでしまう、そう思うといてもたってもいられなくなった。


「クライ、駄目だ!」


「おい、クライ! 何する気だ!」


 ミストレアとスコットさんの静止の声を尻目に、無我夢中で障壁から飛び降りた。

 オークの投石が行き交う中、障壁に備え付けられたロープを使い地上に降り立つ。


 混乱の支配する戦場を走る。

 なおも暴れ回っていたミノタウロスの前に躍り出た。

 

「なんで来たんだ! ぐぅ……クライ……逃げろっ!」


 改めて見ると父さんの傷は深い、回復のポーションでも応急処置にしかならないだろう。


(……クライ、こうなってしまっては仕方ない。あいつに効果があるのは属性矢だ。父上を狙われないように上手く注意を引きつつ戦うしかない。だが奴は強い。悪いことに援護も期待出来ない、どうする)


 ミストレアの焦った声が脳裏に響く。

 手元にある武器は矢筒に入った錬成矢と普段から狩りに使う鉈、無造作に取ってきた属性矢ぐらいだ。

 頭は兜、胸は鎧に包まれ狙うなら露出した部分だろう。

 雷の属性矢なら当たれば痺れさせられ時間を稼げる。

 

 間近で見るミノタウロスは遠目よりはるかに巨大で恐ろしい。

 こちらを威嚇する姿は傷つきつつもどこか威厳すらある。

 負傷しているとはいえ一撃でも攻撃があたったら致命傷だ。

 

 それでも……逃げることはできない。


「ブオオォォォォーーー!!!」


 大股で一歩を踏み出してくるミノタウロスの太腿目掛けて雷の属性矢を放つ。

 鎧の隙間、露出した足が着地する躱せない瞬間を狙った一矢。


 防がれた!

 

 素早い動きで巨大剣を盾にして防がれる。

 とても両腕を怪我しているようには見えない動きだった。


 間近に迫る巨大剣を動揺しながらも斜めに前転して躱す。

 躱しながら放った錬成矢は軽く刺さるだけで傷にすら程遠い威力しかない。

 

 攻撃力が足りない。

 父さんからは離れられたが、残りの属性矢は四本。

 躱し続けて隙を窺うにせよあれほどの攻撃を避け続けることは出来ない。


(今までの学んで来たことを思い出せ! 全体を見て動きを予測するんだ! クライ、君なら出来る!)


(ミストレア……ああっ!)

 

 ひたすらに回避に徹する。

 ミノタウロスは動き続け、最初の一射以外に撃てる隙がない。

 廻り、屈み、飛ぶ。

 激しい動作をするたび心臓が必死に動いているのがわかる。


 何分たっただろうか綱渡りの回避を続け、永遠とも言える連撃をなんとか躱す。

 それでも攻撃の余波だけで傷が増えていく。

 すでに腕や脚は地面から弾かれた石で裂け、血が流れている。

 頭にも破片がぶつかったのか傷口が熱い。


「うっ!」

 

「クライッ!」


 かすりそうな致命な攻撃を必死に身体ごと捻って避けた。

 しかし、無理な挙動の結果、体勢が崩れ地面に倒れてしまう。


 早く、早く起き上がるんだ。


 そう思っても意思に反して身体は悲鳴を上げていた。

 ただ躱すだけなのに全身全霊をかける必要があった。

 いつもより緩慢とした動きで辛うじて起き上がる。


 目の前ではミノタウロスが倒れた俺に再び攻撃しようと構えていた。


 ここまでなのか?


 自問自答したとき、不意に戦場に転がっている盾が視界に入った。

 倒されてしまった冒険者の物だろうか……。

 凹み、傷つき、打ち捨てられたカイトシールド。

 装飾もない無骨な金属の盾。


 天成器ですらないそれを俺は無我夢中で掴み掲げる。

 ミノタウロスの攻撃を到底防げるものではないのに……。


「うあぁぁぁっ!」


 死の気配を帯びた巨大剣が迫ってくる。

 耳には自分で叫んだとは思えない情けない声が聞こえた。

 

 盾を眼前に突きだす。


 刹那、盾から衝撃と共に鈍い音がすると身体が勝手に動いた。

 寸前まで迫って来ていた巨大剣は明後日の方向に弾かれ、ミノタウロスは姿勢を崩す。


 いったいなにが……。


 疑問も束の間、よろめいた身体を立て直しミノタウロスは体当たりをしてくる。

 二本の凶悪な角を突き立てるように構え、強かに地面を蹴る。


 盾をっ!


 突進が当たる直前、またもや腕が自然と動き衝撃と共に受け流した。

 

(クライいまのは一体…… )


(わからない。身体が自然とどうしたらいいのかわかったみたいに動いたんだ)


 体勢を立て直し右手にカイトシールド、左手にミストレアを構えた。

 身体の半分が隠れるカイトシールドは俺の体格には合わず不格好な体勢になってしまう。

 今まで持ったこともない盾を、なぜ攻撃を受け流すほど上手く扱えているのかはわからない。

 だが、不思議と内から高揚する気持ちが溢れていた。


 これでまだ戦える。

 

「ブオオオンッ!」


 ミノタウロスの途切れない攻撃をひたすらいなす。

 強烈な風が全身を撫でる。

 一つとしてミス出来ない緊張感で喉はカラカラだ。

 体力は依然として減っていく一方で気持ちは途切れていない。


 何度も盾でいなすうちなんとなくどの程度の攻撃を防げるのかわかってきた。

 ミノタウロスが大きく右腕を振り上げ斬りつけてくる。


 いましかない。


「はああぁぁっ!」


 盾で巨大剣を弾く。

 

「ミストレア!!」


 左手に持つ白銀に輝く天成器ミストレア。

 すぐさま属性矢を番え、放った。

 至近距離で直撃した火の属性矢はミノタウロスの顔を覆う兜ごと燃える。


「ブオオッ!!」


 三本の矢の同時撃ち。

 射程も短くなり、精度も悪くなるがこれほど近い距離なら関係ない。

 呼吸のままならないミノタウロスは苦しげに顔に手をやるが火の勢いは止まらない。


 ここで畳み掛ける。


 錬成矢を連続で放つ。

 狙いは父さんの傷つけた右腕。

 傷口なら錬成矢でも深く刺さりダメージを与えられるはず。


「格納」

 

 次はミストレアを刻印に戻す。

 白い光に姿を変えたミストレアを待たず腰に携えた鉈を抜く。

 盾を左手に持ち替え未だ苦しむミノタウロスに斬りかかる。


 天成器以外の武器は強度も切れ味もない。

 ミノタウロスの硬い皮膚には効きづらいはずだ。

 それでも……一撃なら。


「おおおぉぉぉーー!」

 

 気合と共にミノタウロスの右足の関節に身体ごとぶつかる。


「これでどうだっ!」


 赤黒い皮膚に鉈が突き刺さった。

 強引な使い方をしたせいだろう突き刺さりはしたが、刀身は半ばで折れ持ち手は砕けた。

 だが、一矢は報いた。


「クライ、よくやった! 離れてろ!」


 障壁から矢の射撃がミノタウロスに降り注ぐ。

 スコットさんからの援護だ。

 オークの投石が障壁を揺らし不安定な中、危険を顧みず助力してくれる。


 ミノタウロスから距離を取りつつ周囲を見渡す。

 あれほどいたオークも数が少なくなったのか響いていた怒声も少なくなった。

 それでも本隊にはまだ魔物が集まっている。

 あれはギルドマスターか?

 先頭に立ち、赤い熊の魔物と戦っている。


 矢の雨が降り注ぐ。

 だが、やはり大して効いてはいない。

 刺さり小さなダメージを与えていても致命傷にはならない。

 それでも、いままでのダメージは蓄積しているはずだ。

 なにより身体から漏れ出す瘴気は確実に増えた。

 灰色の瘴気はミノタウロスのいたる所から噴き出している。


 矢の雨の只中、巨大な影が動く。


 ミノタウロスは火の燃え盛っていた兜を自ら引き剥した。


 投げ捨てられた巨大剣を拾い上げる。


 視線は真っ直ぐこちらを向いていた。


「やっぱりそうなるよな」


 距離は十m前後。

 ミノタウロスにはニ、三歩の距離だろうか。

 

「クライ! 離れろ! 奴はまだ動く! クソッ」


 スコットさんの声。

 叫ぶような悔いるような声、心配してくれているのがわかる。

 

「クライッ!」


 父さんの声。

 自分も傷だらけなのに駆けつけようとしてくれている。


「クライ、やるんだな」


「ああ、ミストレア」


 ミストレアはこんなときでも一緒にいてくれる。

 

「起動」


 左手の刻印が光となって手元に集まり弓を象る。

 

 一歩目、ミノタウロスが両手で剣を握り踏み出す。


「錬成」

 

 指先に光が溢れ集い矢を形作る。


 ニ歩目、鼻を鳴らし地面を強く踏み込む。


 まだだ、奴を倒すなら奴自身が向かってくる力を利用しなければならない。


 三歩目、握り締めた剣を天高く振り上げた。


「行くぞ、ミストレア!!」


 振り下ろされる瞬間の間を目掛けて放……いや、待て、嘘だろ。


 四歩目、ミノタウロスは体勢を崩しよろけ、縦に振り降ろすはずの剣撃は横からのなぎ払いに変わる。


 ――――このままだと相打ち。

 

 撃つ。

 ここしかない、ここで倒すんだ。

 

「「行けーーー!!」」


 兜が引き剥がされ剥き出しになっていたミノタウロスの眉間目掛けて渾身の矢を放った。

 

 ミノタウロスの剣が胴を切り払うように振るわれる。

 まるで命を刈り取る死神の鎌だ。

 時間が引き伸ばされたように遅くなる。

 ……死の間際に見る走馬灯だろうか。

 急激に迫る巨大剣をゆっくりと眺める。


 その時だ。


 飛来する何かがある。

 弾丸?

 ミノタウロスの巨大剣。

 その刀身の中央に甲高い音をたててそれはぶつかる。

 俺たちの命を奪うはずだった巨大剣は勢いを殺され地面にめり込んだ。

 

 引き伸ばされた時間が戻ってきた時、放たれた矢はミノタウロスの眉間に深く刺さっていた。


 ミノタウロスの身体が灰色の瘴気となって消えていく。

 後に残ったのは傷ついた大鎧と傷一つない巨大な剣だけだった。

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