第60話 平民の騎士団長

【アーグレン】


 時は前日に遡る。


 今日はアレクに会いにリティシア嬢が城へ訪問する日だ。


 悪い噂の耐えない彼女とアレクが婚約者である事は私に不安感だけを募らせていたのだが、アレク本人は全く別れる気がないらしい。


 恐らく持ち前の優しさでリティシア嬢を受け入れているのだろうと思うが、その優しさで彼が傷ついてしまうのではないかと不安で仕方がない。


 …私がどれほどアレクを心配しているのかを、彼が知る日は来るのだろうか。


 本当は心配でリティシア嬢とアレクをこっそり観察しようと考えていたが、流石にそれはアレクに嫌われる気がしたのでやめておいた。いくら親友でも婚約者と二人でいるところを見られたくないだろうから。


 不思議なのはリティシア嬢と会う前や、彼女について話す時のアレクの嬉しそうな顔だ。彼によればリティシア嬢は約一ヶ月ほど前に激変したのだという。


 人がそんなに簡単に変わるものかとどうしても信じ難かったのだが、アレクを信用していない訳では決してない。


 …確かにリティシア嬢の変化に合わせてアレクの様子も変わった。以前の彼はリティシア嬢に振り回されて大変といった様子であったが、今は彼女と関わること自体がとても楽しそうだ。


 たかが一ヶ月程度でそこまで変わるなんてリティシア嬢に一体何があったのか…知れるものなら知りたいものだ。


 騎士団は休みの期間に入り、殆どの騎士は休憩をしていたが、私は気を紛らわせる為に闇雲に剣を振るっていた。


 それ以上強くなってどうするつもりだと冷やかす声もあったが、私がその言葉に耳を貸すことはなかった。


 自分の力を過信しすぎてはいけない。常日頃から努力を怠らず、更にそれを周囲に一切自慢しない、尊敬すべき存在を私は知っているから。彼の友人であり続ける為には、当然必要な事だ。


 アレクは私の恩人であり、最も信頼できる親友。彼を護る為にも私はもっと強くならなければいけない。


 彼が私にしてくれた事に比べれば、なんとも小さいものであるが、恩を返せるならばどんな事をしても返したいのだ。


 平民の私が騎士団長になるということもアレクの後押しがなければ不可能であった事だろう。


 彼は騎士団の反発を抑えて上手に説得し、気づけば私は騎士団で最も偉い立場となっていた。


 騎士団長になるという願いも目標も私にはなかったが、アレクがそれで喜ぶならば私はそれで良かった。…それに、立場が良くなればもう少しだけ彼の隣にいやすくもなるから。


 色々考えを巡らせながら無我夢中で剣を振っているといい加減休めと団員が声をかけてくる。


 その声にすら気づかずひたすら素振りを続けていたが、暫くしてとある人物が視界に入り、私は動きを止める。


 男のみの騎士団には相応しくない華やかなドレスを身に纏う優雅な女性。


 …皇后陛下がこちらをじっと見つめていた。


 流石に素振りを続けている訳にもいかず、剣を素早く鞘に納めると皇后に一礼をする。


「…皇后陛下にお会い出来て光栄でございます。…こちらへはどういったご用件でいらっしゃったのですか?」


 皇后陛下は苦手だ。アレクに対し、優しさよりも厳しさが強いお方だから。


 彼女からあの誰にでも優しいアレクが産まれたとは…到底信じられないものだ。


「アーグレン。陛下が貴方をお呼びよ」


「…陛下が私を…?」


「えぇ。話したい事があるんですって。今すぐ行けるわね?」


「勿論でございます。今すぐ向かわせて頂きます。…皇后陛下はそれをお伝えにいらしてくれたのですか?」


「まさか。こっちに来るついでに言っただけよ。私は庭園を見に来たの。たかが平民の為だけに来る訳ないじゃない」


「…そうですね。失言でした。申し訳ございません」


 …やはり苦手だ。皇后陛下の持つ絶対的権力を悪用するような印象が、とても好きになれない。


 貴族や王族が平民を見下すという風習は広まっており、それは当然のことだと思っていた。


 だがアレクだけは違った。彼だけは私を自分と同等に扱い、優しさを与えてくれた。私はそれに言いようのない感動を覚えていたのである。


 しかし彼の母親は周囲と変わらず私を見下し続けている。…分かっている。アレクだけが特別なのだと。彼だけは…違うのだと。


 そんな優しいアレクが、母親が私を見下す度、彼を冷たく突き放す度、傷つき続けているということを私はよく知っている。


 私にもう少し力があれば、私が貴族であれば…もっとアレクの力になれたかもしれないのに。自分の出自を悔やんだ事は一度や二度ではなかった。


 職業や名前、性格は変えられても出身だけはどうにもならない。身分は…私自身が選択することは出来ないのだから。


 例え貴族の位を金で買ったとしても私が元平民であるという事実は決して変えられないのだ。


「どうしたのアーグレン。早く行きなさい。陛下がお待ちよ」


「…はい。…では失礼致します。」


 早く行け、平民のお前は邪魔だと言外に含んだかのような言い方に、私は必死に感情を押し殺す事しか出来なかった。


 …仕方ない。私は平民だから。アレクだけが私を同等に…友人として見てくれる。皇后に嫌われて私の身に何かがあれば悲しむのはアレクだ。彼が悲しむ姿など…見たくはない。


 私が我慢すれば全て済む話だ。不満は胸の内に留めておけば良い。


 私は城へ向かう為に足を踏み出した。





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