引きこもり姫が不倫相手に選ばれまして
@Ikkakisaragi
第1話 不倫は文化
『不倫は文化』。
広大な土地を治める強国オーフィリア国に伝わる、名言だ。
王に側室が何人も付き、王妃共々寵愛される。
国自体も一夫多妻制で、ひとりの女性を愛さなくて良いとされている。
男性の力が強く、真面目に働かず武芸のことばかりで、女性は給金を得る為に身体を売ったり王宮に稼ぎに出たりして、家庭をやりくりしている。
強国、武力の国と他国から言われているが、内情はあまりいいものではなかった。
加えて、男性は恋が下手なことでも有名な国だ。
一夫多妻制で自由であるがゆえに、本気になると強い束縛をして女性を困らせる。
他国の女性はオーフィリア国の男性とは付き合うな、牢に閉じ込められてしまう、とまことしやかな噂を立てて、あざ笑っていた。
それでも、オーフィリア国との政略結婚を望む小国は後を絶たない。
アンジュ・ロイナーもそのひとり。
小国ロイナー国の長女で貿易が盛んな国だったが、次第に弱体化しアンジュが幼い頃にはすでに、姫は政略結婚の道具として扱われていた。
長男は弱小国をいかに守るか、絶やさずに生き残るか、国策について幼い頃から学んでいて、アンジュの結婚に反対するものは誰もいなかった。
堅実、真面目、控えめな国で育ったアンジュは、代々続くことに反対することなく受け入れた。不安はたっぷりだったが、それでロイナー国が救われるのだから。
オーフィリア国に長女を差し出せば、平和は約束されると誰も信じて疑わず、アンジュはひとり、涙して側室として宮廷に入った。
十八歳で若い王であるゼスト・オーフィリアとは顔も会わすことなく、小さな部屋をあてがわれた。
小さなキッチンと暖炉。それからリビングに寝室だけの狭い部屋だった。
アンジュは沢山の本と頭まで被れるショール、黒ぶちの丸眼鏡を手にして、部屋に籠もり始める。
勿論、ドレスも沢山持たされたが、ショールと眼鏡が何より大事だった。
その日のうちにゼストに会う予定だったが、彼の都合は半月、半年たっても目処がつかずに部屋に籠もる生活は、もう一年続いている。
でも、それでいいのだ。
アンジュにはよくないあだ名がたっぷりついている。
『引きこもり姫』『丸眼鏡』『魅力のない女』『弱小国の使えない子』などなど。
聞くに堪えない言葉ばかりがアンジュを形容している。
しかし、それもしかたない。
オーフィリア国に来る女性はその風土を理解した気の強い姫がほとんどだった。
大切な国策の道具であり、ゼストの寵愛する姫。
彼女たちは卑屈になるどころか、王妃の座を狙いゼストを狙う日々であり、国特有の一夫多妻制を利用して、誘惑する日々。
だからこそ、アンジュが無能だと陰口を言われる。
『なぜ国の為に王を誘惑しないのか』と。
しかし、そのゼストにはアーネストという美しい王妃がいて、側室の姫たちは弄ばれて終わりだろうともっぱらの噂でもあった。
だからこそ――アンジュは眼鏡をかけ、大きなショールを被り顔を隠し、いない存在に徹していた。
「少し息抜きしよう」
伸びをして、本を閉じた。
丸眼鏡をくいっと押し上げて、ひとつに束ねた三つ編みをそっと肩からどかす。
部屋にいるうちはショールは必要ないが、もしも、の時を考えて顔は徹底して眼鏡で隠すことにしている。
大好きな紅茶は自分で淹れなくてはいけなくて、アンジュも一年で慣れたものになった。
持ってきた本も大分読んでしまったし、メイドのナンを連れて国内の本屋を巡る為には、ゼストの寵愛する側室であるという意味で、衛兵のルドルフを連れて行かなくては行けない。
ゼストから愛された覚えもないし、顔だって見たこともない。
でも、それが幸せだった。
その日はひとりで本を選べないという煩わしい思いをしながら、大きな本屋に向かう。
壁一面が本で、ひとりでは取れないような造りで長いはしごを使って取るのだが、怖くてルドルフに昇らせる。
彼いわく、魔法使いや薬剤師などの専門書の多い店だから仕方ないと説明された。
オーフィリア国の魔法使いは古代魔法を使いこなし、軍隊に必ず配備される。
書店で魔導書まで売られだしたのは、ゼストの妻、アーネストの祖国が関係していた。
彼女の母国が魔法に長けた国で、ゼストとアーネストはオーフィリア国の軍事拡大の為の政略結婚だったのではないか、とも噂されている。
ロイナー国が最も恐れていたのは魔法で、自国に魔術を使える者がいないことが怖かったと聞かされた。
「とにかく、メイドを読んで。出かけないと」
ベルを鳴らしてみたが、ナンは来なかった。
「どうかしたのかしら?」
椅子から降りてドアから顔を覗かせると、向こうから着飾った姫がメイドを連れて歩いてきた。
すぐにドアを閉めてもたれると、なにかに腹を立てているような声がする。
思わず聞き耳を立てると、その姫はゼストに愛されないことの八つ当たりをメイドにしていた。
「全く。アーネストさまとは冷めてるって噂じゃない」
「お静かにっ! そんなことを言ってはいけません」
「でも、本当でしょう? アーネストさまの男娼狂いのお噂」
「これ以上はおやめくださいっ」
メイドの必死な懇願を無視して、姫は深いため息を吐いていた。
c
思わず聞き入ってしまう。
本の世界では色々なことが起こるし、勿論、うまくいかない恋愛もある。
でも、少なくともアーネストは恋の成功者だ。
アンジュと違い、華々しく王妃になってゼストから愛されていると思っていた。
(全然意味がわからないわ)
頭を押えて悩んでしまうと、ドア越しの姫はきいいっと金切り声をあげた。
「ゼストさまはどうしてアーネストさまを許しているのかしら! 私達から一人選んで、王妃に迎えた方が心が落ち着くじゃない!」
メイドは呆れたのか、もう何も言わなかった。
アンジュだって同じ気持ちだ。
側室から王妃に選ばれたことはなく、オーフィリア国の伝統なのか、側室はあくまでも王に身体を捧げるだけの道具。政略結婚の駒に過ぎなかった。
王妃になれば、国の中で発言権を得てしまう。
ただ、ここで金切り声を上げている姫はそこまで考えているようには見えなかった。
どうして王妃より自分を選ばないのか、という執着と嫉妬だけのようだ。
(呆れたわ)
「もうおやめください。誰かが聞いていたら大変です」
「でもね! その良からぬ男娼を連れ込んでいるのはアーネストさまよ? 私見たんだから」
しれっと嘘まで吐くところにアンジュはまたもやため息が出る。
ここぞとばかりに陥れて王妃の座に付こうと必死なのが垣間見えた。
アンジュなら、たとえ見たとして口にしないで胸の奥に仕舞うが。
「だとしても、黙っていてください」
「それこそ、こちらの手駒としてゼストさまに言うわ!」
「……言ったところで、ゼストさまが動じるとお思いますか?」
その言葉に、姫は黙り込んだようだった。
ゼストと会ったことがないせいか、メイドの発言通りなら王としては見直してしまう。
そんなことでじたばたするような人では、オーフィリア国を守る王には相応しいとは思えない。とはいえ、アーネストの噂は少し気になるものだ。
(関係ないとはいえ、平和に過ごす為の情報は少しは欲しいものね)
立ち去っていくふたりをドア越しにやり過ごすと、アンジュはほっと胸をなでおろす。
メイドは来ないかともう一度ドアを開けて探すと、誰も来る様子がないので仕方なく、傍にいたルドルフに声を掛けた。
「仕事中にごめんなさい。また、本屋に行きたいの」
剣を腰に携えた彼は、くるりと振り向いてにこりと微笑んだ。
「またですか?」
「ごめんなさい。手持ちの本が沢山ないと落ち着かないのよ」
「いいですけど。いい加減にゼストさまにお会いにならないといけないのでは?」
「大丈夫よ。ゼストさまは美人がお好きだって有名だから」
丸眼鏡をくいっと上げて、ひとつに束ねた三つ編みを撫でた。
ショールを忘れたと慌てたが、ゼストが城の隅にあるアンジュの部屋にまで顔を出すとは思えない。
「ねえ。これから連れて行って?」
「構いませんが、メイドを」
「それが来ないのよ」
辺りを見回すが、アンジュお付きのナンは来ない。
「忙しいのかしら?」
「だといいですが」
ルドルフは苦笑した。
アンジュは首を傾げつつ、昨夜逃げるように去って行ったナンを思い浮かべる。
何かしてしまったろうかと思うが、アンジュは手のかからない方だと自負していた。
「どういう意味?」
「いえ、忙しいのでしょう。ではすぐに馬車を用意しますので、用意してください」
「ありがとう。助かるわ」
そう言って、すぐにショールを持ってきて頭から被り顎の下で結んだ。
目深に布を下げて、顔を見えないようにする。
ドレスは茶色でレースもなく、少しフリルがあるだけで質素なものだ。
「行きましょう」
ルドルフと共に城を抜けだすと、アンジュの心は浮かれた。
しかし、彼女が出て行ったと同時に部屋に入る男がひとり。
ナンの手引きにより、堂々と寝室にまで侵入してベッドにどっかりと座った。
「ここがアンジュの部屋か」
滑らかな低音が本だらけの寝室に響いた。
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