第5話 強引な口付け
『離婚するのではないか』という噂も流れ始める。
勿論、そのことはアンジュの耳にも入り、ベッドに潜り身震いした。
(ゼスト様、何かしでかしたのね!)
少なくとも、アンジュがふたりの離婚について考えつくのはそこしかない。
しかも原因は不幸にも自分。
アンジュがゼストと不倫関係にあったとなれば、死刑が待っている。
涙が溢れてきて、布団を深く被り泣いてしまった。
自分は陰の存在に徹して、オーフィリア国で細々と生きると決めたのだ。
大恋愛がしたいとも思わないし、外交の手駒に使われた時点で、普通の恋愛が出来るとも思わない。
だからって、キスの一度や二度で離婚相手の汚名なんてあんまりだ。
(いえ、アーネスト様から見れば、キスだって不潔よね)
涙が溢れてしまい止まらず、拒むことをしなかったこと、蜜を溢れさせた汚らわしい身体を呪いたくなる。
あの日以来、昼はルドルフがいて、夜はナンがいる。
でも、ふたりが言うには、ゼストは来なくなったそうだ。
それはそれで、弄ばれた思いだ。
少しでも真剣に結婚を考えたのなら、足繫く通ってくれてもいいじゃないかと思ってしまう。
いやいや、何を考えていると、脳内の恋の誤作動を制御した。
結局、アンジュにとってゼストを相手にするのは無理な話だった。
恋をしたところでただの恋愛じゃなく、不貞の恋なのだ。
(まだ胸を鳴らせただけで、恋をしていないけれど)
その点でも、宮中でゼストとアーネストの離婚の噂が流れるのは怖かった。
今の時点で、自分はゼストの不倫相手なのだ。
側室で抱かれたのであれば、こんなにも怯えたりしない。
問題は、ゼストがアーネストと婚姻中であるにもかかわらず、結婚を約束して去ったことだ。
今離婚の原因としてアンジュの存在が矢面に立たされれば、死刑。
(ひいいいいい! 私、キスをしただけでっ。でも、アーネスト様にとってはキスだって許せないはず……。ひいいいい!)
浅はかな自分を許せるわけがないと、涙を拭きながら震えていると、ドアがノックされる。
誰かと思った。
ナンなら名乗って入ってくるはずだからだ。
「ナン?」
「ゼストだ」
どんな顔をして会いに来たのだと思うが、ここは身を守る為にも帰ってもらうしかない。
「お帰りください。もう私とは会わないで欲しいのです」
「約束通り、離婚の話を進め――」
アンジュは飛び起きて部屋の前に行き、ゼストを強引に部屋に入れた。
そしてゼストをじろっと睨む。
愛おしいように見つめられて、はっとして身体を離す。
「そのお話は冗談ですよね? 今宮中で話されては、私は死刑にされます」
「そんなことはされない。そもそも、不倫じゃないだろう?」
「ふ、不倫です! キスだって立派な不貞行為ですから」
「そうか? 抱きしめていないし、好きだと告白していない。まだセーフだ。安心しろ」
「セーフ……じゃありません! そういう緩いところが許せないのです!」
「とにかく、やっと会えた」
空気が熱を帯びたようになって自分の周りにまとわりついてきた。
そして、ゼストからそっと抱きしめられてしまう。
「離してっ」
「だめだ。一週間会えなかったんだ。ナンと何を話した? 後、衛兵も傍にいた」
「なんでもいいでしょう! 今、宮中はゼスト様とアーネスト様の離婚の噂があるのです。私は関わりたくないだけっ」
ぐいっと身体を押し返すと、ゼストが強引に抱きしめてくる。
その力強さに驚いてしまって、思わず胸に顔を埋めてしまう。
「どうしてそんなにジタバタする? 俺からの好意は嫌か?」
「嫌というより、信じられないものです」
「なぜ?」
温かい胸の中で滑らかな低音が耳朶に滑り込む。
心地良い音楽でも聞いているように、怒りがなぜか静まってしまう。
こんな非常識は許せないと思っていたし、今だってあり得ないと考えている。
騙されるのが怖くて、ゼストに近寄らないようにしていた。
でも、彼がもしも未婚であれば? と温もりに包まれると考えそうになる。
ナンがあれほど厳しく気を付けろと言っていても、ゼストの前になると上手く抗うことが出来ない。
「どうした? 答えてくれないのか?」
「だって、アーネスト様がいるのですよ? 彼女を失うことの方がずっと辛いと思うのです」
「なんでそう思う? アンジュもアーネストを信仰しているのか?」
「信仰? いえ、違います。宮中ではナンとルドルフしか話せるものはおりません」
アンジュは素直に言った。
彼からの好意が怖いのは、ゼストに裏切られたら即死刑という、人生を掛けた恋愛だからだ。
恋も愛も知らないアンジュにとって、そんな大恋愛が出来るわけがない。
密やかに恋を育み、国民からも祝福されて静かに結婚する。
それが理想であり、当たり前だと思っていた。
「ところで、そのルドルフという男は誰だ?」
「衛兵でございます」
「ふーん」
いい加減に身体から離れなくてはいけないと胸からすり抜けると、力強く抱きとめられることはもうなかった。代わりに何か考えるようにぼんやりしている。
「まあいい。とにかく、今日は久しぶりに会ったのだから少し触れてもいいだろう?」
「触れる……ダメですっ」
「アーネストとはもう終わった。大丈夫だ」
(これって、ナンが言っていた弄んでいるっていう……)
後ずさりしながら逃げようとするが、ドアにごんと背中を打って、行き止まりになってしまう。
ゼストは顔色ひとつ変えずに近づいてきて、アンジュを横抱きにした。
「ひっ」
長身のゼストに抱かれて、ジタバタもがくとそのまま寝室に連れて行かれてしまう。
(えっえっ……うそ……ナンッ!)
「そういえば、今日はこの眼鏡をしているな? それから、この三つ編みも」
ベッドに降ろされると、アンジュは逃げるように隅に移動した。
しかし、関係ないとばかりに腕を引かれて胸に顔を埋める恰好になる。
不格好に抱かれて、アンジュは目を瞬かせた。
「アンジュ。髪をほどいてもいいだろ?」
「あのっ」
「邪魔だからな」
するっと手が伸びてきて、三つ編みを結い上げていたリボンが解かれた。
途端に艶やかな黒髪が腰まできて、すっと掬い取られる。
「良い香りだ」
スンスンと髪の毛の匂いを嗅がれているのに、なぜか恐怖がない。
それどころか、適度な緊張感と心地良さを覚えている。
自分はいけないことをしているというのに、抗うことが出来ない。
唇はそのまま耳朶を食み、甘い声が自然と漏れた。
「んっ……んんっ」
「初めて聞いた。感じた声」
(嘘……嘘、うそ……どうして……声が……)
そのまま耳の中に舌先が滑り込んできて、蠢きだす。
激しい水音と同時に感じたことのない甘い感覚に身体を震わせた。
「や、やめ……やめ……て」
鼻にかかる甘えた声を聞いて、自分で驚いてしまう。
これでは誘うだけで、抵抗しているように聞こえない。
「初めては俺でいいな? アンジュ」
「い、や。初めては、好きな……人……じゃないと」
「俺だろ?」
ゼストはあっけらかんと言う。
こんな人は今まで会ったこともないし、こんな風に誘惑されたこともない。
小説でだって、恋愛には順番があったりしたし、アンジュの心は滅茶苦茶だった。
「私、アーネスト様を傷つけたくない」
「そんなに心配か? アーネストが」
「だって、このことを知ったら、傷ついて困るのはアーネスト様だもの」
「本当にそう思うか? 沢山の側室がいると知っても嫁いで来た女だぞ?」
「……」
そういえば、とアンジュの心にふとした疑問が残る。
オーフィリア国は王にこそ側室が沢山いるが、王妃は浮気ひとつ許さない国だ。
男尊女卑の国であり、それは王妃といえど同じ待遇だ。
それを分かって嫁いだからこそ、政略結婚だと噂された。
そんな彼女が、今更ゼストの浮気ひとつに落ち込むだろうか。
「アーネストのことは心配するな。もう離婚の話を始めている」
「う、うそっ……。いや、だからって、だめっ」
「少し静かにしていろ」
強引に口づけされて、アンジュは目を剥いた。
初めてのキスではないが、唇に慣れない感触を感じて押し返そうとする。
しかしそのまま押し倒されて、口内に舌先が侵入してきた。
信じられない思いを抱いたまま、そのまま口腔を丁寧に舐めまわされる。
すると今まで感じたこともない甘い痺れが脳内を刺激して、何も考えられなくなってくるのだ。
押し返す元気もなく、次第にその身をゼストに預けてしまう。
(ダメ……なんで……何も考えられない)
蕩ける――、その意味がようやく分かってきて、アンジュは慌てる。
このまま口内を舐められ続けたら、身体までおかしくなりそうなのだ。
今だって芯が火照りまるで欲するように身体がジンジンと疼いている。
その一方でキスが心地よい。
丁寧に舌を絡めとられると、反応するように舌を絡めてしまう。
「はぁ……ん……はぁ……」
「慣れてきたな。その声、ルドルフには聞かせてないだろ?」
「当たり前……」
「蕩けた顔も、見せてないな?」
「どうして、そんな質問……。んんっ……」
蕩けるキスに溺れてしまうように、自らも舌を突き出していた。
もうアーネストのことを忘れ、快楽に流されている。
(もうどうせ死ぬなら……最後まで知りたい……)
潤んだ瞳で思わず訴えてしまうと、キスが止む。
そして、するっとスカートが捲りあげられた。
「いいのか?」
「だって、もう死ぬのですよ……。処女のまま死ぬなんて、いくら私だって辛いのです」
「いや、アンジュは今後、王妃になってもらう。大切に扱うからな」
「もうそんな軽口だって、これで最後です。好きにしてください」
初めて見せる部分は湿り気をたっぷり帯びて、じゅくじゅくと濡れていた。
ドロワース越しに指先で撫でられて、それを確認される。
「はぁぁ」
「どうした?」
「い、いえ……。このように快楽に溺れる日がくるなど、想像もしなかったので」
「その甘い声の原因は、快楽に溺れているせいではない。俺を好きだからだ」
そう言われると、そんな気もする。
ルドルフから手を握られたことはあったが、胸が跳ねたことはなかった。
兄にも父にも、異性でこんな風に胸を鳴らせて、女性を自覚させられたことはない。
でも、そこは否定しないと、本当に不倫が成立してしまう。
「違います、私はゼスト様を受け入れることはありません」
「そうか。では、この戯れは?」
「側室としての仕事です」
「では、まずはその身体に俺を覚えさせなくてはいけないな。仕事として。後、仕事として散策をしたり、一緒に買い物に行ったりしなくては道理ではない」
「えっえっ?」
「まあ、いい。まずはその身体を楽しませろ」
ドロワースに手がかかった時、ゼストは一瞬戸惑う顔を見せた。
露わになった肌に慄くように、脱がすのをためらうようにも見える。
そのまま手は布越しに秘丘を撫で始めて、アンジュはじれったい思いにさせられた。
「あっあっ……」
「愛らしい声だ。初めてだろう? 男の為に喘ぐのは」
アンジュは頷いた。
とめどなく押し寄せる快楽に抗えず、声は自然と漏れ出る。
はしたないと自制をしようと思っても、ゼストの長い指が丁寧に秘丘を撫でているだけでもひくひくと震えた。
花芽を摘ままれると、身体が戦慄き仰け反った。
「あんっ!」
「ここか? それより、蜜が溢れている。ナンに怒られるな」
「脱がして……。下着を汚したら、ナンに言い訳が出来ないわ」
アンジュは潤んだ目で訴えた。
ナンは今まで守ってくれた大切な同士であり友達だ。メイドという格差を超えて、尽くしてくれたり、相談に乗ってくれたり、心配してくれたりしたのだ。
それが、裏切るようにゼストと関係を持ったと知れたら、きっと憤慨して友人の縁を切られるだろう。
「ナンに、知られたくないの」
「ふーん。大切な友人だと?」
「そう……」
「俺よりも?」
「当たり前でしょう? もう一年以上の付き合いよ」
「だったら、今日はここまでだ。さっきからルドルフだのナンだの、俺以外の人間のことばかり考えていてつまらない」
「えっ……」
ジンジンと腹の奥が切なく疼いている。
信じられないことに、その続きが欲しいとばかりに身体はゼストに続きを強請っていた。
身体だけでなくアンジュももどかしさを抱いている。
蜜だって溢れて止まらず下着を汚しているというのに――。
(何がしたいの、ゼスト様)
泣きそうになると、すぐにゼストからキスをされた。
「欲しくなったか、俺を」
「い、いいえ。そんなつもりは。もう、これ以上は私には無理です」
アンジュはスカートを直すと、濡れた下着を嫌でも感じさせられた。
もじもじしていると、ゼストの視線が絡んでくる。
「では、明日からは仕事として俺と買い物に行こうか」
「買い物?」
「アンクレットが欲しいだろう。アンジュは着飾らないからな」
「分かりました。でも、くれぐれも周りにバレないように。とくにアーネスト様には!」
「アンジュ、一言言わせてもらうが、お前は他人へ好意を抱いたことがないようだな。アーネストのことを盾にして、俺から逃げているだろう?」
「盾もなにも、不倫は重罪です!」
「だから何度も言うが、もう別れるんだ」
「ですから、そんなことを言われても困るし、見つかれば処罰されるのは私です!」
アンジュは言い聞かせるようにゼストに行った。
どうも、彼はアンジュが弱い立場だと理解していないようだ。
ベッドに連れ込むのだって上手いし、逃げられない状況にするのも長けている。
さすが武勲の王と言われているだけはある、と変なところで尊敬してしまう。
しかし今追い詰められているのは、自分だ。
悪いことに、会う度に濃密な時間になっていっている。
(さっきなんて、身体を開きそうになって……続きをして欲しいと思ってしまったわ)
愚か者! と自分を心の中で叱責しつつ、初めての快楽には戸惑いよりも愉悦が勝った。
そして、自分も求められているのだ、という喜びもある。
残念なのは、相手が既婚者のゼスト王という点のみだ。
「じゃあ、また明日。ナンはしばらく実家に帰るように命じる。それからルドルフは転属だ」
「え……。待って。ふたりとも大切なの! ナンは友達のような人だし、ルドルフは身の安全を守ってくれるわ」
「そのルドルフだが、噂じゃ酷い女遊びで有名だぞ」
「え……」
「知らないだろう? 側室にも手を出している。アンジュは初心だから助かったんだ」
「嘘よ……」
「とにかく、ルドルフは軍にでも転属させて、別の方面にやる気をもっていかせた方が安全だろう?」
ゼストの言うことに首を傾げつつ、普段自分のことを何も喋らないのでゼストのことを信じるしかない。だが、ルドルフに側室を勝手に寝とるなど出来るだろうかと、首を捻った。
(彼は私のことを気にかけて、気を遣ってくれたのに)
首を捻っているうちに、ゼストがベッドから起き上がった。
そして乱れた着衣を整えると、アンジュの額にキスを落としてくれる。
「じゃあ、明日の朝、迎えに来る。アーネストには見つからないように」
アンジュはいたたまれない思いのまま、頷いた。
拒絶の言葉だって言いたいのに、上手く自分の心が整理出来ない。
「アーネスト様に見つからなければ良いというわけではありませんっ」
「側室の仕事だと思えばいい」
「仕事と言われても……」
「迎えに来る」
そう言ってベッドから降りると彼は部屋を出て行ってしまった。
アンジュは取り残されて、しばらく呆然とする。
ナンの代わりにメイドを寄越すだろうが、もう気安く話すことは出来ない。
それに、ナンの給金はきちんと支払われるだろうか。
ゼストの一存に怖くなる。
その時、不意に蜜で濡れたドロワースが気になった。
(あ……。あんな恥ずかしいこと……)
アンジュはあられもない声をあげて、腹の奥を疼かせたことを後悔した。
しかし、抑制が効かず今でもまだ少しジンジンとしている。
ゼストの熱がまだわずかに皮膚に残るだけでも、蜜がとろっと溢れだしてくる。
(好きだから?)
そんなわけがないと首を振るとアンジュは慌てて着替えを始めた。
ナンにドロワースの汚れが見つかったら、大変だ。
(好きになったら、処刑よ? たぶらかされているのよ?)
自分に言い聞かせて、アンジュは首を思い切り振って忘れようとした。
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