第208話 いらない

「あの子はね、自分に近づく人を傷つけられない、優しい子なの。それが例え悪女であったとしてもね。誰に対しても優しいから、誰もが勘違いをしてしまう……。貴女もきっとその一人よね。」


皇后は扇子を引くと、どこか芝居がかった様子で悲しげに睫毛を伏せ、そう呟いた。


…確かにそうだ。私もかつてそう思っていた。彼が私に優しくしてくれるのは、私が婚約者だから。そう、皇后が言ったように、私がただ近くにいる女だったからだとそう思っていた。


でも今は違うと言い切れる。少なくともアレクにとって私はただの目障りな悪女ではないと確信ができる。


皇后は再び私に扇子を突きつけると、そのまま扇子を持ち上げ、私は彼女を強制的に見上げる形になる。


「でもね。貴女みたいな悪女が愛していいような存在じゃないのよ。アレクシスはこの国で最も高貴な血筋を引く次期王なのだから。」


「…皇后陛下、身の程は十分弁えているつもりです。私と殿下が釣り合うなどとは初めから思っていません。ですが、私は……!」


「ねぇ」


皇后は私の言葉を遮ると、蔑むような冷酷な眼差しを私に向ける。背筋が一瞬にして凍りつくのを感じた。


皇后の全身が訴えている。私への溜まりに溜まった恐るべき憎悪を。


「いつまでそんなところで立っているつもり?跪きなさい。無礼者」


皇后は扇子を閉じると、私に命令をする。有無を言わさぬ威厳に、私は従わざるを得ず、へたり込むかのように地面へと座った。


甘く見ていた。皇后に今までの事情を全て話して、アレクへの思いを伝えれば許してくれると思っていた。でもそんなはずがない。


かつてのリティシア、そして私の悪女のふりのせいで……皇后の怒りは既に頂点に達していたのだ。


皇后は私の様子を見て満足気に笑うと、冷たく言い放った。


「貴女がアレクを好きになることも、アレクが貴女を好きになることも、あってはならない。これは国のために必要なこと。悪女に皇后この座は譲らない」


「……今までの私の軽率な行為、そして皇后陛下に対し不快感を与えた全てのことを謝罪致します。ですが全て殿下のためを思ってしたことです。決して殿下や、皇后陛下を傷つけようとした訳ではございません!」


「悪女の次は聖人気取り?笑わせないで。私を愛する二人の仲を引き裂いた極悪非道な悪魔にでもしたいの?」


「そんなつもりは……」


「人はそう簡単には変わらないの。いい?貴女は……この城にいらない。今すぐ消えなさい」


皇后はそう言い切ると、指をパチンと鳴らす。突如として扉から現れた兵士達は私の背後に立ち、皇后の命令をじっと待っている。


「この女を牢屋へ」


「えっ、牢……!?」 


兵士達は一斉に返事をすると、私の腕を捕らえ、簡単に自由を奪ってくる。


ここで皇后の命令を無視し無理に兵士を振り切るような真似をすれば、再び私は悪女のレッテルを貼られてしまう。


そうならないためには、皇后自身に命令を取り下げてもらうしかない。


「こっ、皇后陛下、お願いします、どうか

私の話をお聞き下さい!皇后陛下が信じて下さらないのも最もです。ですから、どうにかして私の言っていることが真実であると証明してみせます。だから、どうか私に時間を……」


必死に訴える私に皇后は微笑む。それはアレクとよく似た笑顔であったが、優しさも相手を思いやる感情も一切感じられなかった。


「あぁそうだ。私が前に屋敷に送ったプレゼント、気に入ってくれた?素敵なお花だったでしょう?」


「花……?花ってまさかあの時の……!」


私の部屋に突然置かれていたあの花。かつて私を苦しめたマギーラックをイサベルが知らずに触ろうとしたものだ。


あの花が皇后の仕業なのだとしたら、あれはイサベルを狙ったものではない。私だ。狙われていたのは私だったのだ。


初めから皇后は私を許す気はおろか、私の話を聞く気すらなかったのだ。


「可哀想に、アレクはこんな女に騙されるなんてね……でも大丈夫よ、私が代わりに成敗してあげるから」


「私は騙してなんかいません…!本当です!」


「あら、じゃぁ貴女の前世がどうっていうのは?」


「どうしてそれを…!やっぱり貴女はあの時の……」


誕生日パーティに来ていた私を「お嬢様」と呼んだルナではない謎の使用人。やはりあれは皇后の変装だったのか……。


全ての謎が皇后に繋がっていた。今まで何もしなかったのではない、彼女は私とアレクを引き裂くタイミングを見計らっていただけだったのだ。


「そうよ。まさかアレクが本気で貴女に惚れているなんて思いもしなかったわ。あの子もまだまだ見る目がないのね」


「……」


「でもまだ間に合う。貴女を消せば、流石のあの子も諦めるしかないでしょ?罪は…そうね、王族をたぶらかした罪とか、そういうところかしら。」


「……皇后陛下、本気で、本気で仰っているんですか……?」


「あら、私はいつだって本気よ。邪魔者は消す。そうでなきゃ皇后なんて務まらないわ。」


皇后はそう呟くと、兵士に私を連れて行くよう指示する。命令を受けた兵士達はその言葉通り、強引に私を部屋の外へ連れ出そうとする。


何を言っても聞いてくれないことを悟った私はこの危機をどう脱するべきか悩んだ。しかし焦っているが故、何も良い案が浮かばない。


罠があることは初めから分かっていた。だがまさかこんな強引に連れて行かれるなんて思ってもみなかった。


唐突に皇后が止まるよう兵士達に指示をする。どうすれば逃げ出せるかと必死に思考を巡らせる私へ、皇后は少しずつ歩みを進める。彼女は限りなく私へ近づくと、耳元で低く、冷徹な声で呟いた。


「諦めなさい。貴女を助けてくれる人なんて一人もいないわ」

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