小久保の過去


「お帰り、大輔」

 ロッカーの前に立つ大輔に、美弥は、ちょっとだけ愛想よく言ってみた。


 叶一は流しにカップを置くと、じゃあ行ってくるね、と小さく手を上げる。


「行ってらっしゃい」


 そう手を振り、振り返ると、大輔は相変わらず不機嫌そうな顔で、上着をハンガーにかけていた。


「何処行ってたの?」

「……」


「また自腹切ったの?」

「……」


「浩太のとこ?」

「……」


 ガシャンッと派手な音を立てたので、大輔がびくっと振り返る。


「あんたね、人が優しく訊いてるうちに答えなさいよ」


 ちょっと彼の横のロッカーを蹴り上げてみたのだ。

 そこは叶一のロッカーなのだが……。


 まあ、いいだろう。


「……小久保さんのとこだよ」

「え?」


「盆栽の話を一時間ばかり聞かされた。

 道を訊くふりしただけだったんだが」


「ああ、そうか。

 大輔、直接小久保さんとは面識ないわよね」


 あったら大問題だろ、と大輔は小さく呟く。


「最初は道端から盆栽見ながら聞いていたのが、いつの間にか庭に連れ込まれてて――」


「目に浮かぶようだわ……。

 されるがままのあんたが」


 大輔は何も言わずにソファに座った。


 口では脅しながらも、内心、お疲れ様、と思っている美弥は、

「お茶にしようか」

と大輔に訊く。


「いい。

 三杯くらい珈琲出されたから」


 その言葉に苦笑いした美弥は、ついに口に出して言った。


「お疲れ様」


 胃の悪い大輔に、三杯の珈琲はこたえるよな、と思いながら、

「じゃあ、あとで漢方、煮出してあげるよ」

と言う。


 美弥も向かいに腰を下ろした。


「奥さんが、孫や娘と買い物に行ってしまったんで、そこから昔話になって……」


「そりゃあ、エンドレスになるわね。

 ていうか、最初から小久保さんに関しては、そうやって調べれば早かったのに」


「莫迦。

 捜査対象は八巻だ。


 小久保さんに関しては、浩太がつらつらっと何かそれらしき近況を当てればいいだけだったから」


「でも、八巻、旧姓河原崎か。

 彼を調べるのに、小久保さんとの接点も探ったんでしょう?」


「そのときは何も出てこなかったんだ。

 だから、あの年賀状にあった住所から割り出していった。


 結構、点々としてたから手間取ったよ。

 当時のアパートも、もうなかったし」


 これね、と美弥がデスクから年賀状を出してくると、大輔は呆れた顔をした。


「浩太もお前には甘いな。

 いや……、脅し取ったのか?」


「失礼ねえ。

 私と浩太は女友達なの」


 大輔は、はあ? という顔をする。


「いいから続けてよ」

 だが、大輔はソファに背を預け、溜息を漏らす。


「なに?」


「子どもってのは、十月十日で生まれるわけじゃないんだな。

 美弥、お前」

と少し身を乗り出しかけてやめる。


「なによ。

 言いなさいよ」


「……『妊娠三ヶ月』ってどういう状態だかわかるか?」


 ああ、と美弥はピンと来た。


「よく男の人がそれは俺の子じゃないとか言い出すあれね。

 通常とは計算の仕方が違うんでしょ? その」

と言いかけ、やめる。


 確か、最終月経の1日目から数えるはずだか、そんな話を独身の大輔にするのもどうかと思ったのだ。


「まあ、てな具合で、男にはよくわからん。

 そういう計算なのよって言われたら、はいはいって言うしかないだろ。大概は」


「小久保さんちの子どもが他所の男の子どもだって―― いや、違うか」


 それなら事件に絡みようがない。

 事件と関係ないゴシップを話して歩くような大輔でもない。


 大輔は小久保家の人間のことは、ざっと調べていたはずだ。

 それならば、その時点で何か関連性が浮かんでたはず。


 わかった、と美弥は膝を叩く。


「小久保さんには隠し子が居る」

「……俺は今、心底、お前が怖いぞ」


「そんなこと怖がるなんて、あんたも男だったのね。

 なんかやましいことでもあるの?」


「俺にはない」

と言われ、美弥は黙る。


「まあともかくだな」

とそれ以上、険悪になる前に大輔は続けた。


 小久保さんには別に子どもが居るようなんだ。


 昔付き合ってた女性が別の男と結婚してるんだけど、最初の子どもはどうも小久保さんの子どもらしい。


 旦那は、今みたいな感じで煙に巻かれて誤魔化されて知らないみたいなんだけど」


 それもまた、ホラーより怖い話だ、と美弥は思う。


「小久保さんはそれを知ってたのね」


「相手の女性がしゃべったらしくて。

 それで、その娘を」


「娘か」

と美弥は呟く。


 なんとなく繋がってきた。


「陰ながら見守ってたんだな。

 だけど、その娘は」


「河原崎って男にもてあそばれて捨てられた」


「そこまでひどくない」

と大輔は顔をしかめる。


「まあ、普通に付き合ってたんだけど。

 別れたんだな。


 娘は妊娠してたりなんだりで、結構ごたごたしたようだ。

 それで、小久保さんが堪えきれずに、こっそり河原崎に会って」


「はあ。

 名乗れないパパが頑張ってくれたわけね」


「河原崎は口止めされた通り、その娘には小久保さんの話を一切しなかった」


「なんだ意外にいい奴じゃん」


「そうなんだ。

 河原崎……八巻は社長としてはワンマンだし、まあ、強引で我儘な性格なんだが、評判はそう悪くない。


 なんていうか、正義を通すわけじゃないけど、筋は通ってるというか」


 ふーん、なるほどね、と美弥は或る人物を思い浮かべた。


 間違ってるんだけど、彼の中では、何かの筋が通ってるのよね。


「だけど、娘は会社もやめて、飲み屋街で働くようになって。

 小久保さんの目から見たら、転落してったように見えたんだ」


「じゃあ、八巻は結局、娘の敵ってわけ?

 でも、なんで今になって」


「その娘さんがこの間、亡くなったそうなんだ」


 ああ……と小さく美弥は呟く。


「結局、臨終には何も知らない育ての父親が立ち会ってたから近寄れず、最期まで親子の名乗りも上げられなかったらしい。


 当たり前だけどな。


 客として、たまに店に行ってたみたいだけど。


 その後、浩太のところに行って、現在の状況を調べ出し、八巻のところを訪ねていったそうなんだ。


 そしたら八巻は、小久保さんのことをもちろん覚えてて、娘さんは元気にしてますか? と笑顔で訊いてきたそうだ。


 小久保さんは腹が立って、娘は死にました。


 あんたの子は下ろしたけど、別の男の子どもを産んで、育てながら飲み屋で働いてたって叩きつけるように言ったんだそうだ。


 だけど、八巻は、

『そうですか。

 それで、娘さんは幸せにしてましたか?』

と訊いたそうなんだ。


 なんだかその淡々とした口調と、懐かしがるような顔を見て、小久保さんは、はっとしたそうだ。


 そういえば、あんな店で働いて、女手ひとつで子ども育てて、娘は大変だったろう、辛かったろうと決め付けてたけど、本当のところ、どうだったんだろうって」


「そうか。

 そうね――。


 それで不幸だと判断するのは他人の勝手な意見よね」


「それで小久保さんは思い出したんだそうだ。

 眠いのに早起きして、子どもの運動会に行ったとか。


 今日は地元の有名なアナウンサーが飲みに来て、サインをしてってくれたから、壁にかけてるとか。


 他愛無いことを楽しそうに話してた娘の顔を」


 ふと目に浮かぶような感じがした。


『ええ、娘は幸せにしてました』

と言って、笑った小久保の顔が。


「それで毒気を抜かれた小久保さんはそのまま、八巻とは別れたようなんだ」


「やっぱり、八巻は結構大物だったわけね。

 些細なことにも先入観にも囚われない」


「そうだな。

 部下にも信頼あるようだった。


 まあ、みんな振り回されているみたいだけど」


「じゃあ、小久保さんは犯人じゃない、と」


 大輔は少し考える素振りをした。


「ところが、その様子を見てた社員のひとりが居た」

「え?」


「八巻が居なくなったあと、小久保さんのところにやってきたらしい。

 どうしました? って。


 社長がトラブってるとでも思ったのかな。

 それで小久保さんはつい、その話をその社員にしてしまった」


 誰だと思う? と美弥を見る。


「……もしかして、前田久道ひさみち?」


 そう、と大輔は頷いた。


「前田さんが此処に何度も来てたのは、もしかして、社長が殺されて、小久保さんがやったんじゃないかと思って」


「あ~、心配して覗いてたのか。


 うちは警察とも繋がりがあるから、警察が会社の人間に伏せてる話もすぐに伝わってると思って」


 美弥は椅子に背を預ける。


「お前、もしかして、前田さんが犯人なんじゃないかと思ってなかったか?」


「うん、そうね。

 ちょっと暇だからにしても、不自然な感じがしたから」


 気がつくと、大輔は横に立っていた。


 小銭を美弥の机の上の仔豚の貯金箱に入れている。


 外から帰ってくると、たまにこうして、重すぎる小銭を入れてくれるのだ。


 お金ないくせに、と美弥は笑った。


 大輔は絶対、父親に頼ろうとしないから――。


 淡いピンクの仔豚と大輔が、とてつもなく似合ってなくて、なんだか微笑ましかった。


 その手を引っ張り、側に座らせる。


「なんだよ」

と照れたように大輔は見下ろした。


「いやいや、お疲れ様」

と子どもにするように頭を撫でてやったが、大輔は払わなかった。


 そのまま、その腕を掴んで、身を寄せる。

 大輔の匂いがする、と思った。


 洗剤のような、香のような。

 なんの匂いだか、わからないが、大輔の匂いだ。


 甘くはないけど、落ち着く匂い。


「……まだ何か考えてんのか」

という声が頭の上でする。


「ちょっと色々気になってね。

 また、浩太に怒られちゃうね」


 そう言い、間近に見上げ、笑ってみせた。



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